その心憂鬱なり
暖かい日差しが差し込む午後の庭園。
その奥、中華様式の屋敷が佇むここ、黒曜商会では今まさに白熱した死闘が繰り広げられていた。
「狼、覚悟は出来ているな?」
「勿論よ。ボスこそ負ける準備はできてるかしら?」
「…いや、お二人とも何やってるんすか?」
TV画面の中に表示された2体のキャラクターが、軽快な電子音と共に画面の両端でぴょこぴょこ跳ねている様子を食い入る様に見つめるこの親子…黒曜商会の当主、灰道とその娘、次期28第目次期当主であり俺がお支えしているお嬢灰狼はゲームのコントローラーを握りしめながらこちらの問いに答える。
「なんじゃ野兎、今大事な一戦なんだ、邪魔だてするんじゃ無い!もうすぐで必殺技ゲージが、」
「見てなさい兎ちゃんっ!必殺!テクノプリズナーっ!!」
「なっなんじゃとっ?!」
…お嬢が必殺技らしき名前を叫ぶ声と共に画面の中の軍人風の男が床から紐の様な物を取り出し、そのままツインテールのプロレスラー女を宙に吊るす。同時に右上のバーがみるみる赤くなり、画面いっぱいにK.O.の文字が表示された。
「やったー!コレで私の6連勝!!約束通り次の仕事は私が行くからねっ!」
「ぐぬぬっ…折角狼にパパと呼んでもらうチャンスが……野兎!お主が話しかけるからじゃっ!罰としてしっかり狼を守るんじゃっ?!かすり傷1つ付けた暁にはお前を海の藻屑にかえてやるからなっ?!」
「もー、ボスったら心配症なんだから。そんなんだから娘にウザがられるのよ?」
「なっ?!ウザ…っ?!」
娘の発言に、ショックで真っ白になった(元々髪は真っ白なのだが)ボスを全く気にかける様子もなくお嬢が立ち上がる。
「さてと兎ちゃん、そう言う訳だから来週は忙しくなるわよ?ちゃんと準備よろしくね?」
言い終わるや否や、部屋を後にするお嬢の後に続き俺も部屋を出る。
扉を閉める前に目に入った、まだショックから立ち直れない半べそをかいたおじさんは…ちょっと見なかった事にしよう。今はそっとしておく事が吉だ。
とりあえず来週の準備の為に倉庫のある、地下へ続く階段に足を向けた。
俺、野兎は半年前にお嬢こと、この屋敷の娘狼に自分の元で働かないかと誘われ(選択肢は無かったが)名前を捨てここ、黒曜商会に勤める事になった下っ端だ。
全ては友人だった宇佐美が(あの野郎、見つけたらタダじゃ済まさねぇ)、闇金から金を借りたまま雲隠れしたのが原因だ。
よりによって連帯保証人にサインしていた俺は負債を全て押し付けられ取り立て屋から逃げ回る毎日を送っていた。そしてあの日、絶対絶命のピンチをお嬢に救ってもらったのだ。
…まぁ、お嬢も最初は別口で宇佐美の野郎が借りてた金の取り立てに来ただけだったようだが。
取り立て屋との俺の戦いを見て興味を持ったお嬢が、自分の側仕えとして置いてくれたお陰でなんとか借金はチャラ野兎になったが、今まで日向で生きてきた俺はと言う名前を貰って日陰者の道を歩む事になった。(ちなみに名前の由来は戦う様がウサギみたいだったからとの事。元の名前にも使われてた漢字なんだから良いでしょとお嬢に言われた。)
とはいっても、幸い家事全般が得意だった俺は割と重宝されていると思う。
この家の人間ときたら、どいつもこいつも揃って戦闘馬鹿ばかりな所為か、洗濯をさせれば服を破き、料理をさせればまな板ごと切り刻む有様だったからな。今までどうやって生きてきたんだよ…。
そんな訳で屋敷の家事全般を引き受けつつ、お嬢の側仕えをしている俺はかなり多忙な日々を送っている。
「それなのに来週からもっと忙しくなるなんてなぁ…はぁ。」
溜息混じりに独り言を呟きつつ、無意識に腰にさした刀の柄を撫でた。
昔から刀が好きで学生時代の部活では飽き足らず、剣術道場に通っていた程だったので今こうして刀をさして歩ける事だけが唯一の救いかも知れない。…流石に表世界で真剣を腰から提げてたら、銃刀法違反で捕まるからな。今まで竹刀を振るう事しか出来なかった分、そこだけは思う存分楽しんでやろうと心に決めている。
「あれ?こんな所で何してんの?もしかして次の仕事、兎ちゃんも一緒?」
物思いに耽りながら地下へと続く階段にたどり着くと、丁度倉庫から出て階段を上がってくる厳つい男に声をかけられた。
「虎さん…兎ちゃんって呼ぶのやめてくださいよ。」
「悪い悪い。お嬢が呼んでるからつい…な。」
このいかにもな見た目の厳つい男は俺の人生の選択の時にお嬢と一緒に居た、前任のお嬢側仕えで名前は虎さんと言う。今は側仕えの座を俺に引き渡し、黒曜商会の懐刀として肉体労働に励んでいる。
「絶対悪いと思って無いっすよね?…まぁいいや、俺もって聞いたって事は虎さんも来週の仕事行くんですか?」
「まぁな〜。なんでも、どっかの組の加勢を頼まれたとかで急遽俺にもお声がかかったんだ。…とは言っても、俺らの仕事は後片付けがメインだからな。そこまで危険って訳じゃ無いと思うぞ。」
「成程…。じゃあ多分一緒ですね。」
仕事とだけ聞いて、肝心の内容を聞いていなかったが虎さんの「何処かの組の加勢」と聞いてお嬢が行きたがった理由に1つだけ思い当たる事があったのでそのまま返事を返す。
…俺の予想が間違っていなければ、共闘相手はお嬢のお気に入りのあの人が居る組で間違い無いだろう。
じゃあなと手を上げて去っていく虎さんを見送ってから、地下倉庫の重たい扉を開き中へと踏み出す。
ずらりと壁にかけられた武器や、よくわからない機械、部屋の隅に丸められたブルーシートの山を眺めつつ来週の仕事について考える。
「あの人が居るとしたら……はぁ。俺、海の藻屑になるのは嫌だな…。」
とりあえず、かすり傷1つ付け無い様に準備だけはしっかりしておこう。