母と娘
お茶会が終わった後、クリスお兄様は皇太子と一緒に皇宮に向かった。
皇太子妃候補にならなかった令嬢をベリサリオの嫁にするという話は、お母様から伝えてもらっていたけど、お兄様と皇太子がお父様に直接話をしないとまずいでしょ。本来なら、皇太子妃候補のふたりに話す前にお父様の了承を得る必要があるもの。
この件に関しては、すべて私の責任だ。
お兄様達は学園シーズンが終わってから両親に話をして、許可を得てからモニカとスザンナに伝える予定だったのに、私がサクサクと話を進めてしまったから。私からもお父様に謝らないと。
でもさ、学園にいる今のうちに話を進めておかないと、会うのが大変になるのよ。特に皇太子妃候補にクリスお兄様が会いに行くのって、それなりの理由がないとダメでしょ。
じゃあ皇太子も一緒に四人ならって思っても、これもまた大変なんだ。
皇太子には公務があって、スケジュールがびっしり詰まっているし、クリスお兄様も学園が終わったら皇宮での仕事が待っている。
だから今なのよ。学園にいるうちなら寮同士の距離はすぐ近所なんだし、連絡のやり取りもしやすいんだからさ。
学園にいられるうちに、それも出来れば、新年になって皇太子やクリスお兄様が、授業が免除されている時間に皇宮の仕事を始める前に、話を進めてしまいたかったのだ。
食堂で他の子達と一緒に夕食を食べ、自室に戻ってお風呂も入ってほかほかぬくぬくで、ベッドに横になりながら本でも読もうかなって時刻、ジェマが私の部屋にやってきた。
「ナディア夫人がお呼びです。お城にお戻りください」
今日もまたお城行き?
何があったんだろう。
お父様との話し合いがうまくいかなかった?
それか……勝手なことをしたから怒られるのかな。
次期当主の結婚の話に、私が口を挟むのはおかしいもん。
まさか、皇太子に対する態度が悪かったって話?
皇太子の結婚話に私が口を挟むのは、もっとおかしいもんな。
急いで制服に着替えて転送陣で城に向かう。
アランお兄様が一緒じゃないなら、やっぱり怒られるんだろうなあ。
ううう……さすがに自分勝手すぎたか。
やりすぎたのなら怒られようと覚悟を決め、お母様の待つ居間に向かった。
ノックをして扉をそーっと開けて、お母様の様子を窺おうとしたけど、お母様の座っている場所はここからじゃ見えないわ。
「何をしているんですか」
「べつになんでもないわよ」
「もう遅い時間なんですから、遊んでいられませんよ」
遊んでないわい!
ジェマって、乙女の繊細な心の機微がわかってないわよ。
そんなしゃきしゃきと物事を進めていたら、男性にこわい女だと思われるわよ!
うっ! ブーメランだった。ぐさっときた。
「ディア? どうしたの?」
「うえっ?! な、なんでもないです!」
慌ててドアを開けたら、精霊獣達までさっさと行けと背中をぐいぐい押してきたので、転びそうになりながら部屋の中に入った。
いつも家族で過ごす部屋だ。座る場所も、精霊獣たちの定位置もだいたい決まっている。
でも今日はふたりだけなので、お母様は三人くらいは楽に座れるソファーの真ん中に座っていた。
「こんな遅い時間にごめんなさいね。皇太子殿下とクリスがお父様とお話した後、ノーランド辺境伯とオルランディ侯爵と皇宮で面会したのよ。それで遅くなってしまったの」
うへ。もうモニカとスザンナの保護者にまで話を通したのか。はやっ!
