試作品第一号
私のことは置いておくとして、転移魔法対策が急務であることは間違いない。今この時でも、新しく転移魔法をマスターする人がいるかもしれないもんね。
クリスお兄様もパウエル公爵も、帝国だけでも何人ももうすぐ使えそうな人がいるんだ。ルフタネンだって同じだろう。
もしかしたら、他の国にだって何人か出てくるかもしれない。
だから、私のことは置いておくとして、早く話し合いの席を設けるのは大賛成よ。
でもそういう難しい話は両親に任せて、私は私のお仕事をしましょう。
カカオの有用性をアピールして生産量を上げてもらわないと、ココアもチョコも価格が高くなってしまう。
「いい機会ですので皆さんに、ルフタネンから輸入しているカカオで作った商品を食べていただこうと思います。まずこちらは、ココアという飲み物です」
店員が運んできたのは、エスプレッソ用に使用するくらいの小さなカップに入れたココアだ。
まだ手にはいるカカオが少ないし、この年末年始の社交シーズンで貴族達に広めるところなので、店のメニューにはまだ載せていない。
ベリサリオ寮に招待した生徒だけしかまだココアの存在は知らなくて、噂だけが大人達にも広まっている。
クリスお兄様の成人を祝う茶会で、大々的にお披露目する予定なのよ。
「チョコより色が薄いですね。牛乳を入れたんでしょうか」
「いい匂いだな」
「うま」
「え? なにこれ」
匂いを嗅いだり、さりげなく精霊が毒の有無を調べるのを待つカミルやサロモンとは違い、別のテーブルの男共はすぐに飲み始めたらしい。控えめだが驚きの声が上がっている。
ふふふ。まだまだこれからが本番だよ。
「あのチョコが、こんなに飲みやすくなるのか」
「これは人気が出そうですね」
「将来的には粉末にしたココアを販売し、各家庭で牛乳や糖分を加えて好みの味で飲めるようにしたいと思っています」
「それでカカオの輸入量を増やしたいと?」
「うふ。それは次のお菓子を食べてからお話しますわ」
口の中の味をリセット出来るように、全員に水の入ったグラスを出した後、今度はチョコが一粒だけ入った小さなガラスの器を全員の前に並べた。
ずっと皇都にいたお父様もチョコを食べるのは初めてだ。
チョコと言っても、直径三センチほどのナッツとチョコの塊だ。
割合としては、ほぼナッツ。ナッツを固めるのにチョコが少し混じっているようなお菓子だ。
甘さや硬さの調整がまだまだで試作品の段階だけど、お兄様の成人祝いに招待した方のお土産にしたかったのよ。味は保証する。
この世界ではナッツ類はすっごく安い。
帝国で手にはいるナッツも輸入品も、カカオに比べればいくらでも安価で手にはいる。
帝国で使用されている糖分はシュラという甘い木の実から作られる果糖で、西側の領地の特産品だ。
輸入品の中にはトウキビから作られる砂糖もあるので、糖類も安い。
帝国は料理の質と種類が近隣諸国の中で、飛び抜けてレベルが高いのよ。
帝国って武力で周辺の他民族を支配して大きくなった国でしょ?
辺境伯なんて、みんなその他民族なわけよ。
力で押さえつける政治なんてやったら、内乱だらけになって国がすぐに疲弊してしまう。
それで昔の偉大な皇帝は考えた。
独立して小さな国でいるより帝国としてまとまった国でいた方が、いい生活が出来るとなれば、誰も独立しようなんて思わないだろうと。
いい生活とは衣食住が豊かであることだ。
せっかくデカい国になって東西南北に広いおかげで、いろんな素材が手にはいるのだから、物流を整えて美味しい料理を作ろう! と考えたんだね。
素晴らしい!
