風前の灯火
ヴィクターが触手に貫かれ、倒れる。
それを目撃したチェチーリアは思わず、短い悲鳴を上げる。
近い場所だったので、駆け寄って傷を見る。触手は既に引き抜かれていた。
正しい処置かどうかは分からないが、長椅子に掛かっていた布を引き千切り、傷口の上にきつく縛った。
……短い時間で、エギンが倒れ、ギュナが倒れ、テレサが倒れ、そしてヴィクターが倒された。
今までの戦闘で、これほどまで追い込まれたことはなかった。
足元が震える。絶望が彼女の脳裏を、少しづつ侵し始めていた。
歯がカタカタと鳴る。
床に跪き、ヴィクターの頭をそっと掻き抱いた。
ザンヴィルは周囲を素早く確認する。
―――愕然とする。騎士も”革命軍”も、その多くが戦闘不能に陥っていた。
一気に大勢で襲い掛かり圧殺するはずだったのだが、縦横無尽に振り回される触手に翻弄され、いたずらに人数を減らしてしまった。つけ入る隙が見当たらない。
むしろ、こちらの気が僅かにでも緩むと、容赦なく攻撃を加えてくる。
もはや、これまでか―――?
ザンヴィルの脳裏に、絶望と諦念が芽生えかけた時、化け物が呵々と笑い声を上げた。
顔は血に塗れ、ズタズタに千切れた修道服から、無数の触手が生えている。
両手を広げ、芝居がかった様子で叫ぶ。
『分かる……感じるぞ!貴様らの絶望が!虚しい敵意が!激しい恐怖が!
この目は見えずとも、醜い感情が、私には手に取るように伝わってくる!
……まずは、味方の命懸けの戦闘から目を背け、独り絶望に閉じ篭る者。貴様だ!』
化け物は触手を鞭のようにしならせ、飛ばす―――。
瓦礫の陰に隠れていた”革命軍”の一人に触手が突き刺さる。そのまま真上に振り上げられた。
宙を舞い、二階相当の高さから床へ叩き付けられた。嫌な音を立てて首が捻じ曲がる。
『または、無謀にも私に牙を剥く者……。貴様だ!』
長剣を振り上げ、化け物に斬りかかる騎士へ、触手を鋭く薙ぐ。
首元を横一文字に掻き切られ、そのまま転がり崩れ落ちる。
『そして、恐怖に逃避する者……。貴様だ!』
教会の門へ走って、逃げ出そうとしていた騎士へ触手が伸びる。
背後から腹部にかけ、触手が貫通する。横の柱にぶつけられる。瓦礫の山と化した。
ザンヴィルは、その様子を背筋が凍る思いで見つめていた。
―――奴に対して、負の感情を抱いた時点で、場所を正確に特定され、そこへ攻撃されるということなのか?
そんなもの……。逃げようがない。
ザンヴィルが、恐怖に近い感情を抱いたその瞬間。
化け物の首だけが、ぐるんと回転し、ザンヴィルを正面に見据える。
……正確には、化け物には顔面へのダメージがあり、視界には捉えられてはいないはずだが、まるで蛇に睨まれてしまったかのような恐怖を感じた。
『見つけた』
潰れた顔でニヤリと笑う。
ゾッとする―――。
思わず後退しそうになる足を踏ん張った。
「くそっ……これでも食らいやがれ!!」
遮二無二に足を踏み出す。棍棒を振りかぶる。
不気味に笑う化け物めがけて、渾身の一撃を繰り出した。
―――その一撃は、彼にしては直線過ぎた。恐怖と動揺で、攻撃の手に余裕が無くなったのだ。
『無駄だっっ!!』
呆気なく、ザンヴィルは触手に絡めとられる。
そのまま、教会の天井近くまで持ち上げられる。
『あははは、くたばれっっ!!!』
ザンヴィルの体は、天井にあるステンドグラスに叩き付けられる―――。
派手な音を立て、色鮮やかなガラスが四散する。
頭から突っ込んだザンヴィルは、鋭いガラス片を体中に浴びる。
色彩の降りしきる雨となったステンドグラスの破片と共に、天井から床に墜落したザンヴィルは、倒れたまま動かない。
……チェチーリアは気付く。
いつの間にか、周囲には傷ついたヴィクター以外、誰もいない。
……兄さんも、ギュナも、エギンも、テレサも!!
彼女は、浅い息を発作のように繰り返し、忙しなく周囲を確認する。
―――しかし、その頃には、満足に立っている者は、チェチーリアの他には、誰も居なかった。
騎士団も、”革命軍”も、残り少なかった戦力は壊滅したのだ。
教会に立つのは、チェチーリアと化け物の二人だけ。
化け物は、一歩一歩、瓦礫を踏みしめ、彼女の元へ近づいてくる。
『ふ、ふふ……。感じる。矮小な……ちっぽけな存在だ。
安心しろ。貴様が抱いている感情を、今すぐ消し去ってやろう。
さあ、―――最期の祈りをするんだな』
化け物は、醜く口角を歪める。
血に染まった修道服から、悍ましい触手が蠢く。
化け物は、一歩一歩、近づいてくる。
チェチーリアは、ヴィクターを胸に抱いたまま、化石したようにその場から動けなかった。