キリレア
「ここがキリレアか……。中々感じのいい田舎だな」
コーが呟く―――。
チェチーリアとギュナの先導で、小規模集落・キリレアへ到着する。
既に夕刻に差し掛かり、景色は赤く染まりかけている。
草原が一面に広がっており、古いレンガ造りの家がそこかしこに点在している。
家々の壁、屋根は苔むしているものも多かったが、それは不潔というよりも情緒を感じさせた。
農夫たちが談笑している。家畜が草をのんびり食んでいた。
―――この牧歌的な風景も、オーク族に襲われれば、たちまち地獄絵図と化すのだろう。
「ええ、この集落がキリレアです。私たちは、どうすればよいでしょうか?」
チェチーリアが尋ねる。
昨日から一睡もせずに移動と会議を行っていたため、彼女らの顔にはさすがに疲労の色が浮き出ている。
「ふむ……もうあんたらも疲れただろう。戻って様子を見ていてくれ―――、と言いたいところだが、最後にこれだけ頼まれてくれ」
コーはそう言うと、荷物鞄から弓を2張取り出し、二人に渡す。
顔を見合わせる2人に対して、コーは手筈を伝えた。
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キリレアの長老、マシューズは、パイプをくゆらし、暖炉の火を見つめる。
自らの豊かな山羊髭を撫でつけ、安楽椅子に深く腰掛ける。
彼は、この集落のゆったりとした時の流れを大変気に入っていた。
大した娯楽やイベントなどは無いが、その代わり、何かに追われ急くこともない。
このまま、何事もなく、静かに余生を生きたいものだ、とパイプを吸う。
上品な苦味の中に、微かな甘みを感じる。口で煙を転がし、味を愉しみ、紫煙を吹き上げる。
天井へと、渦を巻きつつ薄れてゆく紫煙を見つめる―――。
「長老、旅の人がお会いしたいだそうですよ」
部屋をノックもせずに、慌てたようにメイドが入ってくる。
もう長い付き合いになるが、彼女はあまり礼儀というものを重視していないようだ。
しかし、普段からそそっかしいが、今はいつも以上に焦っているように感じた。
「部屋に入る際はノックをしなさいというに……。で、旅人がなんだって?」
「えーと、どうやら……、オーク族がこの近くで、襲撃の準備をしているのを見たって……」
固い顔でメイドが伝える。
「な、なんだって!?」
マシューズは思わずパイプを取り落とす。
床に落ちてタバコ葉が散らばった。
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「どうも、お待たせしました……旅の方、この度はようこそキリレアへお越しくださった……」
応接室へ向かうと、そこには一人のハーフゴブリンが座っていた。
地味な感じの男だったが、身のこなしに隙が無い。これが旅人というものか、とマシューズは感心した。
というのも、わざわざこんな田舎の集落の長老宅へ尋ねてくる旅人などそういないのだ。
多少の警戒を抱きながら、旅人の話を促す。
「で……、何かを教えに来てくれた、とメイドに聞いたのですが」
「ええ。実はですね。偶然、この近くでオーク族が襲撃の準備をしているのを見てしまって……。
最近、オークによる集落襲撃が多いですよね?それで、ここも危ないんじゃないのかと思って、お節介かもしれないと思いながら、こちらへお伺いした次第なんです」
「そうですか……」
マシューズは顔を顰め、額を抑える。
ここ最近、近隣の集落がオークにより襲撃されている、というのは風の噂で聞いたことがある。そのどれもが悲惨な最期を遂げていることも。
ここ、キリレアもその標的になる可能性はあるだろう、とは思っていたが……。
何となく大丈夫だろうと、目を逸らし続けていたのだ。それが、今、襲撃の危機だと……?
額を抑えつつ、旅人へ尋ねる。
「なるほど。それは、確かに憂慮すべき事態だ……。
しかし、本当ですか?今まで、この集落は蛮族に襲撃されたことなどありません。何かの間違えでは?」
「今まで襲撃されたことがないから、これからも襲撃されないだろうと?本気で言っているのですか?」
旅人は、微かに嘲りを含んだ声で答える。
マシューズは、旅人のその態度にむっとしたが、何も言い返せなかった。
旅人は、真面目な顔に戻って言う。
「外に出てごらんなさい。オーク族の斥候が、まだこの近くにいるはずです……
奴らは、斥候を放ち、この集落をどう攻めようか考えているはずです」
「そ、そんなまさか……」
マシューズは、半信半疑で家の外へフラフラと出る。
日は沈んでおり、周囲は暗闇が支配していた。
キリレアは田舎であるので、街灯やその類は無く、星明りのみが光源だった。
すると、夜の闇に染まった中、何かが蠢くのが確認できた。
マシューズは、唾を飲み込み、目を凝らす―――
刹那、闇が矢となり、疾走する。
こちらに弓をつがえたオークの騎兵が見えた。
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慌てて家の中へ駆け戻るエルフ族の老人を見て、チェチーリアは弓を下ろす。
「……これでいいのかな」
同じく、弓をつがえていたギュナも下ろす。
「うん……とりあえず、早く戻って、皆に現状を伝えないとね」
そう言うと、疲れと眠気で倒れそうになるのを、首を振ってこらえる。
「だね。体力も限界だよ。急ごうか」
二人のオークは、メラムトオーク族の集落へ向けて走り出した。
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マシューズは、心臓が口から飛び出しそうな様子で捲し立てる。
「み、み、見ました!オークの騎兵が、数十人!こちらに弓をつがえて走ってくるのが!」
「ほう、やはりですか」
コーは頷く。
……外で待機してもらっていたのは、チェチーリアとギュナの二人だけのはずだが、どうやらこの長老は恐怖のあまり、本来より多くのオークを幻視したらしい。まあ、好都合というものだ。
「……この辺りの管轄は、マズトン騎士団のはずです。
助けを求められては?」
コーが口を出す。これで、キリレアの長老から、マズトン騎士団へ陳情させることが出来れば、策が一歩進む。
「オーク族の本隊は、4千人程いたと思います。助けを求めるなら、早い方が良いかと」
「あ、ああ!早く……、早く助けを求めなければ!」
マシューズは半狂乱になって喚く。
この平和な集落でのんびり暮らしてきたのだ。身に迫った恐怖を感じる機会は少なかったのだろう。その分、今の恐怖は大きいはずだ。
「分かりました……。私と一緒に馬に乗って行きましょう。いいですね?」
コーはほくそ笑む。
恐らく、この長老は騎士団へ迫真の気迫でもって陳情するだろう。
騎士団がそれに乗り、オークの逆賊共もキリレアへ攻めてくるのなら―――
面白いものが見れるはずだ。