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TENTH ~ふきげんな王さまと野蛮な聖女の十個の噓~   作者: 川奈陽
【3個目の噓】「死体は見慣れていますか? そうであっても、ちょっと忘れられない光景になるでしょう」
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何の魂胆だ、と思った。




「わっ……」


 男たちが声をあげる間もあらばこそ、エルスの体は横抱きにされて、船の下に落とされた。


 火だるまのエルスを抱えてもろとも海に飛び込んだのは、ジークだった。


 2秒後、着水の音が水柱とともに天高く上がる。

 反して、二人の体は落下の勢いで水中深くまで沈む。急激な水圧が鼓膜を刺した。

 光量が減衰し、視界が大量の水泡で包まれる。

 だがジークの腕はエルス・カレンズの存在をしっかり摑んでいた。


 やがて浮力が均衡する。

 ジークはエルスを抱いたまま、海面へと顔を出す。


「何考えてるんだ!」


 海水を飲んで咳き込むエルスを怒鳴りつけるが、濡れた長い髪の隙間から返ってくる菫色の目は、意外にも静かだった。


 こいつ、とジークは怒りで思わずエルスの頬を張った。


 エルスを抱え立ち泳ぎしながらなので、力はろくに入らなかった。水飛沫だけが派手に弾ける。


 試したのだ。

 自分を本当に生かすつもりがあるのかどうか。生かしておくなら、どの程度身柄の安全を確保したいと思っているのか。いや、違う。それは分かっていたはず。

 なら「何を」試したのだ。

 こんな捨て身なやり方で――自分を粗末にしたやり方で。


 ジークは燃えるような怒りでエルスを睨みつけた。

 もう一度張り飛ばしてやりたいくらいだった。

 なにが無血の聖女だ。命を駒にしているのはどちらだ。


 だがエルスの目は、ジークの怒りさえも、平らかで清明な瞳で受け止めていた。

 顔に張り付いた白金色の髪の隙間から、紫色の目が冷徹に自分を観察しているのが分かった。


 ふいに、無気味さを感じた。


(なんだこの女。――いや)


 女ではない。軍人だ、一部隊を率いるほどの。

 か弱そうな見た目に反して、今こうして抱いているエルスの肢体はしなやかで強靭な生命力に満ちていた。

 濡れた服越しに密着した肌からは、気圧されそうなほどの生気、あるいは覇気ともいうべき波形がじかに伝わってくる。

 お飾りの隊長と思っていたわけではないが、惑わされていた。


「あれ?」


 ふいにエルスがジークの腕の中で、無防備な声を漏らした。

 きょとんと、頑是ない仕草で首をかしげる。

 それも策略かもしれない。

 また何の魂胆だ、と苛立ちながら、船上から落とされた浮き輪にエルスを摑まらせた。

 もうひとつ離れたところに落ちた浮き輪に泳いでいって、それは自分で使う。


 その間も、浮き輪ごと引き揚げられる間も、エルスはじっとこちらを見ていた。

 さっきまでの観察する目とは違って、心底ふしぎそうな顔つきだ。


 甲板に上がりずっしりと水で重くなった膝をつくと、同様に髪や顎先から海水を滴らせているエルスが隣で言った。


「ジーク、私は、あなたの人物を見極めようとしていました。この7回を通して、ずっと」


 舌打ちしたくなるのをこらえて、目を逸らした。

 これ以上彼女のペースに乗せられたくない。


 無視して、ずぶ濡れになった上着と靴を脱いだ。

 他にも脱げるものは脱いでしまおうとしたとき、エルスは上は濡れたシャツ一枚なことに気づいた。タオルがまだ来ない。


 びしゃり、と自分の上着を着せ掛けた。

 その重みでエルスは少しよろけた。らしくない。

 何の魂胆だ、とまた思った。


 上半身だけ裸になってそのまま一人シャワー室に向かおうとして、けれどエルスを放置するのはやはり危険だった。

 彼女の腕を摑んで引っ張ると、今度はおとなしく付いて来た。

 最初からそうしてくれ、と言いたい。


「ジーク」


 狭い廊下を縦列になって歩いていくと、エルスが声をかけてきた。


「ジーク、あなたのことについて、余分な事まで分かった」


「何なんだ、いったい」


 聞きたいわけがない、自分がどう値踏みされたかなど。

 だからそれは、何が分かったのかを訊いたわけではなくて、おまえはいったい何なんだ、と言いたかったのだ。

 待て、言わなくていい、と付け加えようとしたが、


「ええ、あの……」


 幸いなことに、エルスは歯切れ悪く目を伏せただけだった。無気味だ。余命でも分かったというのか。

 だいたい聖教会の奴らは得体が知れないところがあってジークは苦手だ。


 ふと、繋いでいる手が火傷で痛くはないかと思い至って、それから、いや、服にも髪にも焼け焦げがなかった、と気づく。


 テンスのハイクラスなら身にぴたりとまとうような器用な結界も張れるという。

 結界の上っ面に派手な炎をあげて見せたに過ぎなかった狂言だ。

 自分の間抜けさに舌打ちする。


 前方から二人分のタオルと着替えを用意した小姓と行き合った。

 シャワー室の一番奥にエルスを放り込んで、自分は5つ挟んだ一番手前を使う。


 しばらくすると熱い湯が出てきて、人心地つく。

 個室に湯気が立ちこめる。

 シャワーから湯が噴き出す音と、湯がタイルや体に跳ね返る音だけが、空間を満たす。


 海水を洗い流すだけのつもりだったが、ついでに石鹸を肌にこすりつける。

 向こうのシャワー室には備え付けてあるだろうか。たまに切れていることがある。


 しかし隔てられているとは言え、いま裸身でいる女性に声をかけるのも憚られる。

 さっき見た、透けた体を頭から振り落とす。濡れた服越しに不用意に密着した肌。

 まあいい、子供じゃないんだ。


「ジーク」


 なのにエルスが声をかけてきた。

 そうか、軍隊で前線に出ればこういう状況も別にあるか。

 しかしジークは気まずい。

 応えないでいると、エルスはより声を大きくして呼びかけてきた。


「ジーク」


「気安く呼ぶな。なんだ、石鹸か。湯が出ないか」


「さっきの話ですが」


「人質はブラフだ。あなたを無事保護しないといけないのもその通りだ。だからもう」


「余分な情報ですが、あなたのことが好きだと分かりました」


 沈黙と湯音が、三十秒ほど続いた。

 シャワーの音は一定で、単調だった。

 体の同じ所にだけ、湯が跳ね返り続けていた。


「あ、私が」



 何の魂胆だ、と思った。





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