姫との会話
「待たせたな。早く持ってきた方が良いかと思って、出来合いのものを温めただけだが……」
チェチーリアは、膝をすっと折り、ヴィクターの前にスープの入った木皿を置く。
革のロングスカートが広がらないよう、ひざ頭を抑えて座るところに、育ちの良さが見えた気がする。
スープからは湯気が立ち上り、食欲をくすぐる香辛料の香りを運んでくる。
満身創痍ではあったが、腹は減っていたようだ。グーッと腹の虫が鳴く。
ふふっ、とチェチーリアが口元を抑えて笑う。
「ああ、腹が減っているのだな……。遠慮するな。早く食べるといい」
何となく気恥ずかしさを覚えたが、構わずスープに手を付ける。
煮込まれた豆は、スパイスの効いたスープがよく染み込んでいた。いい塩梅に柔らかくなっており、疲れた体にも食べやすかった。また、肉も入っており、これも硬くならない程度に煮込まれていた。口の中で解ける肉は甘く、思わず溜息が出るほどだ。
木杓でスープを掻き込むヴィクターを、チェチーリアは頬に手をつき、目を細めて見つめていた。
数分でスープを平らげたヴィクターは、木皿に木杓を重ねて置いた。
「どうも、ごちそうさまでした」
頭を下げる。
「うむ、満足してもらえたようで何よりだ―――。それで、こちらからも質問はいいか?」
チェチーリアが問いかける。
こっちが本番か―――、と、ヴィクターは頷いた。
と言っても、もう正直に打ち明けることを決めたのだ。気は軽くなっていた。
「マズトン騎士団は、不正を行っていると聞いている。それが嘘であろうと本当であろうと、どちらかだ、と明言しないのはなぜだ?不正を行っていないなら、正々堂々と言えばいい。
―――不正を行っている、ということか?」
「……そうですね。不正は行っています。
急なことなので、どう対応するのかを決めかねていましたが、冷静に考えると、組織自体の不正をひた隠しにして、自分が殺されることはない、と判断しました。明日、ザンヴィル氏に伝えようと思います」
「……そうか。これで貴方は不必要に痛めつけられることはないだろう―――。少し、安心した」
チェチーリアはほっと息を吐き、微笑んだ。
八重歯が魅力的な笑顔だった。
「そうだな、あと……」
と、チェチーリアは言葉を続ける。
「では……。マズトンでは―――都市では、他種族が同じ土地で、一緒に暮らしているというのは本当なのか?」
思ったよりも普通の質問が来た。
ちょっと拍子抜けをして、チェチーリアの顔を見る。
きらきらと光った瞳を見る限り、策略やら陰謀なのではなく、どうやら好奇心から純粋に知りたいために聞いているらしい。
「ああ、そうですね……。治安はあまり良くないので、いがみ合う人たちもいますが、基本的には、複数の種族が、手を取り合って生活していますよ」
「なるほど……。いや、恥ずかしいことではあるのだが、私は未だこの集落から出たことが無くてな……その光景が想像がつかんのだ」
チェチーリアは、照れたように下を向く。
「そうなんですか……失礼ですが、年齢はおいくつなんですか?」
「ん、私は数え年で19だ。貴方は?」
「私は22です。産まれはマズトンではなく、もっと田舎でした。ですので、マズトンに関しては、そう詳しいって訳でもないんですよね。なんだかすみません」
「なるほど……薄々感じてはいたが、貴方のほうが年上だったのだな。では……もう少し丁寧に話すといたしましょう。貴方も是非もう少し砕けて話して下さい」
「あ、いや、監禁されている身なので、下手に行こうと思います」
「そうですか……分かりました。ですが……、何となく、長いお付き合いになると思いますので、いつか話して頂く機会はありそうです」
意味深に呟いた。
「え?それは……?」
「まあ、それで、他種族がいる暮らしというのはどうなのでしょうか?夜中なども、店が開いていると聞いたのですが?この辺りの集落では、店は夕刻で閉めてしまう市場が主流なものですから……」
「あ、はい。そうですね。裏通りは寂れてて不気味で危険なんですが、表の目抜き通りなんかは夜でも活発ですね。飲食店や雑貨店なんかが開いていたりします。ガス灯や魔力灯で、結構夜でも明るいんですよ」
当然、娼館や、それに類する店も開いているのだが、そのことについては伏せておいた。
「なるほどなあ。一度見に行ってみたいものです」
楽しそうに微笑む。
その後も、しばらくチェチーリアとの会話が続く。
ゴブリンやコボルト、エルフ、ヒト。他種族の特徴だとか、暮らしていて感じた事だとか、流行りの食べ物だとか、色々なことを聞かれた。
それらに答えていくうちに、段々と眠気が近寄って来た。
元々疲れていた上に、チェチーリアの落ち着く声、満たされた空腹、柔らかく照らす松明。それらがヴィクターを眠りに誘ってゆく。
「なるほど。やはり驚くことが多いですね。それでは、都市での生活拠点などは―――」
と、チェチーリアは尋ねたところで気付いた。
いつの間にかヴィクターは眠ってしまっていた。そう言えば、今日は彼は色々あって疲れていたはずだった。それなのに質問攻めにしてしまっていた自分を恥じた。
眠っているヴィクターに、そっと肌掛けを掛ける。松明の火を消した。
明日は早朝から、兄が尋問を再開するはずだった。
ヴィクターの言ったことが本当なら、必要な情報はすぐ吐くはずだ。
必要以上に尋問をすることがないよう、兄を制しなければならない、と、気を新たにする。
地下牢の扉と鍵を閉めて、外へ出る。
見張りの戦士は眠りこけていた。
星空は広がり、天には無数の星が瞬く。
ふと地平線を見ると、マズトンがある方面は明るく光っていた。あそこでは、まだ人が眠らずに活動しているのだろう。
仮に―――、メラムトオーク族がマズトンを征服したとして、自分達の暮らしはどうなるのだろうか?
その変化の予感に、胸が高鳴るのを抑えられずにはいられなかった。