騎士団の決断
翌朝。まだ朝靄のかかる早い時間。
コーは後ろにキリレアの長老・マシューズを乗せ、マズトン騎士団詰所の近くまでやって来た。
「さあ、着きました……。
長老。貴方の集落に、オークが迫っていることを騎士団に伝え、助けを求めなければなりませんよ。分かっていますね?
あと……オーク族の本隊を見たのは、長老本人だということにしておいて下さい。旅人の又聞きだと言ってしまって、変なところで疑われても時間の無駄ですからね」
「あ、ああ。大丈夫だ。ここまで連れて来てくれて、礼を言うぞ。旅人よ」
そう言うと、マシューズは馬から降りる。
詰所前で、舟を漕ぎつつ立哨している騎士へ近づいてゆく。
自分の顔を騎士に見られるわけにはいかないので、陳情にはマシューズ一人で行ってもらうことにする。
コーはマシューズが騎士へ話しかけたのを見届けると、物陰へと消えた。
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「すみません!おはようございます!……実は、騎士団の皆さんにご相談したいことがありまして」
マズトン騎士・ケインは、はっと目を覚ます。
どうやら、立哨したまま眠りこけていたようだ。
「ん?ああ、何だ?というか、じいさんは誰だ?」
目を擦り、欠伸を噛み殺しつつ尋ね返す。
目の前にいたのはエルフ族の老人だった。小奇麗ななりをしており、この辺ではあまり見かけない人種だな、と思った。
「ええ……わ、私は、この近くのキリレアという集落の長老をしております、マシューズという者です。
そ、それで、私の集落が、オーク族に襲われようとしているのです!騎士団の方、どうか、どうか助けてください!!!」
マシューズ老人は、頭を擦りつけんばかりに土下座する。
オーク、という単語を聞き、ケインの頭は一気に覚めた。
「ちょ、ちょっと待ってろ」
マシューズを詰所の前に待たせたまま、急いで詰所内へ駆け戻る。
机に足を投げ出し、つまらなさそうに本を読んでいるダドリーへ報告する。
「ダ、ダドリーさん!今、近くの集落の長老って人が来まして、どうやらオーク族に襲われようとしているって言ってるんですが……」
「んあ?何だそれは。ガセかもしれねえだろ。とりあえず話を聞いてみるか……」
ガセかも、と言いつつ、ダドリーの表情は少し硬くなる。
椅子から立ち、近くの書棚から、住民台帳を持ってきて開く。そこには、確かにマシューズという老エルフがキリレアの長老だと記されてあった。
二人でマシューズの元へ戻る。
「いやあ、どうもお待たせしました。えーと、マシューズさん?
集落がオーク族に襲われようとしている、ということでしたが、もう少し詳しく教えて頂けますか?」
ダドリーは、にこやかな笑顔で尋ねる。
冷たい水の入ったコップを差し出す。
マシューズは慌てて水を飲み、咳き込みながら答える。
「ええ……これは昨日の話なのですが、4千人ほどのオークの軍隊を集落の外れで見かけたのです。更に、その夜には、数十騎の斥候兵を見かけました!」
マシューズは、鬼気迫る表情で捲し立てる。
ダドリーとケインは顔を見合わせる。これはただ事ではない。
「ふむ……ジェリコー上級騎士やバガンさんにも話を聞いてもらうか。
マシューズさん。詰所の中でもう少し詳しくお聞かせ願えますでしょうか?」
ダドリーは、マシューズを詰所内へ誘う。
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マズトン騎士団詰所会議室。
結局、主だった騎士と、”窮者の腕”幹部が集められた。
急遽集められた参加者たちは、不満気な顔をしているものも多い。
「ふむ。ただでさえオーク対策で最近は忙しいのに、何の用だ?」
ジェリコー上級騎士は、不機嫌に鼻を鳴らす。
「まさに、そのオーク族についてです。新情報が出まして……。
こちらは、近くの集落、キリレアの長老さんです。さあ、話してください」
ダドリーがマシューズを紹介し、促す。
マシューズは恐縮しながら、先ほど話したことを繰り返した。
「ふむ。なるほどな……バガン、どう思う?」
ジェリコー上級騎士は、傍らのバガンに問いかける。
「まあ、あながちあり得ない話でもないでしょう。最近は少なくなっていましたが、メラムトオーク族の横暴は今に始まったことではありませんから……。
しかし、これはまずいですな。これでまた、キリレアを奪われたら、一段とオーク族は勢い付くでしょう」
「もっともだ。
ふん。待てよ……?4千人のオーク軍か。その程度なら、逆に待ち伏せで、罠にかけて潰してやることも可能なのでは?」
ジェリコー上級騎士は指を鳴らす。
「そうだ……敵の勢力は削げるうちに削いでおくに限る。”窮者の腕”と合同で5千人程度の軍を派遣し、キリレアで伏兵を敷こう!
……どうだ?何か意見のある者はいるか?」
ぐるりと会議机を見渡す。
取り立てて反対意見を述べる者もいない。
ジェリコー上級騎士は、得心したように頷く。
「―――よし、なら決まりだ。
そうだな、騎士団2千人、”窮者の腕”3千人をキリレアへ派遣する!
現場の指揮は、そうだな。ジョゼ、行けるか?」
銀髪の騎士へ視線を向ける。
ジョゼと呼ばれた、優男風の騎士は、承りましたとばかりに敬礼してみせる。
「よし、”窮者の腕”は、兵隊を出してくれること、騎士団指揮下に入ってくれること、お願いできますな?」
”窮者の腕”代表者・アセナへ鋭い目を向ける。
アセナは肩を竦める。
「仰せの通りに……。その分、請求はさせて頂きますが、それは構わないですね?」
「ああ、構わん。どうせ国の金だ。好きに使うがいい」
「ふん……。ありがとうございます」
アセナは礼を言うと、髪を掻き上げ、足を組み替えた。
緩やかなスカートが、形の良い引き締まった脚につられ、ふわりと動く。
「さて……これでキリレアで、オーク族の鼻っ面を張っ倒すチャンスを得たわけだ」
ジェリコー上級騎士は、立派な口髭をひねりつつ、椅子の背もたれに深く腰掛ける。
「密輸では不意打ちを食らい、やられてしまったが……今度はこちらから伏兵を仕掛け、完膚なきまでぶっ飛ばしてやる」
不敵に笑みを浮かべる―――。
これが、”融解連盟”の仕組んだ罠とも知らずに。
そしてこれが、マズトン戦争の火蓋となる。
その日は近い。
争いと死が、靴音を立てて近づいてきていた。