ダラード
同時刻・メラムトオーク族集落近くの深い森で。
周囲を覆う木々、闇の中で、実兄を叩き伏せて逐電したダラード一行が潜んでいた。
潜んでいたといっても、4千人の大所帯だ。静寂とは対極の様相ではあるが。
さらに、ダラードに従い、集落を離反したのは、札付きの荒くれ者ばかり―――。
当然、4千人も固まっていれば、自然に小競り合いは起こる。
現に今も、そこかしこで殴り合いの騒動が起こっているが、当のダラードにそれを気に掛ける気配は無い。
それより、ダラードは、自分を縛る集落から抜け出せたことを非常に爽快に思っていた。
今まで、どれだけ暴れても、奪っても、犯しても、満たされない気持ちが心のどこかにあった。
それはこれだったのだ―――。
どう足掻いても、自分は”メラムトオーク族”に属しているという窮屈感。それこそが自分を縛っている鎖だったのだ。
その場の流れとは言え、血族の象徴ともいえる兄をぶっ叩き、自分を縛る枷から抜け出すことが出来た。
これで俺は自由だ。何をしてもいい。ダラードは大声で笑う。
意味もなく暴れ出したい気分だ。
すると、近くにいた若いオークが口を出してくる。
「ダラードさん、俺たち、せっかく自由になれたんスから、早速どっか襲いに行きましょうよ!
俺、口うるさい隊長とかのやつらの居ないところで、思いっきり暴れてみたかったんすよ!」
興奮し、口角泡を飛ばしている。
「うるせえ、俺に指図するな」
ダラードは、若いオークの頭を殴り飛ばす。
若いオークは前につんのめり、岩に額を強打して動かなくなった。
しかし、とダラードは思う。
せっかく自由になったんだから、余所の集落を襲いに行くというのは全く良いアイディアだ。
本家メラムト一族は、マズトン攻めに躍起になっているようだから、俺たちが余所の集落にちょっかいを掛けようが、こちらに気を掛ける余裕はないだろう。
ならば、あそこを襲うか。
ダラードは舌なめずりをする。
マズトンを攻める、という話が出る前に襲撃候補へ上がっていた集落―――、キリレアだ。
あそこは多分、エルフ族の集落だったはずだ。
エルフの女を襲うのも久しぶりだ、と下卑た笑みを浮かべる。
そうと決めたなら、この雑魚共をまとめ、一応戦力とせねばならない。
めいめいが好き勝手しているオークの荒くれ達に向かって、声を荒げる。
「貴様ら!よく聞け!明日、夕闇に乗じて、キリレアを襲うぞ!
好きなだけ暴れろ!今までのように、俺たちを縛るものは何もない!
存分に破壊しろ!抹殺しろ!踏み躙れ!!!
―――文句のあるやつはいるか?」
ダラードは、一同を睨め付ける。
文句など出ようはずもない。一瞬後には、割れんばかりの歓声が巻き起こる。
「ダラード様、流石だぜ!」
「おでは、たてもの、こわす!おんなも、こどもも、こわす!!」
「畜生、堪え切れねえ!」
オーク達は狂喜し、喧騒は一層極まる。
その声の中には、聞くに堪えない暴言や卑語も混じっていたが、当然ダラードは気にも留めない。
それよりも、目の前に迫って来た、自らの破壊願望と戯れる方が大変だった。
そう、今回、枷となるはずの兄弟は居ないのだ。
何をしても許される。俺を止める者はいない。
その事実がダラードを高揚させる。
顔面全体が緩み、笑みが広がる。
その際の彼の顔は、意外にも純粋で無垢だった。
そう、それはまるで、悪意無く蝶の羽を裂き、蟻の足をもぎ、トンボの頭を千切る―――。
穢れを知らぬ少年のようだった。