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TENTH ~ふきげんな王さまと野蛮な聖女の十個の噓~   作者: 川奈陽
【4個目の噓】「ああ。うっかり」
12/17

違ったら言ってくれ







 ベッドに腰かけたまま、足を床に下ろして、見苦しくないよう軍人らしく姿勢を伸ばす。


「心配してくださってありがとう、問題ありません。お気遣いなく。どうしました? ご用ですか?」


「様子がおかしいと聞いた。また何か企んでいるのかとも思ったが。()()()()()?」


 エルスは我にもなく言葉を失った。


 今のは、なぜ急に自分の部屋に来なくなったのか、と訊いているのか。


 なぜジークの部屋に行かないのか。

 なぜもう彼に会いに行かないのか。


 その質問が、胸をじくりと痛ませて、エルスは訝る。なんだ、この奇妙な感触は。重苦しく塞がった胸が、切れ味の悪い刃物で無理やり抉り取られるような。


「今のそれも、高い効果を見込んでの作戦なのか」


 ジークは開けたままにしている扉から、動かない。

 脱走したエルスを何度となく部屋に連れ戻すときも、最初のあの日以来、彼は一歩も中には入らなかった。


「それ、とは?」


「そうやってまた、傷ついた目をしてみせるのが」


 エルスはふたたび絶句した。

 じくり、と心臓がまた抉られる。なんだこれは。

 追って、目の奥がじんと熱くなる。喉の奥が引き絞られる。なに、これは。どういう症状なのか。いつもの頭痛とは違う。


 エルスは唾を呑み下し、肺に空気を送り込んでから、答えた。

 声が震えそうになった。しかし、平静な口調を返せたと思う。

 エルスは微笑む。


「あなたが部屋に戻るよう言ったんです」


「具合が悪そうだ」


「大丈夫です」


「噓をつくな」


「別に噓では」


「意図的にしたのでも、得体の知れない集団に拉致されたことに変わりはない。状況も見通しも分からず、そろそろ参ってきてもおかしくない。こちらの配慮が足りなかった。あなたは精神的にタフだと思ったから」


「ええ、そのつもりです」


 エルスは瞳が揺れないよう強く力を入れて、また微笑んだ。


 こうした状況下でのマニュアルとして、孤立を避けて、対象たちと積極的に交流をもつようにもしていた。

 船酔いの少年を世話していると心が慰められたのは、自分のほうだ。


「しんどくても、こうしてると、心細くないからね」


 よく、みんなとそうした。

 でも今関係ない昔の事を、こんなにも繰り返し思い出すというのは、明らかに何かのサインだろう。

 日が経つにつれ、最初はふと一瞬頭を過ぎる程度だった記憶が、思い出す時間は長く、度合いは生々しく鮮明になる。

 特にこの2日は。

 メンタルの管理が疎かだったろうか。


 ここはだだっ広すぎる。気の遠くなるほど果てしない海の広さが、自分が針の先ほどにぽつんと頼りない、些末な存在でしかないことを、もう何十、何百、何千回となく知り抜いていることを、また突きつける。何も出来なかった。