「そんな入り口に立ってないで、こっちに座りなさいな。何か飲む?」
「いえ、それより話って?」
お母様の向かいのソファーの中央に、ドレスがしわにならないように気をつけて腰を下ろす。
当たり前だけど、もう手伝ってもらわなくてもひとりで座れるのよ。
食堂の椅子は、まだ足が床から浮くけどね。
「モニカとスザンナに対する領地の貴族達の期待が大きすぎて、ふたつの地方で皇太子妃の座を争うような雰囲気になっているのでしょう? だからあなたがお友達を心配して心を痛めていると伝えておいたわ。皇太子妃とベリサリオの次期当主夫人を同時に決めるのには、両地方に優劣をつけないためもあると皇太子殿下が明言してくださったの」
またもやベリサリオは、ふたつの地域に貸しを作ったのか。
でもこれで、モニカもスザンナも気持ちが楽になるんじゃないかな。よかった。
「ディア?」
「はい?」
「あなた、私が話さなかったら、ノーランド辺境伯とコルケット辺境伯に苦情を言いに行ったのではなくて?」
うん。新年に言うつもりだった。
自分の地方の名誉や権力のために、まだ十三と十二の女の子に、相手を蹴落としてでも選ばれて来いって言う貴族がいるんだよ。
帝国はもともと軍事力で周囲の民族を取り込んでいった国だから、特に年配の人達は自分達の民族に誇りがあって、よそに軽く見られるのは許せないんだろう。
いろんな貴族とすれ違うたびに、勝ってきてねと言われ続けるのがどれほど負担か。
自分の孫や娘を守るために何かしてよと思うじゃん。
特にスザンナはオルランディ侯爵の令嬢なんだから、いくら隣の領地で同じ民族でも、コルケットの貴族が偉そうに口を出すのはどうなんだって思うわけよ。
「ねえ、ディア。私は、あなたがお友達を心配して心を痛めていると伝えたの。領地の貴族をちゃんと押さえてくれとも、友達が困っているのを知って、あなたが怒っているとも言ってないのよ」
「……はい」
「その違いがわかるかしら?」
「怒っているのではなくて、心を痛めている……」
「あなたはとても利発だし弁もたつ。でも十歳の可愛い女の子なの。子供がいくら正しくても正論を振りかざして、大人を自分の思い通りに動かそうとしたら、周囲からどう見られるかしら?」
「う……」
そりゃ、くそ生意気なガキだと思うわ。
精霊王という後ろ盾がいるからって調子に乗って、国を支える大貴族達にまで偉そうな態度をとる嫌なガキ。
「辺境伯もオルランディ侯爵も、聡明で素敵な方々よ。すべて説明しなくてもわかってくださるし、わからなければ自力で調べてくださるわ。友達のために心を痛めている女の子を、そのままにはしておかないと思わない?」
優しい口調で表情で話していたお母様が、そこでにっこりとほほ笑んだ。
「強い男性は、怒りを向けられるより悲しみを向けられる方が弱いのよ。助けなくちゃって思うから。ましてやそれが自分のせいだったら……罪悪感って放置出来ない感情でしょ?」
く……黒い。
これぞ貴族という黒い微笑だわ。やだ、素敵。
そうか。そうだよね。
ここにきて対人スキルのなさが浮き彫りになってきたか。
コミュ障だったんだもん。友達だってネットで話す方が多い付き合いだったのよ。
十歳になって、私はこういう子だって思ってくれる人が多くなって、つい油断していた。
クリスお兄様と今みたいに親しくなる前に思っていたじゃん。いくら頭がよくたって、子供は子供。経験値が大人と違うんだって。
周囲の大人から見たら私だって同じだ。いや、女の子の分、私の方がくそ生意気に見えるはず。
「ディア、落ち込んだのはわかったから、テーブルにおでこを擦り付けるのはやめなさい」
「私、男性とお話するのが下手みたいです」
「そうねえ。男性は追い詰めちゃ駄目よ。正論で叩きのめしてもダメ。何かしてほしいのであれば、お願いするだけでいいのよ。余計なことは言う必要はないの。そうして希望をかなえてくれたのなら、心の底からの感謝を伝えないとね。笑顔でちゃんとお礼を言えばいいのよ」
