二人の距離
オーク族の市場は、思っていたよりも大きかった。
簡素な出店が連なり、通りを形成している。
色鮮やかな果物や野菜が平らに積まれ、衣類や雑貨がのれんのように垂れ下がっている。
大きな肉の塊を、ナタで切り分けている店員がいる。
店番のオーク達は、両手を叩いて、品定めしている客を呼び込んでいる。
家族連れで通りを歩く者、パンか何かを齧りつつ冷やかしにほっつき歩いている者、恐らく友人たちで集まって歩いている者……
その市場は集落の中心部からは少し離れた位置にあったが、意外なほどに賑わっていた。
ヴィクターが物珍し気にきょろきょろしていると、チェチーリアがおかしそうにくすっ、と笑った。
「何をそんなに見渡しているのですか?市場くらい、マズトンにもあるでしょう?」
「ええ、もちろんですが……、種族、というか、文化が変わると結構雰囲気も変わるものですね」
「ああ、それはあるかもしれませんね。私は、今まで、ここの市場しか見たことはありませんでしたから……」
少し寂しそうにチェチーリアが呟く。
その横顔を見たヴィクターは、思わず口走っていた。
「なら……、これの片がついたら、他の都市の市場も、見に行きましょう」
チェチーリアは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべる。
「ええ……。約束ですよ」
照れくさそうに伏し目になる。
それを見て、ヴィクターの顔も熱くなってきた。
しばらく、二人はその場を動けず、お互いに目を逸らして立ち尽くしていた。
そのそばを、親子連れのオークが通る。
幼い子供が、不思議そうに二人を指さした。
母親は、苦笑しながら子供を抱き上げる。ヴィクター達に微笑を向け、去っていった。
「そ、そう言えば、昼食をとりに来たんでしたね。何かおすすめなんかはありますか?」
気を取り直すように、慌ててチェチーリアに聞いた。
チェチーリアも、殊更に落ち着き払って答える。
「え、ええ。そうですね。この辺では、サフィアさんの屋台が―――」
そこまで言うと、やたら能天気な声が聞こえてきた。
「あーら、姫様、こんにちは……、と、そちらの方は?ヒト族の方?」
中年の女オークが、訝しげな様子でヴィクターの方を見る。
「あ、サフィアさん……、いいところに。
ヴィクターさん。紹介しますね。こちらがサフィアさんです。この市場で店主を営んでおられます」
「あ、どうも。ヴィクターと申します」
ヴィクターはサフィアと呼ばれた中年の女オークに頭を下げる。
「ああ、ヴィクターさんって言うの?よろしくね。」
サフィアは気さくな笑顔を浮かべ、手を差し出す。
ヴィクターは握手に応じる。ごつごつしてたくましい手ではあったが、わずかな柔らかさが、人となりを現しているような気がした。
「それで、見たところヒト族……よね?
もちろん歓迎するんだけど、あんまりここには他種族って来ないのよねえ。
良かったら何でここに来たのか、教えてくれないかしら」
好奇心を抑えきれない表情で尋ねてくる。
答えていいものか?自分では判断できなかったので、チェチーリアの方をちら、と見た。
チェチーリアは頷き、答えようとする。
その様子をどのように解釈したのか、サフィアはあらまあと言って両手を叩く。
「なるほどねえ。あの修行一筋だった姫様がねえ……。
分かったわ。今日はお昼をご馳走してあげる!どうせまだでしょう?さあさあ」
二人をぐいぐいと押してくる。
「え?サフィアさん、何を言っているのですか?この方はマズトンから故あって来られた方で、別にそんな……どうとかという訳では……」
チェチーリアは慌ててサフィアに伝える。
「まあまあ照れないで。そういう時もあるものよねえ。
さあ、今日は新鮮な猪が入荷してるんだから。一番いいところを料理してあげる」
「いや、人の話を……ちょっと……」
二人まとめてサフィアの屋台へ引き摺られてゆく。
さすがオークだけあって凄まじい怪力だ。
屋台は立派な設えをしていた。
チェチーリアに聞いたところによると、サフィアの屋台は、市場の中でも有数の人気を誇っているという。食べ物の提供や雑貨の販売など、手広くやっているようで、その分屋台も広かった。優に10組は食事がとれるだろう。
待つほどのこともなく、湯気を立てた料理が運ばれてくる―――
「お待たせえ。これは、猪の肩のところの肉でね。歯ごたえと風味があって美味しいのよぉ。
果実酒で柔らかく煮込んであるから、ヒト族にも楽しんでもらえると思うけど……」
目の前に皿が置かれる。
肉の香ばしい香りが鼻腔いっぱいに広がる。
「ありがとうございます。では……いただきます」
礼を言うと、木製のフォークで肉を突き刺し、口に入れる。
「ん!お、おいしいです!」
肉は確かに歯ごたえがあったが、良く煮込まれていたので、食べづらいという程でもなかった。
俗に言う肉の臭みもあるにはあったが、香辛料で上手いこと隠されており、むしろ香りのアクセントとして機能していた。
味も十二分で、一口目は野菜がふんだんに使われたソースの深い味わいが楽しめた。
また、噛むほどに肉の旨みが染み出し、口の中で脂の甘さと絡まった。
ヴィクターは一気に平らげる。
チェチーリアも早いペースで口に運んでいる。
食事を食べる二人を、サフィアは満足げに見つめていた。
しばらくして、二人は猪の煮込み料理を食べ終わる。
サフィアに対して礼を言った。
「いやいや。姫様はじめ、酋長達にはいつも世話になってるからねえ。たまにはいいのよ。
で……。」
仕切り直しとばかりに、サフィアはこちらにずい、と体を乗り出し、尋ねてくる。
「ヴィクターさんはさぁ、なんでまたこんなところに来たわけ?
姫様とどんな関係なの?」
チェチーリアは、額を抑え、溜息をつきつつ答える。
「詳しくは言えませんが、ヴィクターさんは故あってマズトンからこちらに来られました。
サフィアさんが言う……、そ、そういうことで来られたのではありません」
努めて何でもないように言ったつもりだろうが、首筋と耳たぶが、かすかに赤く染まっていた。
「ええ?じゃあ一体どういう……」
「お、おそらく、明日、お兄様より説明があるはずです!今日はこれで失礼します!
お昼、ありがとうございました!」
チェチーリアは、目を閉じると、勢いよく立ち上がる。
こういう時でも礼を忘れないのは、真面目なチェチーリアらしいな、と思った。
「さあ、行きますよ!」
チェチーリアは、ヴィクターの腕をつかみ、大股でサフィアの屋台を後にする。
「あらまあ……」
サフィアは、チェチーリアが立ち去った後を、楽しそうに見つめる。
「ん?サフィア、どうしたんだい?」
厨房の後ろから、サフィアの夫が顔を出す。
普段は狩りに出かけているが、たまに屋台を手伝ってくれるのだ。
「ああ、そうねえ……。
何事にも、春は来るって話よ。」