イラ・シムラシオン教
ジェリコー上級騎士は、ビラがバラ撒かれてからの事を、かいつまんで話し始めた。
閉じた小窓の向こうにいるはずの汚職聖騎士は、適度に相槌を入れながら聞いている。
一通り流れを話し終わると、ジェリコーは一息つく。
「……と、いう訳なんです。つきまして、中央騎士団の方から、なにとぞ増援を頂きたくお願いをしに参りました……」
閉じられた小窓の向こうへ頭を下げる。
見えるわけではないが、頭を下げるだけならタダだ。
「なるほど。事の次第は分かりました」
涼やかな声が答える。
いつも思うが、汚職聖騎士とは言え、美しい声だ。この声の持ち主は、一体どんな人物なのだろうか?
「つまり、貴方は―――」
声は無情に続ける。
「行ってきた悪事を市民にブチ撒けられ、オーク族の侵入を許し、”融解連盟”に寝首を掻かれ、挙句、自分のケツも拭けず、厚かましくも私たちに泣きついてきた……こういう理解でよろしいですか?」
その声には恐ろしいほど感情が無く、平板であった。
思わずジェリコーは焦り、早口になる。
「……っっ!い、いえ!いや、結果的にはそうなるのかもしれませんが、私共は、全力を尽くしまして、それでも僅かに力及ばずと言いますか、結果だけでなく、過程を見て頂きたいと言いますか、その」
慌てて言い募るジェリコーの小窓の向こうで、立ち上がり、去ってゆく気配がする。
「お、お待ち下さい!なにとぞ、何卒お慈悲を!」
ジェリコーは、小窓を拳で乱打した。
すると、彼の後ろで告解部屋の扉が開いた。
「そんなに叩かずとも、聞こえていますよ」
あの、涼やかな声が、壁を通さず、直にジェリコーの耳へ入ってきた。
壁を隔てないその声は、さらに澄み、まるで心地よい音楽のように響いた。
ぎょっとして、ゆっくりと振り返る―――。
そこには、修道服をゆったりと纏った、一人のシスターが立っていた。
シスター?
ジェリコーは混乱する。
俺が話していたのは、汚職聖騎士ではないのか?では……こいつは?
「ジェリコーさん。残念です。今まで数多くの便宜を貴方に図って参りました。
しかし……。貴方はやはり、上級騎士という器ではありませんでしたね。
身の丈に合わない大役を押し付けてしまった事、謹んでお詫びいたします」
そのシスターは、楚々とした仕草で腰を折る。
ジェリコーは、この展開に理解が追い付いていない。
固まったまま、口をぱくぱくと動かしている。
「その代わりと言っては何ですが……。
貴方には、神の赦しを与えましょう。
そこに跪いてください」
シスターは、背後からメイスを取り出した。
ゆっくりとした動作で、メイスを頭上へ掲げてゆく。
ジェリコーは、メイスを構えるシスターを、呆然と眺めていた。
美しい。
松明の温かい光に照らされ、そのシスターはまるで後光を背負っているようだった。
シルクのような白銀の髪は、火の光の元では、燃え上がるように輝いている。
ジェリコーは、催眠にかかったように、ゆっくりと膝を折り、シスターに許しを請うように両手を合わせた。
メイスを頂点に構えたシスターは、慈母のような笑みを浮かべた。
「貴方のこれまでの功績、決して軽んじているわけではないのですよ。
しかし、今回の失態は、それを帳消しにするほどのものだった、という事です……。
さあ、安らかにお眠りください」
メイスが振り下ろされる―――。
それはジェリコーの脳天に炸裂する。
頭蓋骨を粉砕し、髄膜を引き裂き、脳髄を破壊した。
床に飛び散った血液と脳漿が、まるで彼岸花のように広がった。
メイスを軽く振り、ついた血やその他を飛ばす。
告解部屋に入ってきた人物にそれを渡した。
シスターは呟く。
「……マズトンが革命軍と名乗る不届き者に襲撃されています。
また、告発のビラは、中央都市にもバラ撒かれております。
……このままでは、中央騎士団の監査部隊が動き出し、我々の悪事も表に出る可能性がありますね」
メイスを受け取った人物は、一歩シスターに近づいた。
すると、陰に隠れていた顔が、松明の光により照らしだされる。
少しやつれた頬、窪んだ眼にぎらつく眼光、色素の薄い長髪は後ろで束ねられており、その耳は尖っている。
―――エルフ族の特徴だ。
「そうか?聡明なるシスター・ナサニア。
すると、中央の監査部隊が動く前に、方をつけないといけない、という事だな?」
「ええ、そうですね。ルブラン司教。
中央騎士達が対応を決めあぐねている間に、革命軍を叩き潰し、汚職の証拠の一切を焼き払うべきでしょう」
ナサニアと呼ばれたシスターは、被っていたフードをずり下げる。
そこから、尖った耳が覗く。
「実を言うと、”魔術の贄”から、マズトンの情報は入ってきています。
現在、マズトン騎士団は、オーク族と”融解連盟”によって、劣勢に立たされているようです。
こうなれば、諜報機関として使ってきた”魔術の贄”も戦力として投入し、全力で革命軍を排除すべきでしょうね」
「ああ、分かった……。では、進軍の旗振りはナサニアに任せよう。
私は、中央騎士団と話し合い、少しでも監査を煙に巻くようにしてくるよ」
「承知しました。では、私は、武装教徒を編成し、急ぎマズトンに進軍いたします」
ナサニアは頷くと、告解部屋を足早に立ち去る。
それを見送ると、ルブランと呼ばれた司教は、軽く息をつき、倒れ伏すジェリコーの亡骸を見つめる。
とっぷりと日は暮れ、雷が鳴ったかと思うと、雨が横殴りに振りだした。
教会は闇と雨の中、変わらずその威厳で立ち続ける。
国教、イラ・シムラシオン教―――。
その神秘のベールはまだ、破られそうにない。
ここで出てくるイラ・シムラシオン教について、第11部分「神聖救護院」で出てきていますので、良ければそちらも見ていって下さい。