覚醒
どこまでも続く白い世界に二人の女性が相対している。一人はエイレーン、もう一人は白い肌を持った真のエイレーンだ。
真の自分にエイレーンは問いかける。
「どうして私の邪魔をしなかった?
お前が邪魔さえすれば家族の汚名を払拭できたというのに」
「なぜだろうな私でも分からん。
もしかしてお前はそうして欲しかったのか?」
「いや、そんな事はもう望んでない。
私は彼のためにこの身を最後まで捧げ、彼に謝罪をするんだ」
「そうか……」
彼女はどこかを見ると考え事をする。
何を思っているのかは分からないが、一つだけ分かるのは前回のような拒絶の色は見られないという事。
やがてそんな考えごとも終えると、目を合わせてきて物言いたげにしている。
「では早く行くと良い。
あっちの世界で彼も待っている事だろう」
目の前の彼女は意味深な笑みを浮かべた。
鋭い瞳ではない、初めて見るような優しげな表情。
「それはどういう…?」
それは果たして優しさなのかそれとは別の違う感情なのか自分にはわからない。
ただ彼女は自分であり自分は彼女。
自分にとってのメリットもデメリットも彼女は負うことになる。そういう観点からすればこちらを貶めている訳ではないだろう。
それに何より気になるのがその後の発言。
彼が待っているとは一体誰のことだ。自分のことを待っているような人はもうこの世にいないはずだ。
エイレーンの表情にハテナマークが浮かんでいた。
それを見た彼女は楽しそうな顔で、
「それはあっちに行けば分かる話だ」
あくまでも答えは教えないつもりなのだろう。
だったら自分の目で確かめる他ない。
「分かった、では行くとするよ」
「おっと…まぁ待て。
一つ言っておくべきことがあった。
出逢いというの一期一会、お前にとって本当に大切な人をもう無くすんじゃないぞ」
彼女は満面の笑みを見せる。
こんな綺麗な顔をまだ出来たのかと驚き、不覚だがほんの少しだけドキッとしてしまう。
それはかつて自分がよくしていただろう表情。
いつしかそれも出来なくなってしまった。
いや、それは違う。
かつてでなくても彼の前でなら出来た顔。
「あぁ…!!」
欠けて思い出せないでいた、大切な何かが自分の胸を温める。
これが、愛なのかもしれないな。
エイレーンはそう思った。
―――――――
「な、なんだこりゃあ…」
目を疑うような光景をサイロンは見た。
エイレーンを取り囲む20名余りの仲間が突然吹き荒れた光によって飛ばされたのだ。
飛んでいった仲間は芝生に落下する。
毒薬を飲んだネズミが如く、もがき苦しみながら光の粒となって彼らは消滅していく。
近づけずにただ呆然とサイロンは突っ立っていると、光の中からゆっくりと女の姿が現れた。
誰だ…コイツ?
目の前に立っているのは恐らくだがエイレーン。
そんな事は当然分かっている。
しかし先ほどとは明らかに様子が違うのだ。
褐色の肌は真っ白となり、眩い光を漂わせている。
何より顔つきが変わった。先ほどまでの覇気のない弱々しい意志は霧散。今はまるで天使を相手にしているような神秘的な気迫と神々しさを感じる。
容姿も雰囲気もまるで他人だが、辛うじて先ほどまでの面影が残っている気がした。サイロンが困惑する中、目の前のエイレーンは余裕そうにただ笑う。
そして口を開いた。
「サイロン、私はお前らを責める気にはなれん。
かつて最高貴族として位置していた私も、デモルドではないために迫害されたお前達も、目的は同じ名誉の回復だ。お前の気持ちはよく分かる。
何より苦しさもな」
「あぁん!?何が言いてぇんだ?」
「だからといって関係ない他者を排除、利用していいとは限らない。目的はともかくその行いでは、魔人国は決して吸血鬼を向かい入れないだろう」
サイロンは高らかに笑う。
そこに苛立ちはなくむしろ上機嫌。
「何がおかしい?」
「いやなんもおかしくねぇよ。
ただその話をする相手が間違ってるぜ。
俺はなエイレーン。お前たちデモルドなんかどうでもいい。俺はただ弱者を痛ぶるのが好きなんだよぉ!」
それが2人の衝突の合図。
肉体変化で鋭利な爪を伸ばし、エイレーン目がけて猛スピードで跳躍する。人間の身体能力を超えた圧倒的な速度と、猪のような瞬発力。
「……ふん」
ただエイレーンとしても反応できない速度ではない。
彼女はどのような行動を取るか。
何も取らない。
棒立ちのまま瞳で彼の姿を捉えるだけ。
爪が当たる瞬間、エイレーンは手のひらを広げることでその攻撃を受け止めた。後退りもせずに10メートル以上離れた魔人の突撃を受け止めたのだ。
「なるほど外道の類だったか」
「なっ……」
自分の渾身の一撃が彼女を襲う。
しかしエイレーンはびくともしない。
サイロンは意味がわからなかった。
腕力、スピード、全体重を乗せた自分の自慢の強靭な爪がこのような柔らかな手のひらで止められる。
おかしい。こんな事はあってはいけない。
逡巡するが、エイレーンからしてみれば隙の塊。
サイロンは前蹴りをもらうとボールのように吹っ飛んでいく。芝生の上で何回も目まぐるしく回転しながらうつ伏せでようやく止まると大量の血を吐き出す。
「く、クソッ…」
焦りからか急いでエイレーンの姿を捉える。
そして睨みつけた。
ど、どういう事だ…。
俺の全力の一撃をあれほど容易く受け止めるだと?
