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「美味しいごはんを、一緒に食べよう。」

作者: 満月

「今さよならしないと、私がこの世からさよならすることになる。」

 そう、自然と文字を打っていた。送信ボタンを押した後、涙が溢れ出る。これが、私の本音だったのだと気づいたからだ。

 大丈夫という言葉は、隠すには便利すぎる言葉だった。大丈夫、大丈夫と自分を鼓舞するために、使っていたつもりだったのに。

 いつしか言葉の中身が空っぽになっていた。自分を騙すために、使っていたのかもしれないと今なら感じることができる。

 大丈夫じゃないのに、大丈夫と言ってしまうのは、何故だったのだろう。助けを求めることが、いけないことだとは思ってはいなかったのにもかかわらず、意に反して逆の言葉を紡ぎ、自らを苦しめていた。「まだ出来る。やらなければいけないから。」そう思いたくて、自分を鼓舞するために使っていた。周りからすれば、大丈夫な状況には見えていなかっただろうに、私はそれを突き通していた。

 それが、私で。それが、欠点だった。

 壊れていく音は、聞こえないもので、壊れかけた頃には、手遅れになる一歩前だった。

 あの時、手を差し伸べてもらえていなければ、私はこの世に今、存在していなかったかもしれないと思うと怖くなった。

 人間不完全な方が人間味があっていいと思っているものの、自分自身に満足は常にできない人生だった。コンプレックスの塊。それが、私。くよくよいつまでも悩んでしまう性格が、昔から嫌いだった。

 命から逃げたと、そう言われても間違いではないと思う。今でも、後ろめたさという薄暗い闇に陥りそうになることがある。

 私は、逃げた。けれど、そうしなければ、全ての命からもっと逃げることになっていた。私は、自分の命からは逃げることが出来なかった。キラキラ輝く未来は、全く想像出来なかったが、生きていてよかったと思える瞬間をまだ感じたい意志があった。それが、私を生かしたのだろう。

 簡単に死ぬことを考えてはいけないと、人は口にするであろう。しかし、大丈夫と自分に言い聞かせ騙し続け、気づいた頃には取り返しのつかない所まで追い詰められた人に、その言葉をかけることが果たしてできるであろうか。

 窮地に追いやられた人間は、不思議と死ぬことが怖くなくなる。自然にイメージがついてしまう。死ぬ間際の苦しみよりも、現実の苦しみの方が辛いから、簡単に自分を何度も脳内で殺すことが出来てしまうのだ。

 そうして何度も、自分は親不孝者だと、また自らを責める。悪循環そのもの。人の痛みや苦しみは、完全には理解できない。似たような経験があっても、全く同じはないのがこの世の中だ。

 もしも、窮地に追いやられた人が、近くにいるのであれば、迷わず声をかけ、手を差し伸べてあげてほしい。「大丈夫」という言葉は使いすぎているから、是非とも違う言葉で。現実にいっぱいいっぱいであるから、未来を想像させるような、楽しいことを考えさせるような言葉ではなくて。孤独を感じさせることなく、それでなく期待をさせすぎる言葉じゃない言葉を。

「美味しいごはんを、一緒に食べよう。」

 言葉一つで、救われる人が今日も、いるはずだから。

全ての人に、幸あれ。

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