胃袋掴むの大事よ。
なので、カカオ以外は豊富なのだ。お値段も問題なし。
肝心のカカオを多く仕入れるためには、カミル達に生産量を上げても損はさせないと納得させないといけない。
カカオ農園を広げるにもお金はかかるもんね。
なんなら私達が出費してもいいんだけど、これ以上帝国に借りを作りたくはないだろう。
「これが私の考えたチョコの第一号です。今はまだカカオの量があまりないのと、成人祝いの際にお土産にするためにまとまった量を使うため、ナッツのほうが量が多くなってしまっています。まだまだ改良途中ですが食べてみてください」
黒い食べ物ってあまり好まれないはずだけど、彼らはチョコを知っているから、抵抗はないみたいだ。
でも、さすがに丸ごと口に放り込む猛者はいなかった。
みんな少しだけ齧ってみて、口に広がる香ばしいナッツの味と、それに負けない甘味と微かな苦みのあるチョコの味が、口の中で融合する新しい感覚に驚いたようだ。
「こ……れはまた……」
「美味い……」
「この苦みのせいか、甘いものが苦手な人でも好きな味かもしれないな」
そうでしょう。
私がまず作りたいのは、フランスのショコラトリーで扱っているような、味だけではなく見た目も宝石のように繊細な、高級な貴族向けのチョコレートだ。
奇麗な箱に詰めてラッピングしてプレゼントにするの。
一粒いくらって値段設定だから、平民だって特別な日には買うかもしれない。
この世界で大量生産はまず無理だから、誰でも手軽に買えるチョコを作れるようになるのはずっと先のことだろう。
でも貴族にチョコの存在が認知されて、カカオが安定供給されるようになって、チョコを作る職人の数も増えたら、いずれは子供がおやつにつまめるようなチョコだって作れるかもしれない。
ナッツやフレークにコーティングする形にすれば、値段だって抑えられるだろう。
「前にも言いましたけど、年間輸入量をこの先十年間保証します。ですからカカオの生産量をあげてください。間違いなくチョコはいずれ全世界に広がりますよ」
「帝国の次はルフタネンね。ココアを南島の生産者の方に飲んでもらうのはどうかしら」
さすがお母様、それはいい案だわ。
自分達の作った物が、どんな商品になるのか知るのは仕事のやりがいや自信に繋がるはず。その商品が売れると思えば、カカオ栽培を拡大しようと積極的に動いてくれるかもしれない。
「今回はココアしか渡せませんけど、私がルフタネンにお邪魔する時にはチョコを持って行けると思います。出来れば南島でカカオを作っている人達に私が届けたいわ」
「それは……」
「ディア、それはまた今度考えよう。ルフタネンの方々にも都合というものが……」
「それは素晴らしい!」
気の進まない様子の両親とは違い、サロモンが嬉しそうな声をあげた。
「そうしてくださると南島の者たちも喜ぶでしょう。南島は王太子妃様の故郷ですし」
「そうよね。カミルに転移魔法で連れて行ってもらえばいいんですもの」
「おい……サロモン」
カミルが迷惑そうな顔をしているのに気付いているけど、無視。
うちの家族が心配そうな顔になっているのも、無視。
こんなチャンスはもうないかもしれないでしょ。
みんな、もっとチョコを食べたそうにしていたけど、それは我慢してもらって、全員昼食がまだだというので、店のメニューの中からオムレツとサラダと焼き立てのパンを御馳走した。
オムレツには、トマトケチャップがテーブルに瓶のまま用意される。それを自分で好きなだけかけて食べてもらうというスタイルが、特に男の子達には好評だった。
話を聞くところによると、ルフタネンでは舞踏会というのはほとんど行われず、広いテラスやバルコニーにクッションやロータイプのソファーを並べ、大皿に盛られた料理を中央に用意し、それぞれが好きな料理を好きなだけ給仕に取らせて食べる宴会で客人をもてなすらしい。
踊りたい人のためにスペースは用意されて、酔いが回り座が盛り上がると、若い人達を中心にダンスをするのが普通だけど、踊りたくない人はひたすら飲んで食べていてもいいし、女性だけで集まって盛り上がっている人も珍しくないそうだ。
いいね。居酒屋での宴会ぽくて。
そういうの大好きよ。
でも帝国では帝国方式を覚えてもらわないといけない。
「そもそもカミル様は、茶会や食事会にすら出席したことがほとんどありません」
「サロモン……」
「ベリサリオ辺境伯のお城に滞在させていただくのですから、ここは正直にお話して、本番までに勉強させていただいたほうがよろしいでしょう? カミル様だけでなくキースもどうにかしなくては」
「私もですか?!」
そりゃそうだろ。伯爵子息。
カミルの側近として、一緒に式典にも茶会にも出るんだから。
「まずは女の子に慣れなくてはいけませんね。まともに話したこともないのでは困ります」
