悩み
「おい、起きろ」
濁声で起こされる―――。
気持ちのいい目覚めではない。
それでも、ゆっくりと起き上がる。
尋問室の硬い床で眠っていたため、節々が痛い。関節がパキパキと音を立てた。
「なんだその老いぼれみたいな動きは。しゃっきりしろよ……
しかし、探したんだぞ?何でお前はこんなところで寝てんだ?」
声の方を振り向くと、ザンヴィルと、エギンとチェチーリアが立っていた。
チェチーリアの顔色に問題はなさそうだった。
昨日、結構酒量を飲んでいたと思ったのだが、オーク族は酒に強いのかもしれない。
「ああ―――、いや、自分、寝相が悪いんですよね」
チェチーリアが寝台を占拠したのでよそで寝た―――、というのは、何となく言いづらかったので、適当に誤魔化す。
チェチーリアも気持ちは同じだったようで、申し訳なさそうな視線を送って来た。
「はあ?客間に寝かせるように言ったんだが……ここ結構離れてるぞ。
お前夢遊病か何かか?」
ザンヴィルが訝し気にヴィクターを見た。
しかし、気を取り直したように上機嫌で言う。
「まあ、しかし、逃げられるわけはないわな。そこは安心だ。
お前は既に、騎士団を売った裏切者、唾棄すべき背信者だ。お前には、もはや帰る場所など無くなったのだからな。ここで、駒として使われる以外、選択肢はない……
ふ、ふはは。愉快だな。なぁ?」
ザンヴィルが楽しそうに肩を組んでくるが、それどころではない。
自分が、騎士団を裏切って、得体の知れないオーク族に、重大な秘密をぶちまけてしまったのだ、という実感が、改めて沸いてきた。
ヴィクターの顔は苦しげに歪む。
俺は―――、結局、何の約束も守れない底辺騎士なんだろうな。
捨て鉢な気持ちがもたげてくる。いっそ、全てを投げ出してしまいたい気持ちに囚われた。
そんなヴィクターの顔を、チェチーリアは気遣わしげに見つめていた。
「さて―――、いよいよマズトンへの侵攻が目前に迫ってきたわけだが」
と、ザンヴィルが仕切りなおす。
「これから、俺は親父に―――、酋長・メラムト4世に事の次第を報告しに行かなければならない。何せ、略奪なしでの侵攻を行うっていうんだから、許可は得とかないとな……。
無事、許可が下りたら、明日、兄弟を含めた有力なオーク族を広場に集め、決起集会を行う予定だ。その時に、お前にも居てもらう。こいつが囮だってのは覚えといてもらわないとな」
ザンヴィルは愉快そうに笑う。
「まあ、それまでは自由にやっててくれ……じゃあな。エギン、行くぞ」
ザンヴィルは、エギンを連れ、酋長の元へ向かった。
部屋には、ヴィクターとチェチーリアが残される。
気まずい沈黙が訪れた。
ヴィクターは、唐突に一人になりたくなった。
何も考えずに、耳を塞いで眠ってしまいたかった。
当然、それで何が良くなるわけでもない。しかし、針の筵のような現実に直面するよりは、幾分かマシなはずだった。
「じゃあ、自分はこれで、失礼します―――」
目の前のチェチーリアを横切り、部屋を出ようとする―――
「待ってください」
チェチーリアに呼び止められた。
足を止め、向き直る。
「昨日は、酔ってしまって、醜態を見せてしまい、申し訳ありません……
しかし、何を話したのか、内容は覚えています。
私とお手合わせを……して頂けますか?」
チェチーリアは、まっすぐな視線で、ヴィクターを見つめる。
一瞬迷ったが、無下に断る話でもない。
ヴィクターは了承し、着いていくことにした。
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サクサクと、落ち葉を踏み歩く。
「この先へ行くと、いつも私が鍛練で使っている広場へ着きます。
あまり人も来なくて、静かで集中できるんですよ」
「へえ……静かだけど緑も豊かで、とてもいいところですね」
繁る木の葉が朝日を遮り、まだ気温は上がっておらず、風が涼しい。
道中は、あまり会話もなく、静かに歩いていたが、不思議と気まずくはなく。心が休まるひと時だった。
深い雑木林。人気のないところで、くるり、とチェチーリアがこちらを向いた。
「……貴方は先ほど、とても苦しそうな顔をされていました。
何が貴方を苦しめているのでしょう?
よければ……私に、悩みを教えてください」
ヴィクターは顔を上げ、チェチーリアの方を見る。彼女は真摯な顔で、こちらを見つめていた。
柔らかく風が吹く。ざっ……、と音を立てて、木の葉が舞う。
突然の事だったので、理解ができず、固まっていると、チェチーリアがゆっくりと話し始めた。
「貴方は、昨日、私の悩みを聞いてくださいました。
ならば、貴方も悩みを吐き出すべきなのです―――。少なくとも、私は、貴方に悩みがあるように見えました。出過ぎたことだったらば……すみません」
チェチーリアは俯く。
ヴィクターは慌てて言葉を返す。
「あ、いや、出過ぎとか、そういうことではないんです。
ただ―――、そういう風に気を掛けてもらったのは久しぶりで、ちょっと戸惑ってしまいまして……」
「そうですか?……よかった」
チェチーリアは、ほっとした様子ではにかんだ。
その顔があまりに無垢で、眩しいもののように思えた。
二人は、道端にあった切り株に並んで腰掛ける。
ヴィクターは、自分の思いを整理しながら、どう話そうか考えていた。
今から話そうとしていることは、孤独で狭量な底辺騎士の戯言だろう。
チェチーリアは真剣な面持ちで前を見つめている。
不思議と、馬鹿にされずに聞いてくれる、という確証があるような気がしてくる。
なんだか肩の荷が軽くなったような―――、そんな気がして、ヴィクターは語りだした。