「何か必要なものはあるか。したい事とか。出歩くのも、してくれて構わない」


「ええ……」


 必要なもの。したい事。

 ――してほしい事。

 自分が何を求めているのか、口にできない。


 分厚い木の壁に囲まれた船室に、沈黙が満ちた。小さな丸窓からの景色は、夕刻だった。


 ジークは戸口に立ったままだ。

 エルスは壁に寄せられたベッドに腰かけている。


 無音の朱金色の光が、二人の間にナイフのように斜めに差し込んでいた。

 対面するふたりの距離は、4メートルほど。

 ジークはじっとエルスを見ている。


 もう彼に去ってほしい。エルスは夕光の射す床を見ていた。

 いつまでいるんだろう。どうしてか、ひどく惨めだ。もうこれ以上彼の目に晒されていたくない。


 彼自身が沈黙そのもののように、ジークはその場に佇み続けていた。それが、


「違ったら違うと言ってくれ」


 ジークは通路と室内との境界を大股で跨いで足を踏み出すと、光を貫通して、ベッドの傍らに片膝をついた。

 彼の背後で、支えを失った扉がぱたん、と閉まる。


 そうして、エルスの右手を取る。

 自分の大きな手の甲の上に、紙のようにぺらりと、エルスの手の平を乗せた。


 エルスは無言だった。そのまま、手をぴくりとも動かさない。物に物が積まれたというだけの接触。


「違ったか」


 ジークが小さく無感情に言い、エルスの手の下から自分の手を抜こうとする。

 それを、反射的に引き止めた。

 握り締める。

 その力の強さに、ジークが目を瞠る。


 声が震えた。


「違いません。すみません。ご迷惑をおかけします」


「なんで……」


 ジークがまた渋面をつくる。眉間に縦に皺が刻まれる。彼は自分の前ではいつもしかめっ面だ。


 エルスは唇を引き結び、顔を深く伏せた。

 彼には見せないよう。

 また何かの企みだと思われる。

 長い髪が梳き下ろされていて、エルスの顔をしっかり隠す。


 向かい合ったまま、エルスはジークの手を、強く強く握り締め続けていた。

 体内に湧き起こり渦巻く不穏で不吉なものを、手のエネルギーに転換し続けていた。

 そうやって握り締め、目を固く閉じ、奥歯を噛み締めていれば、遣り過ごせそうだった。ぎゅうぎゅうと力を籠め続けた。


「痛い」


 ぽつりとジークが呟いた。

 見ると彼の指先は鬱血して、どす赤くなっていた。固く太い骨同士が、軋み合っていた。


「あ、すみません」


 慌ててぱっと手を離したエルスに、ジークは難しい顔のまま、やはりぽつりと言葉を落とす。


「面積の問題だと思う」


「は」


 頓狂な声を出していた。その声が、彼の胸元に吸い込まれた。


「違ったら言ってくれ」


 ジークが床に膝をついたまま、片手でエルスを抱き寄せていた。

 その腕は長くて、肩をぐるりと包み込んでいたけれど、軽かった。引き寄せたあと、少し浮かせていた。

 エルスはもたれかかるでもなく、逆らうでもなく、ただ置き物のようになっていた。


「違ったら、言ってくれ。早めに」


 ジークがもう一度言う。

 その声がなんだか強情な子供のようで、エルスはふと体から力が抜けて、彼の胸にすんなりと身を委ねる。

 彼の親切が、むしょうに嬉しかった。


「違いません。ありがとう」


 長い長い息をついた。やっと呼吸ができた気がする。喉の奥につかえていた何かが、急に抜けた。

 エルスの言葉を受け止めて、腕の囲いにゆっくり重みがかかる。


「ありがとう、ジーク」


 ジークが床から腰を浮かして、エルスを抱いたままベッドの隣に腰かけた。身を預けやすくなる。腕を伸ばして、彼の背中にまわした。エルスはまた長く息をついた。目を閉じる。


 精神が安定していくのを感じる。

 ついさっきまでは、彼の目に晒されるのが、苦痛ですらあったのに。

 会ったばかりの人なのに、どうしてこんな鎮静があるのか。

 でも「観察」の結果、彼の人物と、頑なで澄んだ固有の波形を、エルスはよく知っている。


 ふと、フェイを思い出した。別れ際に、こうして彼女を抱いた。さほど深い意味もなく、ただ慰めたくてしたことだけれど、して良かった、と思った。そう言えば彼も、フェイと同じ黒髪だ。


「エルス。ほかに何かしてほしい事はあるか。必要なものは」


 エルスを抱き寄せたまま、ジークは落ち着かせる声で言った。いつもより心なしか柔らかい声。

 腕が、さっきよりすこし重みを増す。背中に圧がかかって、落ち着く。


「じゅうぶんです。ありがとう、ジーク。こうして欲しかったの。すみません、やはり自覚していたより不安定だったようです。助かります」


「……こっちのせいで、閉じ込めているんだ」


「それはお互いさまです。ありがとう、ジーク。助けてくれて」


「あなたはよく分からないな。これは助けなのか?」


「ええ、とても。救われます。ありがとう」


「…………なら良かった」


 不穏なものをずっとずっと遠くへ押しやるように、エルスはより強く彼にしがみついた。

 そのすべてを傾けた力に、痛い、とは彼は言わない。

 面積の問題なのだ。






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