「それでいいんですか?」
「下手に借りを作るとまずい場面もあるけど、あなたならそういう時はわかるでしょ?」
「お母様、クリスお兄様は怒っていませんでした? 皇太子殿下も。私生意気なことをいっぱい言ってしまいました」
「クリスは、兄として頼りないのかなって寂しそうだったわね」
「ううう……」
どうしよう。謝らなくちゃ。
大好きなお兄様を悲しませたいわけじゃないんだよー。
「ね? 罪悪感って扱いに困る感情でしょ?」
「え?」
「うふふ。クリスは怒っても悲しんでもいないわよ。あなたの性格はわかっているもの。皇太子殿下も同じ。モニカとスザンナが、選ばれることだけを目的にしてしまうところだったって話していたんですって。あなたと彼らのやり取りを見て、クリスに関しては、身内に見せる顔とそれ以外が違うことに気づいていたけど、皇太子殿下も気さくで心の広い方だとわかってよかったって言っていたそうなのよ」
うわ、ふたりに助けられたわ。
女性ふたりに好印象を持たれたおかげで、皇太子も悪い気はしなかったわけだ。
よかったー。
「でも今回だけよ。特に皇太子殿下に対して、親しくしすぎては駄目。婚約者候補もいるのだし、適度に距離を置いてね」
「はい」
男女の距離感て、正直全くわからないんだよね。
前世では仕事関係以外に男性と接触する機会がなく、今は大人の男性ばかりと話をしているし、同世代の男の子は私を怖がっているのか、向こうが距離をとっていることが多いから。
そして仲良くなった皇太子やダグラスは、私を女扱いしていないという。
つまり私には、女の子としての魅力がないってことだな。
「むずかしいです。男の子とあまり親しくすると女の子に嫌われるし、そもそも男の子にこわがられているし」
「ディア、あなたちゃんと自分の姿を鏡で見ている?」
「毎日見てますよ」
「皇族に次いで地位の高い貴族の令嬢で妖精姫。可愛くて頭がいい。男の子がそういう子に話しかけるのに、どれだけの勇気がいると思っているのかしら?」
「勇気?」
「男って女よりシャイで繊細な生き物なのよ」
えええ?! クラスで男の子だって普通に話しかけてくるよ。
クラス内なら身分の上下は関係ないからって、乱暴な口調の子だっているよ。
普通の子は怖がって、気の強い子は生意気なことを言って……生意気っていうのも大人目線か。子供同士のやり取りなんてあんなもんだっけ?
「乱暴な子は何を言ってきたの?」
「うーん、魔道具を作るのを手伝うとは言ってくれたんだけど、遅いとか、ひとりじゃ何も出来ないのかよとか」
「でも手伝おうとしてくれたんでしょ? あなたのクラスは伯爵家以上の高位貴族の生徒しかいないでしょ。ずっと領地で暮らしていた場合、今まで自分の家より高位の貴族と話したことがない子だっているの。その中で、自分より高位のすごく可愛い令嬢に話しかけるって、とっても勇気がいるのよ。手伝うっていうのはもっと勇気がいるわ。断られたらどうしようって思うでしょ」
そうだ。クラスの中で声をかけて、断られたら恥をかく。
でも手伝うって言ってきてくれたんだ。
ああああ、私、最悪。中身が大人ならもっと言い方があっただろうに、あの子に恥をかかせたんだ。
「授業だから自分の事は自分でしなくちゃ駄目ですもの。断るのは当然だわ。でも、声をかけてくれたこと。手伝おうとしてくれたことにお礼は言った? ありがとうって笑顔を見せれば、その子は次はもっと自然に話しかけてくれるわよ」
お母様、私の中身の年齢より年下なのにすごいな。
社交界の花形として、男性陣の人気の的になるはずだ。
そのうえ女性からの人気も高いのよ。いい女って、こういう女性を言うんじゃないかしら。
「笑顔ですね。次からはちゃんとお礼を言えるように頑張ります。同じ年齢の子供ばかりの中にいるのって、今までの生活と違いすぎて、どういう態度でいればいいのかわからなくて」
