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TENTH ~ふきげんな王さまと野蛮な聖女の十個の噓~   作者: 川奈陽
【4個目の噓】「ああ。うっかり」
11/17

海の「牢」が、子供の頃の記憶と重なる。






船は、特に目的地もないようだった。

 三百六十度、海。相変わらず島影はない。


 エルスはこの大きな船自体が自分を閉じ込める「檻」なのだと、理解していた。エルス・カレンズをどこにも行かせないための、海の「牢」。


 この状況はひどく似ている、と思う。

 広すぎてかえって逃げられない、その途方もない広大さ自体が「牢」なのだという、この状態。

 今囚われているこの海の「牢」が、子供の頃の記憶と重なる。


 けれどその牢には、逆手をとって、エルスがみずから潜入したのだ。

 その気になれば錠はいつでも破れる。与えられた部屋は充分快適だ。


 なのに、記憶がよみがえる。

 この船を探っている間は、意識にのぼっていなかった。

 こんなふうに、ひとり部屋に閉じ籠もっていてはいけない。出なくては。そう、外に、出たほうがいい。

 けれどどうしてか、ひどく億劫だった。


 無為に過ごすのは危険だ。

 余計な事を考えてしまう。


 自分のした、くだらない失敗。彼の拒絶。馬鹿な事をした。

 払われた手の感触と、不快げな眼差し。


 先の不安。王国に入ってからの事。

 駄目だ、もっと建設的に考えなければ。調停のときに話した幾人かとは今後も交誼を結びたいし、そう、調印の起草者にも会いに行きたい。あの第八稿は素晴らしかったから。

 王子の妃として、王国で今後やれる仕事もある。

 王子。見も知らぬ男と、結婚する。


 エルスは頭を振る。

 決めたことだ。意義あることだ。


 駄目だ、どうしてか精神が停滞している。

 何がきっかけだったのか。すごく些細な事だった気がするが……。


 ずきん、とこめかみに針のような痛みが刺す。悪い兆候だ。まずい。知っているパターンだ。回避しなければ。あの草案のことを考えよう。未来のことを。

 けれど一度記憶に捕まると、頭も体も重たく鈍く、引きずり込まれていく。


 攫われた。

 いや、売られたのだ、実の父親に。


 馬車上の檻に閉じ込められた。ダリルと小さな体を寄せ合って、ずっと手を繋いでいた。どこか荒野に連れて来られた。荒野の中にぽつんと、常設のテントと掘っ立て小屋があった。そこがアジトだった。


 三百六十度、見渡す限り何もない。砂礫と岩石。遠くに黒々と横たわる森が見えるのだけが変化だった。

 その途方もないだだっ広さが、今のこの環境と重なる。


 小屋の中の牢には、すでに他に子供たちがいた。

 壁や鉄格子を力任せに叩いたり揺らしたりしてみる子、泣いている子、うつろな目で膝を抱える子。

 その順に、新しく来た子供たちだった。

 一番まえからいる子は、ぐったりと横たわって、動かなかった。


「よし、ここから逃げよう」


 鬼ごっこでもするような気軽さで言ったのは、どちらだったか。


 牢を破る計画を立てた。


 壁も鉄格子も、構造をいじれないようセキュリティがかかっていたので、まずそれを破った。

 見張りのいない時間を縫って、三日かけて岩の壁を切った。


 構造式の訓練は学校でまだ本格的には受けていなかったが、ダリルとよく遊んでいた。

 大量の濃霧を発生させた中で鬼ごっこしたり、小さな上昇気流に吹き上げられてみたり、土や岩から火花のもとを選ってぱちぱち輝くのを見たりした。


 就学前に、ハイクラスの認定を受けていた。父親はそれは伝えなかったのだろうか。より高値で売れたはずだ。

 のちに教えてもらったことだが、買われたのは子供というより、テンスの遺伝情報だったのだから。構造式を扱う能力は、種類も度合いも、先天性に由来するところが大きい。

 ただ戦地に戻って死ぬだけの費用があれば、それで良かったのか。


 ダリルと交替で岩の構造を分解して、子供ひとり分の範囲を崩していった。扱いがみるみる上達していくのが楽しかった。

 ほかの子供たちの目にも、生気が宿り始める。


 見張りが来ると、ぐったり役の子が横たわって壁を隠した。

 だめだよ、顔見せちゃ。ばれちゃう。目とほっぺが笑ってる。

 見張りがいなくなると、くすくす笑いが漏れないようにするのに苦労した。


 三日目の夜、逃げた。


 小さな穴から、一人ずつ抜け出た。腹這いになって、順に、細い二本の脚がよじよじと出て行く。

 その夜は、月も星もなかった。良かったのか悪かったのか。見つかりにくいが、自分たちも足元や方角がまるで分からなかった。森に逃げ込めば、まけると思った。森へ。


 真っ暗闇の中、逃げた。そして――。 


「ごめん、ダリル! 先に行く!」


 ああ、とエルスは呻く。

 間違っていなかった。最適な行動だった。


 でも目が闇で塞がれる。


 あの時のこと。ダリル。弟。手に刺さる砂礫。

 あのすぐ後のこと。血の味。天井。電球。スタン。

 その後のこと。街。火。手応え。ミーシャ。レックス。みんな。煙草。スタン。

 さらにその後。教会。


「大丈夫か」


「大丈夫です」


 ノックのあとドアを開けたのは、ジークだった。エルスはベッドの上でぼんやり身を起こして、座り込んでいた。

 そちらに顔を向けて、微笑む。


「どうしたんですか? 珍しい、そちらから来るなんて」


「足、どうかしたのか」


「え?」


 ジークはエルスの問いには答えず、指摘した。扉は半分開いている。

 言われて気が付いた。

 無意識に、右足のふくらはぎに触れていた。手の平で包み込むように。


「痛むのか?」


「いえ」


 エルスは手を離した。

 傷は残っているが、大昔に完治している。






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