もしかして俺の目は間違っていたのか…?
エイレーンと拳を交えるのはこれが初。
自分の直感と目によれば自分とエイレーンとの実力の差は決して離れていなかった筈だ。
それだというのにこの差は一体なんだというのか。
特殊なスキルや魔法を使った。
それでもこんな状況にはなるとは思えない。
あの女は堂々と何のトリックもせずに受け止めていた。
サイロンは一瞬のうちに考えを巡らせる。
まずい、これは非常にまずい。
解明出来なければまた同じ轍を踏むことになってしまう。それでは肉弾戦を得意としている自分に勝ち目は薄い。
焦燥に駆られながら立ち上がり、時間を稼ぐことでいっぱいだった。悟られないようにサイロンは顔をニヤつかせて誤魔化す。
「ハァハァ…じ、実に見事だエイレーン。
まさかこれほどの力を持っていたとはな。
さっきお前は最高貴族とか言っていたが、なんの話だ…?良かったら聞かせてくれないか?」
キラリと、一筋の汗を額から流す。
これは危険な橋渡り。
自分の真意を勘付かれたら終わり。
話を一蹴されても終わり。
とにかく、この状況でまともに戦うのは危険すぎると鋭い感覚が訴えている。
ここは時間を稼がなければ。
相手の弱点、もしくは現状を打破できる何かを見出さなければ一方的に潰されてしまうのだ。
しかし。
「私は下らない世間話をするためにここに来た訳じゃない。お前もそうだろう?そんなつまらん話は冥土で考えてみたらどうだ?」
帰ってきた言葉は自分が期待していたものとは真逆の答えだった。サイロンはより一層焦りを強める。
「ま、まぁ待て。
僅かな間かもしれんがここまで協力しあってきた仲じゃないか…なぁっ?」
「何が協力だ。
どうせお前達はデモルドである私など信用してないだろうに。それにお前達など仲間ではない。私の仲間、というか味方をしてくれていたのは彼だけだ」
「か、彼?」
「お前に知る必要はない。ここで死ね」
エイレーンはサイロンよりも速いスピードで移動。
瞬く間に彼の元へ近づくと、腰を落として腹部へ正拳突きを繰り出す。
「ぐおぉっ!?」
そのままサイロンは吹っ飛ぶ。
芝生を超え、湖にまで移動してサイロンは絶命。
湖は赤く染まりながら、死体はゆっくりと水の底へ消えていく。
「……一つ片付けたか」
達成感はない。しかし解放感はある。
数ヶ月の間、手を組んでいた吸血鬼の連中と決別した事は吸血鬼を裏で操る魔人国を裏切ったという事。
つまりエイレーンにとっては本国を裏切ったという意味合いを持つ。
これでもう自分の家は将来永劫忌むべきものとして扱われるだろう。しかし先ほども言ったようにはもはやどうでもいい。これからは彼のために生き、吸血鬼を滅ぼしたら自分も死ぬ。
彼の後を追って彼に謝罪をする。それだけだ。
エイレーンは周囲を見渡す。
縄や手錠で拘束された者達はこちらに怯え、少しでも離べく全身を使っている。
まずは彼らを自由にすることが先決か。
エイレーンは魔法を一つ唱える。
すると彼らを拘束していた道具は光の粒となって消えていった。
「こんなことをしてすまなかった。
謝って許される事では到底無いがどうか無事でいてくれ。私から言える事はそれだけだ。
さぁ…早く逃げろ!」
「ひぃっ!?」
蜘蛛の子を散らすように彼らはこの場を後にする。
………。
今も街で行われている殺戮とはよそ目に、ここだけは爽快な風が吹いている。
広い草原の中、残るのはエイレーンだけだ。
「さて私もどうするか…」
今自分が取れる行動は三択。
一つ目はこの街にいる魔人を退治。
二つ目は市民の救出。
三つ目はこの二つを合わせた行動を取るか。
一つ目の魔人退治に専念するのは、早く街の被害を抑えられる効果が期待できる反面、どうしても犠牲は多くなってしまう。
では二つ目の市民の救出というと、犠牲を少しでも減らす事はできるかもしれないが、この街の被害を食い止めにくい。
となるとここは三つ目の択である両方を採用した形が最も適しているだろう。
正確に言えばどれが適しているなんて分からない。
それでもただ一つだけ分かる事は、彼のような悲しむ顔を減らすということ。これが全てなのかもしれない。
「これが新しく私に出来た使命だな」
大きな膨らみを持った胸に手を当てる。
自分の胸は温かく安心できた。
何よりこうすることで、少しでも彼のことに思いを馳せ彼が導いてくれる。そんな気がするのだ。
「よし」
目を開けた時にはもう不安はない。
大丈夫だ、風も土も光も自分の味方をしてくれる。
この風になって彼に想いを届けてくれる。
「さぁ、行こうか」
エイレーンは右足を一歩踏み出す。
その前に動きが止まった。離れた横からあの男の声が聞こえたからだ。
「ほぉ…。あいつらをやったのはお前か。
ついでに人間も助けたというわけだな」
声のした方に目をやる。
そこにはやはり1人の男が立っていた。
一言で言えばその男は闇を凝縮したような存在。
紫の長髪に深紅の瞳、自分と同じように耳は鋭く尖っていて、顔は野性み溢れる獰猛な顔つきをしている。彼が笑うと、口からチラリと鋭く尖った八重歯が見えた。
彼こそ吸血鬼の王者。
真祖の血筋を持ったアリシオン・ジェスファーだ。