変異
軋む音を立て、祭壇室の扉が少しずつ開いてゆく。
室内は暗く、その内部を見通すことは出来なかった。
固唾を飲んで見守っていると、室内からルブラン司教が両手を上げて現れた。
「……降参だ。投降するが、文明的な保護を求める。」
コンラートは、ほっとした顔で頷いた。
「ああ……。そうか。安心しろ。お前の身柄は拘束されるが、安全は確保される。
それで……ナサニアとかいうシスターはどうしたんだ?」
ルブランは、言葉を濁す。
「ええとだな。彼女はまだ、納得していない、というか、諦めていない、というか……」
そう、ルブランが呟いた時だった。
祭壇室の室内から、いきなり弓矢が放たれた―――。
俯いていたルブランの後頭部に突き刺さる。
後頭骨を避け潜り込んだ矢尻は、脳髄を掻き回し破壊した。
昏倒すると即死する。
「っっ!総員、警戒!」
コンラートは盾を構え、祭壇室から距離をとる。他のメンバーもそれに倣う。
祭壇室から、人影が飛び出す―――。ナサニアだ。
彼女は身軽に跳躍すると、壁を蹴り、コンラート達の頭上から、矢を放った。
標的となったザンヴィルは、間一髪で矢を盾で防ぐ。
「何を足掻いているのか知らんが……。今やお前に味方はいない。さっさと降伏しろ!」
ザンヴィルは鋭く警告を飛ばす。
ナサニアは再び闇に溶け込んだ。
それから数度、死角からの攻撃を仕掛けてくるが―――、敵対戦力がナサニア一人である以上、奇襲の戦略的優位性は一気に減退する。
攻撃を受ける側が、それだけに気を配っていればいいからだ。
数度目にナサニアが姿を現した時、ついにザンヴィルがカウンターの一撃を喰らわせた。
綺麗に顔面へと叩き付けられた棍棒を、思いっきり降り抜く。
ナサニアは、10メートルほど吹っ飛んで柱に叩き付けられた。
「や、やったか!?」
コンラートが声を上げるが、エギンがそれに答えた。
「いや。奴は攻撃を受ける際、自ら後退った。衝撃を逃がしたようだな。まだ立ち上がるかもしれん」
柱に叩き付けられ、地面に倒れたナサニアだったが、よろよろと立ち上がる。
荒い息をつき、両手で顔を押さえる。指の間から、夥しい量の血が流れ出していた。
手を顔から外し、ザンヴィル達の方を睨み付ける―――。
しかし、ザンヴィルに殴られた痛手は大きいようだ。顔面の裂傷は痛々しく、視力は完全に奪われているようだった。
彼女は、悲痛に叫ぶ。
それはもはや悪霊の咆哮のようだった。
何度も柱を素手で叩く。血まみれの手にさらに血が滲む。
「許せない……。私を、私の教団を土足で荒らし、あまつさえ、私まで殺そうだなんて!
ここは私の世界!貴方たちが侵していい場所じゃない……。
憎い!憎い!憎い!!許せない!!ああ……。全てを……全てを、殺すっ!呪い殺してやるっ!!!」
叫ぶや否や、懐から水晶を取り出した。
胸に掻き抱くと、呪文を謡うように唱える。ナサニアを中心に、瘴気が今までの比でない程度に一気に広がった。
「う……うあああああああああああ!!!!!!!」
叫び声を上げるナサニアの体に、水晶が同化してゆく。
血管が、彼女の体から水晶に走る。徐々に体内に取り込まれる。
めきめきという異音と共に、彼女の体から触手のようなものが生えてきた。
水晶に蓄えられていた魔力が解放されたのか、瘴気と混じり合って、邪悪な魔力が教会中に充満してゆく。
騎士団、”革命軍”の面々は、それを呆然と眺めていることしかできなかった。
教会の中央―――ついさっきまでナサニアが居た場所―――に突っ立っていたのは、一匹の化け物だった。
形こそナサニアの姿を保っているが、その顔は潰れ、血を垂れ流している。
また、鞭のような触手を何本もゆらめかせ、暴力的な魔力を放ち、不自然に蠢くそれは―――、
明らかに異形であった。生物ではない。この世に存在してはいけない特異点。
しばらく、不自然なほどの静寂が周囲を包む。
と、やおら怪物は触手をしならせると、こちらへ向けて振り下ろす―――。
”革命軍”のオークの一人に当たると、上半身を跡形も無く弾き飛ばした。
慌てて全員は散りぢりになって援護物に隠れる。
「馬鹿な!?奴の顔面に一撃くれてやった。視力は奪われているはずだ……。
なぜ攻撃ができる!?まぐれなのか……?」
頑丈な壁の後ろに隠れたザンヴィルはひとりごちる。
怪物は金切り声を上げる。
触手を振り上げる。
怪物の近くにいた騎士や”革命軍”は、隠れていた長椅子ごと刺し貫かれ絶命する。
触手は、設置されていたパイプオルガンも巻き込んで破壊した。
けたたましい音が教会中に響く。
まさに破滅の序曲のようだった。