「まあ、そうなの?」
お母様に本気で驚かれて、カミルは困った顔で頬をかいた。
「その……事情がありまして、育った環境に年の近い女性はひとりもいなかったので」
「では、ダンスをしたことがないのでは?」
「はい。少しだけ練習はしましたけど……男同士で」
「カミル様は王宮から動けない王太子殿下に代わり、西島や南島に顔を出し、毎日忙しくしておりましたので……」
サロモンの説明に、うちの両親が納得した顔つきになった。
最初は私と湖で会ったことで怒っていたお父様も、カミルの生い立ちと最近の怒涛の展開によって大忙しな状況が気の毒で、どうにかしなくてはと思ってきたようだ。
「アイリスやシェリルに頼んでみてはどうでしょう。ネリーも私の側近を続けるようですし、ダンスの練習を手伝ってくれると思いますわ」
「それがいいわね。テーブルマナーは食事をしながら覚えてもらえばいいでしょう。朝食と昼食は今回のように軽く済ませることが多いので問題はないでしょう。みなさん、食べ方が奇麗ですもの」
「兄……王太子殿下が王宮にいる間に、皆に教師をつけてくださったんです」
カミルと王太子は本当に仲がいいみたいね。
兄の話をするときに、カミルの目元が少し優しくなった。
まだ着替え等の荷物を拠点に置きっぱなしのカミル達だ。
城の敷地内に転移する場所を指定し、そこからカミル達に使用してもらう棟に荷物を運べるように、細かい取り決めは改めて行うことにして城に向かうことになった。
「それじゃあ、移動出来るようにしますね」
「ディア、城内の警護の詰め所前に転移出来る場所を作ろうと思っているから、そこに道を開いてくれ」
「道を開く?」
ルフタネンの人達が不思議そうな顔をしているところを見ると、彼らにとっても私の転移の仕方は珍しいのかもね。
私は一瞬で消えて別の場所に現れるという転移のやり方は怖くて嫌いだ。
精霊王達がそうして運んでくれるのはいいんだ。彼らにとっては、それは当たり前の移動手段だから。
でも私は違う。
消えるってどういう事よ。
まさかいったんバラバラになって再構築されるんじゃないよね。
次元の狭間を移動するの?
たぶんやっていることはみんなも私も同じなんだと思う。
空間同士を繋ぐってやり方を、私は安心したいから目に見える形にしたいだけなのに、みんなは空間を切り裂くのは、ヒトがやれる魔法じゃないと思ってしまうらしい。
どこでもドアって、この世界の人は考えないのかな?
あの作品を知らなくても、ドアを開けたら会社や学校に繋がっていればいいのにって、前世では誰もが一度は考えることだと思うのに。
「ではやりますね」
言葉を言い終えるとすぐに空間に白い光とともに亀裂が入り、扉のように一部が消えて、奥に違う風景が現れた。そこはもうベリサリオ城の敷地内だ。
「な、ななな……」
「こ……れは」
ずざざざっと音がしそうな勢いで、ルフタネン勢がドン引きしている。
顔面蒼白で、へたり込んでしまいそうな人もいるよ。
「……ディア」
カミルもだいぶ警戒してしまっているなあ。
目つきがすっかり悪くなっているし、声もいつもより低くなっている。
「これは、どのくらい開いていられるんだ?」
「魔力が続く限りは開いていられて、何人でも通せるわ」
「どのくらいの大きさの物まで通せる?」
「さあ? でも精霊車は通したことあるわよ」
「……」
つまりこの魔法でなら、他国の街に直接軍隊を送り届けることも出来るんだよね。
一瞬では移動出来ないけど、空間から何千人もの軍隊が次々出てきたら、恐怖なんてもんじゃないだろう。
「あのね、このやり方は私にしかできないみたいよ」
「え?」
「魔力の強さや精霊獣の強さが、普通の人じゃ足りないんですって。精霊王達、私を守るためだって言って、私の精霊獣を強化してくれちゃっているの」
「ああ……そうか……きみだけか」
あきらかにほっとした様子で、場の空気が和らいだ。
「それなら物資の輸送に便利でいい魔法だな」
「そこで安心していいんだ」
「ディアが軍隊を送り込むほどのことをした相手なら、そもそも精霊王が放置しておかないだろう。砂漠にして終わりだ」
カミルの言葉に、ルフタネンの人もベリサリオの人まで、うんうんと頷いた。
なんだこの謎の納得の仕方は。
「それは、私は理不尽なことはしないって信頼されているってことよね」
「もちろん信頼しているよ。それに……」
「それに?」
「もうそれは諦めるしかないかなと」
カミルより先に気の抜けた声で答えたサロモンに、小型化していたジンをけしかけようとしてみんなに止められた。
「そっちにも精霊王がいるんだから頑張りなさいよ」
「ぇー」
気持ち悪いから成人した男が頬に手を当てて首を傾げるな!
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