回想
「……客人たち。私を縛めるこの縄を、解いてはくれぬだろうか?」
教皇室の中央、しっかりとした作りの椅子に縛り付けられている老人が、三人に言葉を発する。
その声は枯れ、不明瞭な発音ではあったが、不思議と意味は伝わってきた。
「……貴方は、教皇、なのですか?」
ギュナが、単刀直入に聞いた。
「いかにも。私は教皇。ロクフイユだ。故あってこのような醜態を晒している……。
客人の手を煩わせてしまって申し訳ないのだが、頼めないものか?」
ふらふらとロクフイユの元へ近づこうとするカートンを制し、テレサが問うた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。あんたはこの教団の長のはずやろ?なんでこんな所で縛られとるんや?
それに―――教団の記録を信じればやが―――あんたはもう、二百歳を越しとるはずや。なんで生きとるんや?」
「ふむ。この体で話すのは堪えるのだが……仕方あるまい。答えよう……」
縛られたまま、苦しそうに身をよじる。
「それは、百年以上も昔の事だった―――」
ロクフイユは、目を細め、過去をぽつりぽつりと語り始めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ロクフイユは、自らが腰掛ける椅子からゆっくりと立ち上がった。
腰を叩く。最近、年のせいか、長く座っていると腰が痛む。
魔術を使い、奇蹟を起こす教皇も、寄る年波には勝てないのだ。
そう思うと、何となくおかしかった。
「教皇様、お疲れさまです。果物をお持ちしました」
銀髪が眩いエルフの少女が、銀の盆に色鮮やかな果物を乗せ、運んでくる。
彼女は、最近、貧民窟から救い上げてきたのだ。
薄汚れた貧民窟にあって、彼女は煤けていながらも、どこか高貴さを感じられる雰囲気を放っていたものだ。
彼女を見初めたロクフイユは、貧民窟に施しを与えたのち、身寄りのない彼女を身請けしたのだった。
名を聞くと、小さな声でナサニアと言った。
それから、ナサニアを教会に連れ帰ったあと、彼女を修道院へ入れた。
そこで、修道女として学ばせながら、ロクフイユ付きの侍女としての生活が始まったのだ。
蝶よ花よとナサニアを可愛がってきたロクフイユをよそに、彼女は教会にある蔵書に没頭していった。
教会には、彼が集めた魔導具が、いくつか隠されていた。蔵書には、それらの扱いについても書かれていた。
とある夜。
ロクフイユが教皇室の椅子に座って、本を読みながらくつろいでいる時、ナサニアが現れた。
ロクフイユは、かけていた眼鏡を外し、膝に置いた。
「やあ。ナサニア……。こんな夜更けにどうかしたのかい?夕方、可愛がってあげたのでは、足りなかったかな?」
笑顔をナサニアに向けるロクフイユ。
そう言うと、決まって照れくさそうな表情を浮かべていたナサニアだったが、今日は様子が違った。
無表情のままのナサニアの後ろから、当時の大司教が姿を現す。
「―――っ、大司教……。どうしたんだ?」
ロクフイユは、困惑した声を上げる。
大司教―――。
彼は、最近、大司教に昇格した人物だ。元は一介の商人であったが、入会するとすぐ頭角を現し、教会内の順列を上げていった。
彼の本質として、聖職者というより、政治家に近い存在だった。その分、信者を取り仕切る能力に長けていた。
最近、教会が急激に伸長できたのも、彼の力によるところが大きい。
大司教は、芝居がかった大仰な仕草でため息をついた。
「教皇は、あまりいい趣味をお持ちではないようですね。そのような不潔な趣味をお持ちであったとは、私を含めた信者は、失望の極みですよ」
ロクフイユは、驚いて声を上げる。
「ま……待て。お前は何を言っているんだ?」
「ナサニアから聞きましたよ?彼女の口からそれを言わせるつもりですか?余りにもそれは残酷というものだ……。
貴方は、莫大な魔力をお持ちかもしれませんが……そのような気質をお持ちだと言うのであれば、教皇には不適格です。残念です。こうなれば仕方ありません……。
貴方の、教皇の座からの、罷免を要求します!」
人差し指をロクフイユに突き付け、そう叫ぶと、教皇室に幾人かが入ってくる。
いずれも有力な司教たちだ。
大司教は、不敵な笑みを浮かべる。
「……見て頂いて分かるように、過半数の司教の賛成を得ております。今日、今現在を持って、貴方は教皇の座から降りて頂きます」
司教たちは、ロクフイユを中心に、扇形に立ち、彼を見下している。
「ナサニア……大司教……謀ったな……!」
ロクフイユは歯噛みする。
そんな彼の姿を見て、大司教は鼻で笑う。
「さあ、扉を出て、市井にお戻りください。安心してください。遠い田舎行きの馬車を手配してあります。そこで、穏やかな余生をお過ごしください……」
恭しく扉を指し示した大司教だったが、ナサニアがそれを止める。
「……ん?ナサニアさん。どうしたんですか?貴女は被害者なのですよ?この期に及んで、彼をかばうのですか?」
「いえ……違います。これを、使ってみたく思うのです」
ナサニアの目は、悪戯っ子のように輝いている。
その手には、縄が握られていた―――何やら呪文がびっしりと書き込まれている。
「―――っ、それはっ!」
ロクフイユの表情に焦りが現れる。
「これは、魔力を持つ術者の自由を奪い、そこから魔力を抽出できるようにする拘束具です……。何故、ロクフイユ様がこれをお持ちだったのかは分かりませんが、試してみるのも面白そうだと思いませんか?」
ナサニアの笑顔は続く。
その顔は―――、子供たちが、路上にカエルを叩き付け、破裂させるときの笑みに近い。無邪気な笑みだった。