辺境都市への門出
とある日の昼下がり。
昼食の時間も終わり、仕事を再開した騎士団詰所では、10人程度が仕事をしていた。
騎士団と言えば、煌びやかな甲冑を纏い、颯爽と闊歩している姿を想像しがちではあるが、実際には表に出るような派手な面だけではなく、地味な事務仕事も結構多い。
若手騎士、ヴィクターも事務机に座り、備品のリストを更新していた。
各フロアの必要個数をまとめ、出入りする商人に渡すため書き留めてゆく。
羽ペンやインク、羊皮紙などの消耗品の補充が彼の主任務だ。
騎士にしては頼りない、どちらかというと卑屈な雰囲気ではあるが、一応真面目には仕事をこなしている。
そこへ、外回りに出ていた巡回騎士が戻ってくる。
詰所の騎士たちと会釈を交わす。ヴィクターも一応会釈したが、ちらりと一瞥されて、無視をされた。いつものことなので特に気にはしない。
ヴィクターは腕っぷしの方はからっきしだったし、かといって、事務能力に長けていたわけでもなかった。偏に、騎士になれたのは人が少ない田舎で採用されたからだ。その一点に尽きる。
そんな訳で、彼の騎士団内の評価は決して良いものではなかった。
その仕事を黙々と進めていると、上司のベル上級騎士より呼び出しを受ける。
ベル上級騎士は自らの席で、爪をヤスリで削りつつ、ヴィクターに告げた。
「やあ。ヴィクター君。今の仕事はどうだね?」
「ああ、お気遣いありがとうございます。何とか無事にやれております」
ふっ、と爪を吹き、ベル上級騎士が告げる。
「そうか……君。騎士になった理由は何だ?」
「え、騎士になった理由、ですか?」
「そうだ。弱気を助け、強きを挫く。全ては民草のためだ。そうだな?」
「え?はい、そうです」
「うむ……実はある都市で、騎士が不足していてな……追加で人員を送る必要がある」
そこでちらり、とヴィクターの方を見る。
「はあ……?」
ヴィクターは首を傾げる。
「まあ、君に遠回しに言ってもしょうがないな。マズトンへの異動をしてもらいたい」
ベル上級騎士はさらりと言った。
「マズトン、ですか……?」
ヴィクターはぎょっとした。
マズトンと言えば、この国でも有数の治安悪化都市だ。
周囲を亜人たちの領土と接しており、日夜いざこざが絶えず、ギャングや麻薬、犯罪が跋扈している。
近年では、好戦的なオーク族が境界近くに集結し、一触即発の空気がさらに色濃くなっているという情報もある。決して好んで行きたいという都市ではない。
「そういう訳だ……今日中には荷物をまとめて出立してくれ」
「そ、そんな、いきなり、急に言われても……!」
「こう言いたくないが、他の人には家族がいる。守るべき人がいる。君にはいない。
―――君に行ってもらうのが最善だ。分かるな?」
ベル上級騎士は冷たく言い切る。
ヴィクターは不穏な空気を感じ、周囲をそっと窺う―――
詰所の騎士たちが、無表情にこちらを見つめていた。
ヴィクターは寮に戻ると、放心したように座り込んだ。
結局、強引にマズトン行きが確定してしまった。明日の早朝には、マズトン行きの馬車へ乗車しなければならない。幸い、彼の部屋には荷造りするほどの荷物はなかった。
翌日、朝食も取らぬまま、マズトン行きの乗合馬車へ乗り込んだ。
中心都市から遠ざかるにつれ、車内の客層が剣呑になってゆく。
ヴィクターは不安になる気持ちを抑え、到着を待った。
それから1週間、ガタゴトと馬車に乗り続ける。
途中から道も悪くなり、だんだんと気持ち悪くなってくる。
1週間が経った、日が暮れる直前に、辺境都市・マズトンに到着した。
車内の剣呑な雰囲気に押され、ずっと緊張していたヴィクターだったが、ひとまず目的地についてほっと息を吐いた。
乗合馬車から降り、地図を確認する。目的地の騎士団詰所は、ほど近い場所のはずだ。
周囲を確認すると、薄汚れたボロをまとった労働者風の人々、センスの悪い背広を着た目つきの悪い男たち。剥き出しの地面に煤けた石造りの家々。ひん曲がった街燈に得体のしれない液体が路傍にへばりついている。
夕暮れ時だということもあって、不気味さを感じずにはいられなかった。
マズトン騎士団詰所には、ほどなくして着くことができた。歩いた時間はせいぜい10分かそこらといった所だったが、道中もずっと気が抜けなかったので、酷く肩が凝った。
一応、玄関の面構えは普通の騎士団詰所だ。見慣れた構造を見て、少し救われた気持ちになった。
そっと詰所に入る。
「すみません……本日より異動を拝命したヴィクターですが……上級騎士のジェリコーさんはどちらにいらっしゃいますでしょうか……」
様子を窺いながら声を掛けると、正面のテーブルでカードに興じていた2人組が手を挙げてこちらに応じた。
「おう、お前が今日来るっていう落ちこぼれのやつか……はは、冴えねえ顔してやがんな。なるほど、こんなところに飛ばされてくる訳だ―――よろしくな。俺はダドリーだ」
背の高い方が軽く手を上げた。それに続き、背の低い方もこちらに口を開く。
「ジェリコーさんならもういねえぜ。おおかた女のところにでもしけ込んでるんだろうが……ほい、これで勝ちだ」
背の低い方が手札をテーブルに叩き付ける。
「あっお前ふざけんじゃねえよ、不正だろコラ」
「うっせえな、目を離した方が悪いんだろうが」
自分を放置して盛り上がる2人を呆然と見つめていたヴィクターだったが、はっと自分を取り戻し、2人に尋ねた。
「あのう、それで、自分はどうすれば……」
ダドリーと名乗った騎士は、鬱陶しそうに答えた。
「あ?寮の場所くらい聞いたろ。とりあえず帰って明日来い」
まだカードの件で言い合いを続ける2人を後に、とりあえず寮に向かい、今日は休むことにした。
いよいよ、明日から、この辺境都市、マズトンでの勤務が始まることになるのだ。
ヴィクターは、どうしようもない不安を抱え、最初の夜は更けてゆくのだった。