決断
「よお、ヴィクター……。お前がマズトン騎士団に異動して来てから、まさかこんなことになるとは思わなかったぜ。人生何があるか分からんもんだな」
バガンは力なく笑う。
その大柄な体躯が、少し萎んで見えた。
「……」
ヴィクターは答えることができなかった。
悪いのは汚職をしていた貴方たちだ。とでも言い放てば良いのだろうか。
しかし―――。
あのシスター、ナサニアに言われたから、という訳ではないが、バガン達から見たら、確かにヴィクターを恨む気持ちも分からないではない。
しばらく、黙っていた二人だったが、おもむろにバガンが口を開く。
「……ジェリコーさんがな、死んだんだ」
「えっ」
思わず、驚いてバガンの目を見る。
「汚職の大元がここの教会にいるって一人で入っていったんだが……。
どうやらそこで殺されたようだ。教会の庭に埋められたよ」
バガンは、俯きがちにぽつり、ぽつりと話し始めた。
「ジェリコー上級騎士……あのおっさんの下で働いてた時は、偉そうでいけ好かない小物だと思ってたんだが……。
ずっと仕事してく内に、何だかんだで情が移ってたんだろうな。あのおっさんが死んだと思ったら、何だか力が抜けちまった」
ふう、とバガンは息を吐く。
「俺は、20才過ぎた辺りで、マズトン騎士団に入った。
最初の10年くらいは、治安が凄く悪くて、務める騎士の士気もそりゃあ低かったもんだ。
そんなんだから、皆てんでバラバラさ。ジェリコーさんが来るまでも、結構汚いことは行われてたんだぜ。
でも、ジェリコーさんが上級騎士でやって来て……。
そこから、汚職が本格的に始まったな。
薬を作ったり流したり、商人や中央から金を巻き上げたり……。
最初は抵抗があったが、仲間たちと悪事を働くってのは、結構スリルがあって良かったな。
実際、それで騎士団内の結束が高まった面はあった。
また、騎士団が犯罪組織を牛耳ることで、ある程度の秩序が生まれたんだ。
……皮肉なことに、汚職をして初めて、マズトンは組織としての一体感を手に入れたって訳だ」
バガンは唇をゆがめる。
「でもまあ……。確かに、こんなもんいつまでも続く訳はねえやな。
そろそろ、年貢の納め時ってところか……。俺は、どうすればいいんだろうな?」
バガンは、途方に暮れた表情で呟いた。
ヴィクターは、バガンの目を真っすぐ見た。
「自分と……中央騎士団に来てくださいませんか?」
「中央騎士団に?……ふむ。俺を犯罪者だと突き出すつもりか?」
「いえ……。違います。バガンさんは、マズトン騎士団の有力騎士です。
不正に関する知識は相当なはず。だから……その内情を中央騎士団に告発して、全てを糺す、その一歩を頂きたいのです」
バガンは固まる。
「……こう言うのもなんですが、今、マズトンでは、イラ・シムラシオン教や”魔術の贄”が大挙して押し寄せています。
状況証拠の推測となってしまいますが……、恐らく、奴らの狙いは、汚職の証拠の抹消です。
そして―――、抹消とは、書類に限らない、と考えています」
ヴィクターは、唇を舐め、続ける。
「つまり……マズトン騎士団で機密を知る者も、闇に葬られる可能性があります」
「……そうか」
バガンは、縁石に腰掛ける。
軍衣の懐から、小袋を取り出した。
「それは……?」
ヴィクターの問いに、バガンが答える。
「お前の言う通り、イラ・シムラシオン教との汚職のやり取りも何度もあった。
それも含めた、不正の履歴や、それに使った印鑑や割符をしまってある袋だ……。
一応、極秘のものなので、肩身離さず持ち歩いていたんだが、まさかこういった形で役に立つとはな」
バガンは、すっと立ち上がると、ヴィクターに告げた。
「ああ、分かった。中央騎士団に行こうじゃねえか。
そこで、全てを―――、裁きにかけよう」
バガンの瞳は暗かったが、まだ、少し光が残っている。
全てを諦めたという訳ではなさそうだった。
ヴィクターは、神妙に頷いた。
二人で、チェチーリアの元へ戻る。
不安そうにこちらを見ていたチェチーリアに笑顔で手を振って見せる。
彼女は、ほっとした顔でジェサレットから飛び降りた。
「ヴィクター。話は無事に終わったの?……こちらの方は?」
「ああ、バガンさんって言って……。マズトン騎士団の有力騎士の方なんだ。
今回、一緒に中央騎士団に行ってもらうことになった」
「そういう事だ。よろしくな……。ヴィクター、このオークの娘さんは何なんだ?」
「そうですね……移動しながら話しますよ」
3人は、ジェサレットに乗って移動し始める。
小山のような体格を持つジェサレットは、3人を背中に乗せても、なお余裕がある素振りで歩を進める。
道中、これまでのあらましをバガンに伝える。
バガンは、驚いたり感心していたりした。
もう、中央騎士団詰所は、目と鼻の先だ。
すべてを打ち明け、裁きをかける。
激動する状況の中、停滞は許されない。
勝利の女神は、果たしてどちらに―――。
そこまで考えたところで、ヴィクターは、ふと、自分の首の傷跡をなぞった。
そうか。幸運の女神なら、こちらについているのだ。