オークの姫
木漏れ日が散る雑木林。
1人のオークが目を閉じ、軽く棍棒を構えていた。
自然な筋肉の鎧に覆われたその体は、同族のそれと比較しても、その美しさは際立つものだった。明るい若草のような緑の体は、滑らかな曲線を描き、一つの彫刻を想起させるものだ。
暫くはそのまま、微動だにせず固まっていた―――
彼女の目前に落ち葉がはらりと舞った刹那、静止したその姿勢から爆発的な速度で以って、手の棍棒を振り抜く。
その落ち葉は、彼女の足元へと舞い落ちた。
足元に落ちた落ち葉はしかし、真っ二つに両断されていた。
静かな森に、小さく拍手が響く。
「流石だな、チェチーリアは……親父が呼んでるぜ」
「お兄様ですか……分かりました。向かいます」
「しかし、俺達オーク族に、その鍛練的なものは似合わないと思うがな……まあ、好きにすればいいだろうが」
兄と呼ばれたオークは、肩を竦め、巨体を揺らして去っていった。
彼女は―――チェチーリアは、体についた汗を麻で拭い、肩に掛かる髪を掻き上げた。棍棒を腰に差し、軽く身繕いしてから、父のもとへ向かう。
雑木林を抜けると、集落の端、市場に出る。
「あら、姫様じゃない!まーた修行?かなんかしてたの?精が出るわねえ」
チェチーリアを見つけた中年女のオークが声を掛ける。彼女はここの市場の店主の一人だ。
「どうも、サフィアさん……いえ、これは、趣味のようなものですから。
サフィアさんは、お仕事中ですか?」
「まあねえ。うちの木偶どもを養うためには働かないとね!」
サフィアは袖をまくり、ぐっと力こぶを作って見せる。
中年太りが始まっているとはいえ、オーク族だけあり、その筋肉は中々立派なものだった。
オーク族は通常、狩猟社会だ。男性が中心となり、外部で狩猟を行い、女性が集落で子育てや内職を行う。最も、例外も多々あり、オーク族では女性も膂力に優れた者が多く、そういった者は狩猟に出かけることがままある。
だが近年、とチェチーリアはそっと溜息をつく。祖父であるメラムト3世が治世するようになって近く―――だと思うが、オーク族は狩猟だけでなく、略奪を行うようになっていた。
力に優れたオーク族が略奪に目覚めたその成果は目覚ましく、周囲の他種族の縄張りは瞬く間にオークの物になった。略奪には付き物だが、やはりそこには暴行も伴っていた。
オークの血は濃いのか、他種族が産んだ子供も、ハーフオークにはなるのだろうが、見た目としてはほぼ純オークと変わらなかった。従って、この集落では、ハーフオークも純オークも同じように過ごしている。
目の前にいるサフィアさんの夫も、ヒトとのハーフのはずだった。
本人を見たこともあるが、確かに、純オークよりは少し小ぶりで、何となく雰囲気が柔らかいような気がした。
「では、父に呼ばれているので、行きますね―――
あっ、このギラースの実を3つ下さい」
チェチーリアは、このギラースの実に目がない。小さく、可愛らしい赤い実は、目にも楽しく、味も甘酸っぱくて、子供のころからよく食べていたのだ。
ギラースの実を口で転がしながら、父のもとへ向かう。
集落の中心に位置する洞窟。そこが彼女の一族の住処だった。
メラムト4世は、洞窟の奥で、玉座に座し、煙草をふかしつつ、子供を集め、その報告を聞いていた。
彼はオーク族の多分に漏れず、子沢山であった。男女合わせて、40人は下らないだろう。最も、有力な子供を除き、本人もその数を把握しようとは思っていない。
「と、いう訳で親父。ヂロサ方面は静かなもんだ。静かすぎて遠征する価値もねえだろうな」
三男であるダラードが報告した。
オークらしく屈強で、その膂力は兄弟の中でも随一だろう。少しばかり頭は弱いようだが。
「ふむ。次」
「サイラガ方面も同じくです。しばらくは静観した方が良いでしょうね」
次男のヂュマルが応える。
こちらはオークにしては聡明だ。苦み走った顔が、どうやら集落でも人気らしい。
「ふむ。次」
「キャンディラ方面は逆ね。ヒトの警戒度が段違い。ここを無理やり攻めたら逆に潰されちゃうわ」
長女のサリカが言う。
オークにしては細身で、親の欲目をしても妖艶と言って差し支えない魅力を備えている。
「ふむ。次」
「親父……俺が偵察していたマズトンだが……」
粘ついた声で、長男であるザンヴィルが言葉を発する。
これもオークらしいオークと言える風貌と実力を持っている。少々陰湿であるが、それこそ群れを統率する素質と言えるだろう。
「これは、ひょっとすると攻め時かもしれん。民心は離散し、治安は混迷を深めている。そこを突き、俺らが雪崩れ込む余地は十分にある。」
ザンヴィルは肩を竦め、ニヤリと笑った。
「なるほどな……」
メラムト4世は、玉座に深く腰掛け、もう一度深く煙草を吸った。
「皆、各地への偵察は怠るでないぞ。しかし、ザンヴィルの言う通り、マズトンは監視を強化しなければなるまいな……チェチーリアは?」
彼の4女である名前を呼ぶと、
「遅れました。お父様、お呼びでしたでしょうか?」
洞窟の奥、部屋の区切りの帳をかき分け、女オークが入ってきた。
4女のチェチーリアだ。
女オークだが、勇敢で力もそこそこある。将来は有望だと思うのだが、どうにも若さゆえの不安定さが気になる。そこで、今回長男の下につけ、実務を経験させ、成長させてやろうと目論むのだった。
「ああ、チェチーリア……お前は今日から、ザンヴィルの下に入り、マズトンの監視を始めろ」
「お父様がそうおっしゃるのでしたら……承知しました。お兄様、よろしくお願いします」
兄であるザンヴィルは、神妙に頷いた。
―――この選択が、この後世界中を揺るがす事件の種火になろうとは、
この時点で、誰も知らない。