バガン
バガンは、中央都市で途方に暮れていた。
あの夜、教会に入っていったジェリコー上級騎士が、その後しばらくして出てくるのを見てしまったのだ。―――死体と化した彼の姿を。
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ジェリコーが教会に入ってから数十分。
おもむろに教会の扉が開く。
教会の不気味さに気圧されていたバガンは、思わず近くの茂みに身を隠した。
結論から言うと、この選択は正しかったことになる。
教会の扉から現れたのは、ジェリコーではなく、夜目にも分かる美しいシスターだった。
彼女は、後ろに数人の教徒を引き連れていた。
教徒たちは、何かを担いでいる―――。
バガンは、それに気が付いた瞬間、悲鳴を上げそうになるのを何とか飲み込んだ。
彼らが運んでいたのは、人間だった。
頭を頭巾にくるまれてはいたが、服装からしてジェリコーだっただろう。
頭巾の頭頂部のあたりは赤く染まり、手足は力なく垂れ下がっていた。
シスターは、その教徒たちに指示を出す。
彼らは、教会の庭の隅へ行くと、シャベルを使って穴を掘り始めた。
人一人が横たわれる程度の穴を掘り終えると、教徒たちは数人でジェリコーの死体を抱え、穴の奥に落とした。その上に土をかけ戻すと、シャベルと足で踏み固める。
ジェリコーの始末を終えると、シスターは教徒たちを連れ、足早に立ち去った。
ものの数十分で、彼の痕跡は跡形も無く消え去った。
まるで、悪い夢でも見ているような、現実味の無い出来事だった。
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それから1週間。
バガンは、どうすることもできず、中央都市で立ち往生していた。
マズトンに戻るべきか?
いや、しかし、そもそもが増援を得るために中央都市に来たのだ。
今さら、増援も得られず、ジェリコー上級騎士が殺されました、と言って戻れるものか?
そもそも、マズトンはもう、”革命軍”に占領されているかもしれない。
バガンはため息をつく。
正直言って彼は疲れ切っていた。
出発するときに持ってきた干し肉も既に切れ、食べる物さえ覚束ない。
……いや、すでに食欲もない。
力なく石畳を見る。
これも、長年、マズトン騎士団で汚職に関わってきた報いなのかもしれないな、とぼんやり思った。
俄かに、都市の入り口の方で騒ぎが起こる。
普段ならば気にもかけないところだが、その時は何となく、騒ぎに引かれて、ふらふらとそちらの方へ歩いて行った。
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中央都市に着くまでの道中、ヴィクターは、チェチーリアの操る軍猪、ジェサレットに乗っていた。
無事、3日もかからずに、中央都市に到着する。
一見したところ固そうな体毛は、意外と座り心地がよく、地面からの衝撃を程よく吸収してくれた。
結構な速度で駆けてきたはずだが、それを感じさせないほど、丁寧な走りをしてくれたのだ。
「チェチーリア、ありがとう……。この猪、すごいね」
「まあ、幼い頃からの付き合いだからね。意思疎通もばっちり。今が頑張り時だって分かってくれてるんだよ」
チェチーリアは、そう言うと、ジェサレットの頭を優しくなでる。
ジェサレットは満足げにぶるる、と鳴いた。
そのまま、都市の入り口を進む。
「ねえ、あの猪、なに?」
「うわあ、大きい!」
「お姉ちゃんたち、どこから来たの?」
入り口の門を超えると、いつの間にか、ジェサレットの周囲に、子供たちが集まってきた。
中心都市の周りでは、こんな大きな猪はいない。物珍しさで集まってくるのも道理と言えよう。
子供たちは、ジェサレットの牙や顔を、ぺたぺたと触りまくる。
親たちは慌てて止めに来たが、ジェサレットが暴れたりしないと分かると、大人たちも興味深そうに見物し始めた。
「あはは……お姉ちゃんたちはね、マズトンって所から来たんだよ。
いまから、騎士さんの所に、お話をしに行きたいんだけど、場所は分かるかな?」
チェチーリアは、子供たちに優しく語り掛ける。
大人たちは、『マズトン』という単語を聞いて、ぎょっとした表情を浮かべていた。
おそらく、バラ撒かれたビラを見たのだろう。厄介なことに巻き込まれたくないとばかりに、子供たちを抱いて逃げるように去っていった。
「あら……。まあ、仕方ないよね」
チェチーリアは苦笑を漏らす。
ヴィクターは、立ち去った人混みの中で、一人、立ち去らずに突っ立ち、こちらを見ている人物に気が付いた。
あれは―――。
「バ、バガンさん……」
ヴィクターは呟く。
マズトン騎士団の有力騎士であるバガンが、なぜここに居るのだろう?マズトンから抜け出してきたのか?なぜ一人でここに?
しかも憔悴したような顔をしている。
脳裏に疑問が渦巻く。
しかし、戸惑っているのはバガンも同じようだった。
ヴィクターと同じように、硬直してどう反応していいのか分からないようだった。
チェチーリアは、その二人の顔を見渡す。
バガンが敵対したり、逃げ出したりする素振りを見せないのを確認してから、声を上げる。
「……よく分からないけど、戦うつもりじゃないみたいだし、話し合ってみたら?」
ヴィクターは頷く。
一応、バガンとは立場的に敵対しているが、今現在剣を構えていない者と戦う趣味もない。
腰に差した片手剣をチェチーリアに預け、両手を上げたまま、ジェサレットから降りる。
「ど、どうも、バガンさん。お久しぶりです……。お元気でしたか?」
なんとも間抜けな問いかけだが、これがヴィクターの精一杯だ。
バガンは、それを受け、ゆっくりと口を開いた―――。