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花香

 湯に浸かったり、体を洗ったりしてのんびりとした時間を過ごす。


 しかし、いつまでもこうしてはいられない。



「……さて、そろそろ出ようかな」


 チェチーリアは、そっと腰を浮かす。


 会議に出るまでに厩舎に寄るつもりだ。

 自分の軍猪であるジェサレットの世話をしに行かなければならない。


 ジェサレットは図体こそ大きいが、意外と寂しがり屋なのだ。基本的な給餌や清掃は厩務員が行っているが、実践的なトレーニングは、チェチーリアが行かなければしようとしない。そのため、定期的に厩舎に通っているのだ。



「そう?じゃあ私も出ようかな」


 ギュナも同じように浴槽から出た。



 髪を絞りつつ脱衣所に戻る。干したてのタオルを一つ取り、体を拭く。

 太陽をよく浴びたそれは、濡れた体をすぐに乾かす。


 手を動かしながら周りを見るともなくみていると、ある小瓶が目についた。



 最近、市場で流通し始めた香油だ。



 市場で店主を務めている、サフィアさんから聞いたことがある。


 癖のない植物油に、香りの良い花や葉や果実を長時間漬け込んだものだそうだ。

 そうすると、油自体に芳香が移り、香油となる。


 その香油は、体に薄く伸ばして使うらしい。


 話によると、良い香りが自分から漂うので、周囲の人に好印象を与えるのだとか。


 積極的に聞いたことはないが、どうやら集落の女子たちの間で、流行り始めているらしい。



 香油の小瓶を手に取る。どうやら試供品のようだ。

 ちょうど、サフィアさんの店が置いていったらしい。


 ラベルを見ると、爽やかな花の香りと書いてあった。


 小瓶の外からでも、微かに芳香が漂っていた。



 香油の瓶をじっと見つめていると、着替え終わったギュナが近づいてくる。



「ん?チェチーリア、何見てるの?」


 首を伸ばし、手元の小瓶を覗き込む。


「香油?……ふうん」


 ギュナは、チェチーリアの手から、そっと小瓶を受け取ると、手に垂らす。

 どうするのかなと見ていると、やおらチェチーリアの首に手を伸ばした。



「ひゃ、冷たい」


 さらさらとした香油を、チェチーリアの首筋にそっとぬってくれた。


 ひとしきりぬり終ると、満足そうに小瓶の蓋を閉める。


「せっかく試供品で置いてってくれたんだから、使ってみたら?気に入ったら買ってあげようよ。

 ―――確かにいい匂いだね」


 ギュナは、手に着いた香油の匂いを嗅いでいる。



 周囲に漂う清潔な花の香り―――。


 それが自分のつけた香油から漂っているのだ。

 どことなく気恥ずかしさを感じた。


 しかし―――、新しい自分と出会えた気がして、これはこれでいいかもな、と思った。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ヴィクターは、今日も馬房の掃除に勤しんでいた。


 汚れた寝わらを取り換え、馬具の準備をする。

 既に運動を終えた馬の体を洗うため、ブラシと桶を持ってきた。



 そこで、先日から仕事を教わっている厩務員の先輩オークが近づいてくる。



「よお、ヴィクター。頑張ってんな。さっき運動から戻ってきた馬の調子はどうだ?」


「あ、ムクタルさん……どうもです。機嫌はいいようですよ。足取りも軽やかでした」


「そうかそうか。しかしよお。お前はよく働よな。ヒト族ってのはそんなもんなのか?」


「いえ……自分はある意味捕虜のようなものですから。真面目にもなります」


 ヴィクターは苦笑する。ここの厩舎の従業員には、エギンからヴィクターの立場は伝えられていた。



「気にすんなって。まあ、お前からしたら気にはなるだろうがな……。

 親睦として一緒に風呂にも入った仲だ。仲良くいこうぜ」


 ムクタルは邪気の無い笑顔で、ヴィクターの肩をぽんと叩く。



 そう。ヴィクターは驚いたが、ここ、メラムトオーク族の集落では、高度な浴場技術が発展していた。



 昨日、厩舎に連れられてきて緊張していたヴィクターを、厩舎の管理人と、他の厩務員達が公衆浴場へ連れて行ってくれた。


 正直言って、ごく田舎の集落に立派な浴場があるなどと想像もしていなかったヴィクターに、オークの厩務員たちは、「そんな物も知らないのか」と言いつつ、楽し気にあれこれ教えてくれたのだ。



 お陰で日々の疲れと緊張は取れて、意外と楽しい時間を過ごすことができた。



「まあしかし、一応都市で騎士をやってたんだろ?それで馬に乗れないってのは驚きだよなあ」


 ムクタルは、感心したような呆れたような声で言う。

 ヴィクターが馬に乗れないという話は、昨日、浴場内で出た話だ。


「ぐ。確かに、内勤ばかりしていましたからね……。その辺は弱いですね」


「まあ安心しろって。俺たちがみっちり教えてやるからよ……っと、あれは姫様か?」



 ムクタルが手を目にかざし、目を凝らす。

 ヴィクターもそれにつられ視線を動かすと、集落の中心部から厩舎へ歩いてくるチェチーリアが見えた。



「あ……。そう言えば、姫様は、ご自分が世話して見える猪の様子をたまに見に来るって聞きました」


「なんだ。管理人のおっちゃんから聞いたのか?そうだぜ。挨拶しに行くか。お前も来いよ」


 歩き出すムクタルについて、チェチーリアの元へ行く。




「どうも!姫さま。今日も軍猪のお世話ですか?ご精が出ますなあ」


「ああ、ムクタルさん。お邪魔しますね……。っ、ヴィクター?」



 チェチーリアは、ムクタルの後ろにいたヴィクターに気付き、戸惑ったような声を上げた。


「ええ。こんにちは。姫様。エギンさんに言われまして、しばらくこの厩舎でお手伝いをさせて頂いています」



「そ、そうでしたか。すみません。まさか、ここで貴方と会うとは思いませんでしたので……」


 チェチーリアはふっと俯いて答える。


 彼女が首を動かした時、ふわっと花の香りが広がった。



 ……こんなところで花?

 理由は分からないが、良い香りだと思った。




 3人は、チェチーリアの軍猪であるジェサレットの房まで歩く。


 その間に、何度か言葉を交わす機会があったのだが、チェチーリアはヴィクターと顔を合わせることはなかった。



 何か機嫌を損ねる事でも言ってしまったのだろうか?


 ヴィクターは首をひねるが、特に思い当たることはなかった。

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