テレサの決断
「マズトンを……征服……?」
テレサにとっては晴天に霹靂な話だった。
マズトンとは、あくまでも、その中で足掻いて生きるための箱で、それを手中に収めるなどということは、想像だにしていなかったのである。
「ええ、……テレサさんがどうお考えかは分かりかねますが、第三者の視点からして、騎士団と”窮者の腕”の2馬力で攻められては、まず、勝ち目はありません―――その後、どうなるかは、ご想像にお任せします」
「はは、中々言うやないか……」
「いえ、純然たる事実です。これを防ぐためには―――殺られる前に殺る。これしかありません」
「……そう……か」
テレサは椅子の背もたれに深くもたれ掛かる。
しばらくそのまま動かなかったが、やおら起き上がると、ギュナに伝える。
「その、手を結ぶという提案な。少し考えさせてくれんか。どうするにせよ、こっちの皆の意見も聞かんとあかんし……」
「ええ、承知いたしました。色よい返事を頂けることを期待しております」
ギュナは慇懃に頭を下げると、喫茶店から出て行った。
テレサはギュナの立ち去った後を、じっと見つめていた。
「姐御……どうするんで?」
物陰から、密かに控えていた男が現れる。
幹部のコーだ。古参のハーフゴブリンである。
「ふうん……。まあ、確かにあのオークの言う通りや。ジリ貧のまま何も手を打たず、現状維持を続けるっちゅうんは……緩慢な自殺と言われても仕方ないわな」
「なるほど……?そうすると、やつらと手を組むということですかな?」
「いや……どうやろうな。いままで、うちらはマズトン内のあぶれ者だけで集まって団結して生きてきた。それなのに、いきなり異質のモノを入れて、拒否反応が出えへんか……というのは、懸念されるところやな。コー、あんたはどう思う?」
「私ですか……」
コーは、しばし顎に手を当て、考え込むと、口を開く。
「個人的には、構わないと思いますがね。元々があぶれ者の集団です。相手が友好的であれば、じき馴染むことができるでしょう」
「せやな……それはそうかもしれん。
それとあと、もう一点懸念があるんや」
テレサは小さく呟く。
「現状を変えるのが怖い……。騎士団と”窮者の腕”と表立って敵対して、征服を企むなんて正気やない。騎士団が強いのは、国家権力やからや。
仮に、マズトン騎士団を全滅させられたとしても……中央都市から増援がなんぼでも来るやろう。例えオーク達がどんなに強くても、質を伴った数の暴力に勝てるはずがあらへん……」
テレサがそう言って、俯いたとき、喫茶店に一人のコボルトが喚きながら飛び込んできた。
「何や、騒々しい!要件を簡潔に言え」
コーがコボルトを窘める。
「た、大変です!!”融解連盟”の、薬の売人が……な、何者かに殺されました!!!」
テレサが顔を上げる。コーが愕然とする。ピエールが磨いていたグラスを取り落とす―――
床に落ちたグラスが、けたたましい音を立てて割れた。
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ある裏路地。
そこには、血にまみれたハーフコボルトが一人、目を見開いて絶命していた。
周囲には野次馬が集まり、ひそひそと囁き交わしている。
テレサ、及びコーは、護衛数人を引き連れ、急いで現場へ駆けつけた。
「くそっ……なんてことや……」
確かに、息絶えているのは”融解連盟”の組員の一人だった。
傷口を確認すると、鋭利な刃物で袈裟切りにされていることが見て取れた。
今まで、このような抗争や衝突では、あまり刃物を使われたことはなかった。
と、いうことはつまり……
「マズトン騎士団、ですかな……」
コーが苦々しげに吐き捨てた。
テレサは、危機がいよいよ迫っていることを感じた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その夜。
