黒幕
国立魔法館の四つのドームのうち、一般人立ち入り禁止区域のロンリーフォー。
ここは各都市に建設されたロンリーエリアの四番目の施設。そんな建物の三階、最奥の部屋にとある二人の人物がいた。
一人は女性。
長い紫髪に紫の瞳、そして褐色肌。
何より特徴的なのはその耳だろうか、ヒト族とは違ってエルフのように尖っている。
そう、それはエイレーンだった。
彼女は窓際近くで男のように腕を組んで、外を眺めている。
そしてもう一人は男性。
男としては非常に長い腰までかかる金髪に、細い目の碧眼。そして白いローブを身につけている。
そう。
その正体は言わずもがな魔法長のヴァレジスト。
ヴァレジストは口を開いた。
「エイレーンさん喜んでください。
この街で蒼翠のフェンリルと呼ばれる人物の正体が判明しましたよ」
「……何だと本当か?」
いつもは鋭い目つきをしている彼女だが、驚いたような顔でヴァレジストを見る。
「まぁ判明と言っても単なる憶測に過ぎませんがね。ただ、状況的にも私の勘においても彼がフェンリルで間違いないと思いますよ」
「誰だそいつは?」
「男の名はジーク・スティン。
珍しい青髪に滅多に見た事がない黄色の瞳。
背丈は私と同じでしょうか、結構体格が良いですね」
「どういうことだ!?」
これ以上無いほどにエイレーンは驚愕する。
まさか彼がフェンリルだと?
確かに他の人間とは明らかに違うオーラを纏っていた気もしたが…。しかしそうだとするなら、なぜ彼はこんな場所に来ていたんだ?
いつもサバサバとしている彼女の反応を見て、ヴァレジストは目を白黒させる。
「なんですかご知り合いですか?」
「知り合いも何もさっき私も話したぞ。
彼が鑑定装置の使い方に困っていたから私が教えてやったんだ」
「それは本当に珍しい偶然ですね。
まさかこんな事があるとは……。
私も最初に彼を見た時はびっくりしましたよ。
なんせ草食獣の中に肉食獣の如き力を持った男がいたんですから、あれほどの力はこの街で見た事がない」
ヴァレジストは手を広げて大袈裟に表現する。
「……そんな強さを彼は持っていたのか。
私の時は全く分からなかった」
「ふふっ…全く面白くなってきました。
ちなみに彼に怪しまれたりはしていませんか?
私たちがこの街の強者をマークしている以上、彼も我々のことを警戒していてもおかしくはありませんからね」
「それについては大丈夫だ……。
彼に偽名を教えたからな、名前はゼラ・ウォーカス。
この街の冒険者名もそれで登録している」
その時、エイレーンはなぜか申し訳ないような顔をする。ヴァレジストはその表情を見逃さなかった。
「うん、どうかしましたか?」
「いや……なんでもない」
「あなたは今回の魔人国のお目付役というか幹部クラスですが私はこの街一帯の担当者。
それはあなたもお分かりですよね?」
「あぁ」
「本来立場的には同格ですが、ここ一帯に加わるという事なのでひとまずは私に従って頂きます。
そしてちょうどあなたに任せたい役割がありまして。
あなたの今回の任務は実に簡単」
ヴァレジストは変に区切って一旦おいた。
そして話を続ける。
「蒼翠のフェンリル、つまりジーク・スティンを殺しなさい」
…………。
「なんだと」
「言葉通りの意味ですよ」
「そんな事は知っている…!」
苛立ち気にエイレーンはそう言い放った。
「どうかされましたか?
五公爵がどれほどの強さかは分かりませんが、あなたほどの存在ならばフェンリルも殺せるでしょう」
「実力の話では無い。
私は本当に彼を殺すのか?
