指揮権委譲
ザンヴィルが、寝台の上で横たわっている。
肌掛けが胸までかけられており、それは規則正しく上下している。今のところ、命に別状はないとのことだが、意識は不明のままだ。
「……で、意識はいつ取り戻すんですかな?」
エギンは、医術師へ聞いた。
「いや、こればかりは分かりません。なんせ、頭部を思いっきりブン殴られて、頭蓋骨がへこんだのです。脳への衝撃は未知数ですから……どうなることか。髄液が漏れ出ていない分、幸運だったと言うべきでしょう。
正直言って、この頭蓋骨陥没には、これといって治療法はありません……。気を付けてみておいて下さい、としか言えません……では、これで……」
医術師は、もし目を覚ました際に使うかも、と痛み止めの薬だとかを置いて去っていった。
「くっ……困ったな。対マズトンの指揮を執っていたザンヴィル様が人事不省とは……」
エギンは頭を乱暴に掻く。ギュナは眉間に皺を寄せて唇を噛み締めている。
ヴィクターは、おずおずと自分の考えを述べた。
「えっと……、ザンヴィルさんの弟である、ヂュマルさんが指揮をする、というのは出来ないんでしょうか?」
「ふむ……そうだな。
まず、ヂュマル様は、”融解連盟”に協力を仰いでいることだとか、今までの流れをご存じない。
また、今回は大人しく聞いてくれたようだが、『略奪禁止』についても、どこまで理解があるか……
この状況で指揮を譲渡するというのは、危険だろうな」
「なるほど……では、エギンさんやギュナさんは?」
「あんたには分からんだろうが、このメラムトオーク族は、酋長の血筋こそが絶対的な権力を持つ。俺らのような三下が出張る訳にはいかんのだ」
「……と、いうことは」
「そうだな……」
エギンは、ちら、とチェチーリアの方を見る。
彼女は、いまだ憔悴の残る顔で、昏睡するザンヴィルを見つめていた。
「……あとは、チェチーリア様に、指揮権を引き継ぐか、だな」
「……私、やります」
話が聞こえていたのか、チェチーリアははっきりした声で言葉を発した。
「お兄様が志したマズトン制圧……私がやり遂げて見せます。
そうしたら……目を覚まして下さいますよね?」
悲しげな眼で兄を見つめる。
その姿に、一同は気持ちを新たにするのだった。
「さて……ここで現状の再確認をしよう」
ヴィクター、エギン、チェチーリア、ギュナの4人は、会議室に座り、状況のすり合わせを行う。
エギンは、腕を組み話し出す。
「我がメラムトオーク族の戦士2万人は、逆賊・ダラードの造反により、4000人程度が抜けてしまうことになるだろう。あの場で裏切ったのは、隊長格の奴らだけだが、子飼いの部下も当然裏切るだろうからな。
しかしこれは何も、残り1万6千人でマズトン攻めが出来るという訳ではない。
もし仮に、戦士たちが総力でマズトン攻めを行おうとした場合―――、血に狂ったダラードが、空になった我々の集落を襲うことは想像に難くない」
「なるほど……すると、せいぜい兵力の半分は集落に残しておかないと危険ですね」
「ああ……だが、そうなると、マズトン攻めの兵力は、せいぜい出せて1万人……ということになる」
エギンが天を仰ぐ。
「”融解連盟”の助力があるとは言え、僅か1万人で、騎士3万人と、”窮者の腕”4万人に立ち向かえるのか……?」
会議室に重苦しい空気が漂う。
「いっそ、”融解連盟”を切り捨てて、無かったことにするか……?」
エギンが呟く。
ギュナが何か言いたそうに、顔を上げる―――。しかし、思い直したのか、唇を噛んで俯く。
チェチーリアはそれを見て、エギンへ反論する。
「いえ……。ここまでしてくれた”融解連盟”を裏切るのは、信義に欠ける行為です。
仮に今回の襲撃を諦めるにしても、それを伝えねばならないでしょう」
「まあ、それもそうだ……何にせよ、俺らだけでは、良い案は出そうにない。
早いこと相談に行った方がいいかもしれないな。当然だが、この元騎士は面が割れてるからお留守番だぜ」
「ええ、そうですね……。分かりました。では、ギュナ。共に参りましょう」
チェチーリアはギュナを連れ、急ぎマズトンへ向かうこととする。
すぐさま椅子を立ち、急ぎ足で会議室を出てゆく。
会議室には、ヴィクターとエギンが取り残される。
二人は、黙って会議室の出口を眺めていたが、エギンが、ふと口から空気を漏らす。
「見てたぜ。茫然自失とした姫様を正気に戻してたな―――。
面構えも、拉致った時から何となくマシになったみたいだ。
―――どういう心境の変化だ?」
ヴィクターは、握った拳をゆっくりと開き、はっきりと答えた。
「時間は過去には戻せません……。なら、最善を尽くすしかありません。
自分は……、もう独り善がりに悩まないと決めました」
「へぇ……」
エギンが、口を歪めて、傍の水差しから水を飲む。
「そういうの、嫌いじゃねえぜ」
エギンは、再度口を歪める―――。どうやらそれが笑みらしい、と気付くのはだいぶ後だった。