ザンヴィル
メラムトオーク族の医務室。
看護師は、ザンヴィルの清拭を行っていた。
三男・ダラードに頭を棍棒で強打されて以来、昏睡状態が続いていた。
頭部の傷口には触れず、熱く蒸したタオルで体を拭いてゆく。
「……?」
おや、と看護師は思った。ザンヴィルの体が、小さく動いた気がしたのだ。
しばらくじっとして観察していたが、もう一度動く気配は無かった。
気のせいか―――。
そう思い直し、清拭を続ける。
そうしていると、扉を開けて、もう一人、看護師が入ってくる。
「お疲れ。交代だよ」
「ん、ああ……もうそんな時間か。ありがと。清拭だけ終わらすね」
看護師が、テキパキと体を拭いてゆく。
もう一人の看護師は、医務室内の椅子に腰かける。
椅子の背もたれを抱きかかえ、話し始めた。
「そういえば、マズトンを攻めに行った人たち、苦戦してるらしいよ」
「へえ?やっぱり大きい都市だと、守りも固いのかな。みんな無事に戻ってきてくれるといいけど……ん?」
マズトン、攻める、という単語を聞いたからだろうか。ザンヴィルの体が、目で見える程度に動き出した。
「ちょっ……大変!医術師の先生呼んで来て!!」
同僚の看護師は、転げるように部屋を飛び出してゆく。
「ざ、ザンヴィル様!大丈夫なんですか!?」
看護師がおろおろと聞くと、ザンヴィルはゆっくりと上体を起こした。
顔を両手で押さえ、深く溜息をつく。
「俺は……どうなったんだ?」
医術師が、扉を跳ね飛ばして医務室に入ってくる。
「ザンヴィル様!お目覚めになりましたか!ご気分はいかがですか!!」
興奮した様子で気分を伺う。
「あ……ああ?少し体はだるいが、特に問題は無い。
それより、俺はなぜここに……?マズトン攻めはどうなったんだ?」
「いや、目を覚まされて本当に良かった!
ええと……それと、ザンヴィル様はどうなさっていたかと言うとですね……」
医術師は、ザンヴィルが昏睡してから今までの流れを、かいつまんで伝える。
「そうか……ダラードが俺をな。それで、エギン達は、上手いこと事を運んだのか?」
「ええ、それがですね……。いや、私は従軍はしていないので、風の噂にはなるのですが―――
どうも苦戦を強いられているようです。騎士団のほかに、なぜか教団や、意図していない犯罪組織からも戦闘を吹っ掛けられたとか……」
「……っ!」
ザンヴィルは、やおら寝台から降りて、立ち上がる。
少しふらついた。医務室から出ていこうとする。
「な、何をなさっているんですか!
ザンヴィル様は、食事もとらずに長時間昏睡なさっていたのです!しばらくは絶対安静にして、体力を養ってください!」
医術師が引き止めるが、ザンヴィルはそれをそっと押しとどめる。
「いや……エギンやチェチーリアが戦っているのに、俺だけがのうのうと寝ているわけにはいかん。お前もメラムトオーク族なら分かるだろう」
「それはそうですが……私はメラムトオーク族ですが、その前に医術師です。無茶をしようとする患者を放置などできません!」
医術師は、扉の前に立ちふさがる。
ザンヴィルは、退く様子の無い医術師を見て、頷いた。
「……分かったよ。少し、体を休めてから出発することにする。確かに腹も減ってるしな。
でも……飯を食って半日ほど休憩したら、行かせてくれ。どっちにせよ、戦場を他人に任せたままだと、落ち着いて休憩もできそうにない」
「ああ、良かったです……」
医術師は、ほっと胸を撫で下ろすと、近くで行く末をはらはらと見守っていた看護師に言う。
「と、いう訳だ。ザンヴィル様に、喉を通りやすいもの……そうだな。スープと柔らかめの雑炊を持ってきてくれ」
看護師は、頷くと部屋を飛び出していった。
待つほどの事も無く到着したその食事を猛然と平らげる。
その勢いは、見ている医術師と看護師も目を丸くするほどだった。
確かに、昏睡状態では食べることもできないから、空腹ではあるだろう。
しかし、普通、覚醒したばかりでは、こうも喉を通らないはずだが……。
ものの数分で食事を取り終えると、手を合わせて食物に感謝の意を表したのち、器と食器を置いた。
「食事の用意、世話になったな。半日間、軽く集落を歩いてくるとする。
それが終わったら、マズトンへ赴く」
ザンヴィルの顔は、決意に満ちていた。
こうなったザンヴィルは、止めることができない。
それが分かっている医術師は、頷くしかない。
「分かりました。しかし、くれぐれもお気を付けください。
貴方が意識を取り戻した時、私たちは非常に嬉しかったのです。
また、元気な姿でお会いできることを……。信じています……」
俯いてしまった医術師と看護師に、ザンヴィルは笑顔を向けた。
「案ずることは無い。ダラードには、兄弟だから不覚を食らったところもあるが……。
そうでなければ、この俺が遅れをとることなど有り得ない。では……行ってくる」
確かな足取りで、医務室を後にする。
看護師は、不安そうに医術師に聞いた。
「ザンヴィル様……本当に大丈夫でしょうか?」
「ああ、信じるしかない。
どちらにせよ、私たちができる事は、皆が戻って来た時、すぐさま治療の体制に入れるようにすることだ。
……忙しくなるぞ」
医術師は、改めて自分の使命の大きさを認識する。
戦場には立てずとも、ザンヴィルはじめ、メラムトオーク族の誇り高き戦士たちの凱旋を、温かく迎え入れる―――。それが、自分の使命だ。
自分の頬を、ぴしゃりと叩く。
「さあ、皆がいつ帰ってきてもいいように、薬と包帯の整理と準備を進めておこう!」
看護師を伴い、医務室を出る。
彼らもまた、戦士の一員なのだ。