テレサはコーに命じ、主要な幹部を集めさせた。
喫茶店「ジュマタノ」は、緊張感に包まれ、異様な雰囲気を醸し出していた。
「ああ……今日は集まってくれてありがとな」
暖炉の火が爆ぜる。その音がやけに大きく聞こえる。
喫茶店の中央テーブルに、幹部15名が集まっていた。
種族、混血、純血と様々であり、その誰もが「マズトンに住んでいる」という関連性のみで集った一同である。
テレサは、全員の目を見て、今日あったことを話し始めた。
マズトン近くに棲む、オーク族から手を組まないかと打診されたこと。
その場合、彼らはマズトンを征服しようとしており、その片棒を担がされること。
このまま現状維持をしていても、いずれジリ貧で滅ぼされる恐れもあること。
そして、今日も”融解連盟”の一員が、おそらく騎士団に殺されたこと。
その話の間、誰も声を上げず、じっと聞き入っていた。
一通り話し終わると、テレサはふうっ、と息をついた。
「概要は以上や……
本題やが……うちは、オーク族と手を組もうと思う」
一同は、少しざわついた。
「これは、”融解連盟”の代表としての考えなんやが……このまま、ただ現実を見ないふりをして、削られ続けてゆくのは、これは最も悪いと思う。
やから……うちは抵抗したいと思う。けれど……」
テレサは目を伏せる。そこには苦悩が張り付いていた。
「けれど、抵抗したら、おそらく大量の犠牲が出るんや。そんなんは……嫌なんや……」
テレサは、そこで言葉を切り、しばらく、何かに耐えるように押し黙っていた。
しかし、意を決したように顔を上げると、一同に宣言する。
「やから、全員ついて来んでええ。少しでも、家族と過ごしたい、とか、死にたくない、って思うやつがおるんなら、それでええ。今、この時点で、”融解連盟”を脱退し、自由になることを認める」
テレサは、そう言い切ると、全員に問うた。
「ええか。これからみんなで俯くんや。そうしたらランタンの火を消す―――
それから5分、目を瞑る。脱退したいやつは、その間にこっそり出て行けばええ。本当に、遠慮せんでええ。恐らく、これからとてもしんどいことになる。自分を大切に……生きてくれ」
ランタンの火を消す。
周囲に闇の帳が下りた。
脱退者がいてもいい。これはテレサの偽らざる本心だった。
これで全員いなくなったとしても、構わないつもりだった。
仮に全員いなくなったとしても、”融解連盟”の象徴たる自分は残る。
そこで、自分さえ”融解連盟”として死ねば―――殺されれば、他の組員は、その時点で一市民に戻り、平和に暮らせる。そう思うのだ。
長いようで短いようで……闇の中での5分は、不思議な時間だった。
テレサは懐中時計をそっと見る。魔力を込め、仄かに文字盤を光らせる。
5分経った。
火を再度点す―――
そこには―――火を消す前と変わらず、15人が揃っていた。
テレサが声を詰まらせる。
「み、皆、なんで……」
誰も声を上げない静寂の中、
コーが、静かに口を開く。
「ここに集まっている者にとって、ここに集っている者たちこそが、家族であり友人なのです。
―――家族や友人のいない人生など、何の意味があるでしょうか?」
コーの声に呼応し、皆雄叫びを挙げる。
「家族のために!」
「友人たちのため、俺は戦う!」
「”融解連盟”こそが、家族だ!!」
喫茶店内は異様な熱気で盛り上がり、15人の幹部たちは、誰一人欠けることなく、お互いを認め、改めて頷き交わす。
テレサは、涙ぐんだ顔を見られないよう、腕で顔を擦った。
そのまま、震え声で宣言する。
「皆……”融解連盟”、テレサがここに宣言する―――
オーク族と結託し、みんなで、マズトンを盗りに行く。さあ……ぶっとばすでぇ!!!」
雄叫びが木霊する。
突き出した拳が交錯する。
後世にまで語り継がれる戦乱―――
「マズトン戦争」の舞台は、着々と整っている。