彼がフェンリルという確証も無いのだぞ…!」
エイレーンの声は震えていた。
それは明らかに彼を殺すことを拒絶しているということ。
「証拠はありません。
しかしあの男がフェンリルのなのはもはや確実。
顔が知られているあなたなら容易に近づくことができて、不意打ちで容易くその首を取ることが出来るでしょう」
いや……。
「この際、彼がフェンリルかどうなのかも、もはやどうでもいい。どうせこの街の人間は全て消す予定なのですから。拒んでいるあなたに受け入れやすいように言い換えれば、この街の実力者一人を消せばいい訳です。どうでしょう、かなり簡単な任務だとは思いませんか?」
「本当に彼を……?」
「はい〜〜」
ヴァレジストはにこやか頷いた。
もはやそれはサイコパスそのもの。
先ほどまでその殺すべき目標と楽しそうに話していた男の態度とは思えない。
「魔人は自分達の血を最上級とし人間や天使を恨むと言いますが、まさか人間の男一人に情が湧いたとかそんなことは決してありませんよね?」
その言葉にエイレーンは即座に反応した。
「そんなことがある訳ないだろう!
人間など私からすれば餌だとしか思えない」
「そうですか」
全く、吠えれば吠えるほど分かりやすい。
とヴァレジストは思う。
「その割にはあなたの食事は誰も見た事がないと他の皆さんは口を揃えておっしゃっていますが、気のせいでしょうか?」
「私は他人に食事を見られたくないだけだ」
「なるほど、そんな理由があるのですね」
「……」
「あぁそれと彼の行方の件ですが……」
「大丈夫だその必要はない。
私は彼と会う約束をしたんだ」
「おぉそれはすごい。
なんという稀有な出来事でしょうか。
まるで神はあなたにあの男を殺せと言っているようなものですね」
ヴァレジストの発言をエイレーンは無視をする。
するとヴァレジストはやれやれというような顔つきで、
「まったく釣れない人ですね〜。
あなたは本当に魔人なんですか?
こちらの血に飢えたヴァンパイアたちとは一線を画しているように見えますが」
「馬鹿を言え、私は見ての通り魔人だ。
それと私はヴァンパイアではない。
魔人の種族は数多くある。
種族を間違えるのは人間とゴブリンを見間違えるのに等しい大問題だ。私をヴァンパイアと一緒にされてしまっては困るな」
「それは大変失礼」
ヴァレジストは軽く頭を下げた。
そして話を続ける。
「話は変わりますが、決行日が決まりました。
今日から三日後の月曜日との事です。
時間帯は各々が決めていいと吸血鬼の親分さんがおっしゃってましたので、昼過ぎでいいでしょう」
「そうか……」
「どうしました?
もっと喜んでください。
だってこの街の人間を殺し放題なんですよ?
久しぶりに暴れられるので私も楽しみだ。
そうですね…私はまずは騎士長を消しましょうか。
あいつは非常に目障りなんで早く痛ぶりたくてしょうがない」
「…………」
はぁ……。
本当に彼を殺さなくてはいけないのか…?
エイレーンは深く沈み込む。
三日後、それはちょうど彼と冒険をする日。
この街をいやこの国を、破滅に導く日に私は彼を殺さなくてはならない。
どうすればいい……。
私は一体どうしたらいいんだ?
エイレーンは悩む。
殺すのは簡単だ。
彼と一緒に冒険をしようと約束をしたのだからその時に殺せばいい。
それでも……。
あれほど優しくしてくれた彼を殺さなくてはならないのか?私が誘ったんだ一緒に冒険をしようと。
それなのに彼を騙すのか?
彼が死ぬ時、私にどんな顔をするのだろうか。
睨まれながら「このクソ野郎!!」と言われるのか?
どうすればいい、私一人では何もできない……。
胸が苦しい……。
くっ。
エイレーン、いやゼラは胸が締め付けられる思い。
幼い頃に何もかも失った自分だが、今一番恐れているのはまた何かを失うこと。
この国に来てから人間は私に優しくしてくれた。
時間こそ短いが、ここでの出来事は全てかけがえのないものであり自分の生きる希望。
そうだというのに、このまま自分は本国の命令に忠実にしていれば、それは彼らを害することになる。
自分の手を彼らの血で染めることになってしまう。
しかし、そうしなければ自分に未来は無い。
そして何よりかつて亡くなった父のため母のため、家に仕えていた今は亡き者達のために、自分の家の汚名を払拭できる機会はこれしかない。
だから……。
エイレーンの決意する。
それは決して望ましくない暗い道。
先ほど感謝してくれた優しい青年のジークが、哀しい顔をした気がした。
それでも……これしか無い。
もう自分は後には引き返せないのだから。
エイレーンの肌が少し白くなった気がした。