「なんでもひとりで出来ちゃうディアにも、苦手なことがあったのね。こうして母親らしい話が出来て嬉しいわ。うちの子は、自分達で何でも解決してしまうんですもの」
「今度、相談に乗ってください。男の子と親しくなると、男同士の友達のようになってしまうんです」
「あなたは強いから……。ちょっとだけ隙がある方が可愛かったりするのよ。でもその隙に付け込もうとする男は、容赦なく叩きのめした方がいいわ。強いけど可愛いのがベリサリオの女よ」
怖いも入れた方がいいですよ、お母様。
城から戻ってすぐ、クリスお兄様の部屋に向かった。
謝るならその日のうちに。
じゃないと気になって眠れないよ。
前もってレックスに私が行くことを伝えてもらったから、起きて待っていてくれるはず。
たぶん、私の性格を把握しているクリスお兄様なら、今日中に会いに行くと予想しているだろうしね。
「お兄様、こんな遅くにすみません」
「たぶん来ると思っていたからかまわないよ」
少しは怒っているか、悪そうな笑顔でやっぱり謝りに来たねって言われるかなと思っていたけど、全く普段通りで、しかもとても嬉しそうに出迎えられてしまった。
「こんな時間まで母上と話していたのかい?」
「気付いたら話し込んでいました」
この世界に写真がないのが残念だ。
寝巻の上にガウンを羽織ったラフで自然なクリスお兄様の今の姿の写真なら、お嬢さん達に高値で売れると思うの。
「こっちに来てホットミルクでもどうだい?」
私が来ると予想していたからか、まだ部屋にルーサーが控えていた。
もしかして仕事の話をしていたのかも。
「いいえ。謝りに来ただけなのですぐに帰ります。今日はいろいろと出過ぎた真似をしてすみませんでした」
あ、いけない。
謝るんだからと、体の横にぴしっと腕をつけて頭を下げてしまった。
「……」
これは……頭を上げるべき?
クリスお兄様が何も言わないから、どうするか迷ってしまう。
やっぱり怒っているのかな。
衣擦れの音がして、足音が近づいてきて、床を眺めたままの視界にお兄様の靴先が見えた。
「ディア」
「って」
名を呼ばれたので少しだけ顔を上げたら、指先でおでこをつんと押された。
「謝ることなんてないよ。ディアのおかげで、この問題に対する視点がだいぶ変わったんだ」
「問題……」
「うちの家族に迎えるにふさわしい女性を選ぶのに、このやり方が合理的だって僕は思ってた」
「合理的……」
「ディアがいろいろ提案したおかげで、彼女達との話題を探さなくて済んだ」
駄目だ。
お兄様のこの考え方は貴族として正しいのかもしれなくても、それを口に出してしまう段階でもう駄目だ。それを聞いた女性側がどう感じるのか考えてよ。
「わかりました。お兄様の考え方を変えるのは難しい。ここはモニカとスザンナに頑張ってもらいます。惚れさせてしまえばいいんですよ。そうすれば彼女達もお兄様も皇太子も幸せになれるんだ。そうだ。惚れた方が負けなんだ!」
「ふーーん」
腰に手を当てて言い切ったポーズのまま、思わず鼻の頭にしわを寄せてしまった。
クリスお兄様がとっても悪そうな顔をしている。
「つまり彼女達のどちらかを、僕に惚れさせればいいわけだ。そうすればディアは安心なんだろ? 僕に惚れていれば、結婚出来て幸せだよね」
「……惚れさせる方法を知っているんですか?」
「知らない」
「なんだ」
「ディアは知っているの?」
「知りません。でも私にはお母様という強い味方がいるんです! お妃教育にお母様にも参加してもらえばいいんだわ。私も一緒に勉強すれば、対人スキルが上がるはず!」
「惚れさせる方法が、なんでお妃教育に関係あるんだい?」
「いいんです! 絶対にお兄様に負けませんから」
「……なんで僕とディアの勝負になってるの」
「本気で好きになってから、相手にされなくても知りませんからね!」
廊下に出てから気付いた。
謝りに来たはずなのに、何をやってるんだ私は!




