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TENTH ~ふきげんな王さまと野蛮な聖女の十個の噓~   作者: 川奈陽
【2個目の噓】 「くっ……、殺せ」
2/17

それは噓などではなく、紛う方なき、エルスの本心だったのだ。





 まだ、海に出る前、埠頭の風は穏やかで、心地よかった。

 白金色の髪が頬をくすぐって、エルスは後ろへ払った。広々とした海と青空を背景に、大型汽船が、煙を立ち昇らせながらゆっくり入港してくる。


 そのゲートであるかのように、エルスは前方へ片手を差し伸べ、巨大な虹をつくった。海面から広範囲に巻き上げた微細なミストに背後からの太陽光が入射し、祝福の七色が輝く。


 おお、と後方から男の声があがった。

「今のは、風だけですか? それとも海水に直接干渉を? さすが、見事な技ですね」

 見上げながら歩いてくると、

「カレンズ大佐、そう、あの船です。中継地点でいったん燃料補給しますが、目的地まで1ヵ月、どうぞ快適にお過ごしください」

 案内の男が説明する。


「ええ、ありがとう。お世話になります」

 虹を背に振り返り、澄んだ声で菫色の瞳を微笑ませる。男は束の間、放心したようにエルスに見入った。


 彼女は軍服姿だが、それは儀礼用のきらびやかなものだった。気品ある白の礼装軍服を、金の勲章徽章が飾っている。

 シルエットは上級職には各自に仕立てられた、しなやかな肢体に誂えた洗練されたものである。

 そしてすらりと伸びた背に流れ落ちる絹糸のごときまっすぐな白金髪は、サイドこそ後ろでひとつにまとめているものの、今は美しく梳き流されている。


 彼は数秒ののちに我に返ると、顔をさっと赤らめた。それからばつが悪そうに、「いま、お飲み物をお持ちしましょう。乗船まで、まだ時間が。あの、お連れのかたも」と踵を返して、マリーナの方へ駆け去っていった。


 それと入れ替わりに、背後に控えていたフェイ・デイニ少尉が、


「エルスさま」


 と一歩近づく。抑制された態度で、しかし意志の強い切れ長の瞳で。


「やはり、私も随行させてください。無事到着して安全を確認したら、私は必ず帰国しますから」

「いけません」

 腹心の部下に、にっこり微笑む。

「しかし」


 何か月も前からもう何度も繰り返されたやりとりだ。フェイは、「しかし」の続きをことごとくエルスに論破されてきた。まだ正当な随行の理由があるというなら述べてみなさい、とエルスは軽く首をかしげて促す。

 フェイは唇を噛み締め俯き、それでも続きを絞りだす。


「でも……、心配です」


 お願いします、連れて行ってください、と顔を上げると真摯な黒い瞳をひたと当てて、エルスに翻意を訴える。


 そう来たか。エルスは苦笑する。

 情がまさりがちな彼女に、隊長として理先行の思考を徹底的に指導してきたつもりだけれど、こういう局面であっさり引っ繰り返してくるのが彼女の強みでもある。


 であればエルスも、

「ありがとう、フェイ」

 本心から応える。


「でもフェイ、私が去ったあと、副隊長を支えるのはあなたしかいないと私は思っている。国内でまだ、どんな動きが出るか分からない。あなたを信頼しているのよ、フェイ。応えてくれるでしょう?」

「エルスさま……、だけど」

「それに個人的にも、支えるべき人がいるでしょう」

「――――」

「たぶん彼はこれから苦しい立場に立たされる。どうか、ついていてあげて」


 情の返し矢でとどめを刺され、フェイは辛そうな表情で俯いた。身を引き裂かれるような思いなのだろう。


 可哀そうに、と思う。項垂れた黒髪の頭を、抱き寄せた。

 フェイは力なく身を預けてきた。喉が小さく鳴ったのを、聞かないことにする。顔を伏せた肩のあたりに、湿った気配がするのも。


 できればフェイも一緒に連れて行って、自分の無事を見届けて、安心させてやりたい。自分をこれほど慕ってくれる彼女を、かわいいとも思う。

 でもエルスは自分ひとりへの情のために、国内の貴重な人手を1か月以上も割くわけにはいかない。

 輿入れは、各地をまわりながら行なわれるのである。


「私は大丈夫よ、フェイ。安全確認は入念にされているし、護衛もついてるし、万一のことがあったとしても、自分で何とかします」

「分かってます、エルスさまなら、大丈夫なんでしょう、きっと。何が、起こっても。でも」


 フェイは思い余ったように、自分からエルスの背中に腕をまわしてきた。ぎゅっと力を込める。遠慮がちな彼女には珍しい行動だった。


「敵国の王子と政略結婚なんて……、いえ、違う。顔も知らない好きでもない男の人と結婚なんて、本当にいいんですか。身は安全でも、エルスさまの心は大丈夫なんですか。向こうに着いて会ってみて、やっぱり嫌だと思ったら、私は即座にエルスさまを連れ帰るつもりで」

「もう、フェイ」

 エルスは笑って彼女の背中を叩いた。


「敵国じゃないでしょ、すでに調印も済んで、停戦は成ったのだから。これから最後のひと仕上げよ。腕が鳴るわね。歴史が動くわよ。見ていて、未来を変えるわ」


 エルスはフェイを抱いたまま、目を遥か海へと放った。きらきらと光を受けて、波が輝いていた。手すさびの虹は、その上空でまだまばゆい橋を架けていた。


 それは噓などではなく、紛う方なき、エルスの本心だったのだ。見ていて、とそう語りかけたのは、フェイにだけではない。


(見ていて。どこかで、きっと。みんな生きて、見ていて)





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