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TENTH ~ふきげんな王さまと野蛮な聖女の十個の噓~   作者: 川奈陽
【4個目の噓】「ああ。うっかり」
10/17

彼女の色とは違う、と思った。





 ジークは翌々日の午後、甲板に出て測量士から天候の説明を受け、次に操舵室に行き、今後の針路を相談した。

 と言ってもジークは海のことはほとんど分からない。

 専門(エキスパート)である彼らを信頼して、そうしてくれるよう自分の責任において命じるだけだ。


 無気味な女だ、とふたたび甲板に戻り、船縁に肩肘をかけて針路方向の空模様を見遣りながら、また思う。


 ふわりふわりと白い雲がいくつも浮かんでいる。


 何を考えているか分からない。

 古い連中のように、テンスの民だからと忌避する感情はないが、エルス個人を疎む気持ちは大いにある。


 いつも、たおやかで優しげな、春のような微笑を浮かべている。

 穏やかで心地よいきれいに通る声で、船員たちに気軽に話しかけ、時に気遣い(捕虜のくせに、だ)、人を魅了する。


 その実、エルスの頭の中では常に思考が張り巡らされ、絶えず更新され、何重にも演算されている。


 彼女の前で自分を取り繕うのも、馬鹿らしくなった。

 どうせ全て見透かされている。


 だがそれが時折、ふつ、と途切れる瞬間は、あれは自分の目の錯覚なのか。

 あんなに無防備な顔を、大人がするものだろうか。それも知謀で知られる軍人が。


 脱走しては、船内を好き勝手に歩き回る彼女の軽やかな足取り。ジークが見つけると、悪びれもせず、笑顔になる。

 その時の笑顔が、いつもの穏やかな微笑みとは違う。

 子供がやっと親に会えたときのように、心底嬉しそうに破顔する。

 彼女はその違いを意図してやっているのだろうか?


 むろんそうだろう。

 どうかしている、あれが自然に出たものだと思うなんて。


 ジークの部屋にやって来て、平然と「任務」だと語る。ジークのことを好きだと、ふざけた事を言ったその口で、他の男との結婚を語る。


 からかわれただけだとは分かっているが。


 それにしても、女性の手をはたくなど――。


「エルスさん、今日も出てこないですね。こんなに気持ちのいい天気なのに」


 青空を見上げながら小姓が寄って来て、ジークに声をかける。


 別にエルスは外の空気を味わいたくて脱走を繰り返していたわけではないのだが、まだあどけない小姓は、そう思っているらしかった。


「波がやっと落ち着いてくれて、ほっとしました」  


「船酔いはもう大丈夫か?」


 顔色を見ると、この前までの土気色ではなく、子供らしい色艶を取り戻している。

 それを確かめて、ジークの表情が、普段から彼を見慣れている者にしか分からない程度に、ふ、と緩められる。

 この船で、船乗りでないのはジークとこの小姓と数人だけだ。


「慣れない船で、気の毒な事をしたな」


「いえ、休んで起きたら、だいぶ慣れたみたいです。エルスさんが添い寝してくれてたので、だいぶ気が紛れました。――――、ジーク、は、船酔い大丈夫ですか?」


 名前の前に、奇妙なつっかかり。

 小姓自身も、しまった、という顔で目を丸くしている。


 叱ったものか苦笑したものか迷って、ジークは、たまに船員同士がしているみたいに、丸みのある額を、ぴん、と指ではじいた。


 小姓は額を両手で押さえて、失礼いたしました、と謝罪する。

 この船でジークの本名を知っているのもまた、この小姓と数人だけである。


 というか。


「添い寝?」


「あっ、ジークのことも僕のことも、一切何も話してません。町なかの石畳ひとつ、葉っぱいち枚すら口に登らせません。エルスさんが、いろいろお話ししてくれただけで。テンスの街のこととか、子供の頃した遊びとか」


「何をやってるんだおまえは、捕虜と」


「ええ……だめでしたか? すみません。でも、弱ってる時にそうしてもらえると心細くないからって、エルスさんが」


 しゅんとして小姓は肩を落とした。

 まだ子供なのだ。


 だが、このうっすらと苛つく感じはなんだろう。

 小姓にというより、エルスに。


 いささか軽はずみなのではないか、と問いたくなる。大昔なら、ものすごく早ければ初陣に出ていたっておかしくない年齢である。いつの時代だという話ではあるが。


 ジークは目線を右舷デッキに、ついで左舷、それからマスト柱の陰や、コンテナの陰などに走らせた。


「今日は、待っていてももう出て来ないと思いますよ。お部屋のほうにも、たぶん」


 小姓が気を利かせたふうに言う。


「誰の話だ」


 じろりと睨む。

 ジークは、測量士の予測した雲の動きを実際に見てみようと、ここでさらっているだけである。専門家に任せるとはいえ、覚えておくに越したことはない。


 小姓は、亀の子のように首をすくめた。そのくせ、


「あ、でもエルスさんも船酔いなのかなあ。ちょっと元気なかった気がしますし」


 あのエルスが? と皮肉に笑い飛ばした。


 もっと波が高かった時でも、平気でわざわざヤードの上を歩いていたような人だ。

 心配することはない。

 並の人間ではないのだ。気にかける必要はない。

 また何か企んでいるのだとしても、脱走も船の中までだ。慎重すぎるかとも思ったが、やはり二段構えの「牢」にしておいて良かった。


 何を考えているのか分からない女だ。

 無気味で、得体が知れなくて、こちらを見透かすような目をして、そのくせどこか何かが危なっかしくて、見ていて不安にさせられる。


 不安というか、焦燥感というか。

 なにかアンバランスだ。高速回転している独楽のような。自立しているように見えて、支えなくてはと不安になる。手を出したら弾かれ、痛い目に遭いそうなところも。


「――――――」


 ジークは頭を振った。


 意味不明だ。


 何かエルスのことでは思考がおかしい。混線している。

 馬鹿らしくても、見抜かれていても、やはり当初の姿勢を貫くべきだった。エルスに効き目はなくとも、それ自体がジークの鎧にもなるのだから。


 近づきすぎた。捕虜なのに。


 自分の手を見る。

 エルスの手を払った感覚が甦る。

 大きな菫色の目を見開いて、無防備に立っていた。


 左舷の船縁の、ある一箇所を見る。

 エルスを抱えて、海に飛び込んだ辺りだ。


(だから何だと言うんだ)


 ジークはもう一度頭を振った。


 ――不可解だ。


 ジークは雲を見るため、顔を上げる。小姓はとうにいない。雲はいつの間にか、薄く金色に染まり始めている。

 エルスの髪の色を思い出す。

 彼女の色とは違う、と思った。






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