皇族の葛藤 1
琥珀が暮らす場所はアーロンの滝の上。皇都を見下ろす小高い丘の上だ。
丘は皇都の外まで続いていて、滝の下だけでなく上も皇族の土地なので部外者は立ち入り禁止。おかげで街中にあっても人間が近寄らない場所ではあるんだけど、琥珀の住居のある次元と人間の住む次元が違うのか、特殊な魔法でもかかっているのか、気候や景色が皇都とはまるで違った。
どでかい滝の上流だから川幅が広いのはわかる。でもね、水の流れは穏やかで底が見えるくらいに透き通っているんだよ?
いやいや、爆音響かせて滝つぼに水が落ちる迫力ある滝なのに、この水量はないわ。
それに川の向こう側、あれ桜? 桃? よくわからないけど薄いピンク色の花が一面に咲いているの。冬なのに! 皇都は雪が降りそうな気温なのに!
川のこっち側なんてもっとすごいよ。
実のなる木ばっかりが植わってるよ。
どの木もいっぱい実がなっているよ。
冬なのに!
「さすが土の精霊王」
『好きな果物があったら、取って食べていいわよ』
「ありがとうございます」
礼は言っても手は伸ばさずに、皇太子は琥珀の後ろを歩いていく。
琥珀は相変わらずアランお兄様がお気に入りなので、クリスお兄様が皇太子の隣にアランお兄様をつけておいた。
ふたりの後ろをエルドレッド皇子とクリスお兄様が歩き、最後尾に私を中心に瑠璃とパティが歩いていく。巻き込まれて連れてこられたパティは、私の腕をしっかりと掴んで離さない。
「どうしてこんなことに……」
「私に巻き込まれたって言えば平気よ。本当のことだし」
『その子は何を気にしている?』
「精霊王の住居には、担当する地域の辺境伯家の人間だけが訪れていたの。中央は皇族だけが訪れる予定だったんだけど、今回は私達も来ちゃったのよね」
『そもそもそんな決まりはないが』
「うん。でも最初に辺境伯達に精霊王を紹介する機会があったでしょ? その時に全精霊王の住居にベリサリオだけ招待されちゃまずいなと思って、各地域の代表になった人の家族だけ会えるって事にしたのよ。ベリサリオばかり特別扱いされると、他の貴族との兼ね合いがあるじゃない?」
『おまえは別扱いでいいのなら構わん。おまえまで他の精霊王のもとに行けないとなると、皆がうるさい』
「私は……もうみんな諦めているんじゃないかな? あの子はしかたないって」
話しながら歩いた先には、ギリシャのパルテノン神殿を思わせる白い建築物が建てられていた。
といっても、白い円柱が等間隔にぐるりと建てられているところが似ているだけで、こちらの方が規模が大きいし、円柱で囲まれた中の三分の二は高層建築物になっている。
その建物は上に行くほど面積が小さくなっていて、いくつもの四角が積み重なって円柱で支えられている不思議な造形をしていて、屋根部分は全て半円形。開口部にはドアも窓ガラスもなく、十階くらいはありそうな高さでも手摺のない外階段がついていた。
そもそも飛べるのに階段いるのかな? あれは飾り?
手前部分には白い石が敷き詰められ、中央に丸い池があり、そこから四方に水路が伸びている。池の上には放射状に十二個の線が描かれた透明な板が浮かんでいて、池にそれが映っていた。
「時計?」
『そうよ。素敵でしょ?』
板には針がないのに、池の水にはちゃんと針が映っている。
素敵だけど、土の精霊王の住居としては意外かも。
蘇芳のいる場所の方が、よっぽど土の精霊王の住処のイメージだわ。
『土の精霊王らしくないとか言うんじゃないでしょうね』
「うっ」
『人間はみんなそう言うわね。服の色は確かに属性に合わせているけど、なんでもかんでも土の精霊王らしくしなくちゃいけないなんて馬鹿らしいわ』
そりゃそうか。
何色の服を着たって、どこに住んだって、琥珀は土の精霊王だもんね。
『ただ、地面があって植物がたくさんあって、生き物がたくさんいるところが好きだし居心地がいいのは確かなのよね』
「じゃあこの建物、居心地よくないんじゃないの?」
『いいの。今はそういう気分なの。飽きたらまた変えればいいのよ』
『どの精霊王も住む場所も住居も何度も変えているぞ』
『翡翠が一番頻繁に変えているわ。だから転送陣が必要なのよ。あれがあればどこに移動しても飛んでいけるでしょ?』
引っ越し好きな人っているよね。
「じゃあ瑠璃もあの泉じゃないところに住んでいたこともあるの?」
『引っ越しなど面倒だ』
『彼は担当地域内に、いくつも別宅があるのよ』
あー、自宅をたくさん持つタイプか。
維持が大変だけど、自分の家が落ち着く人にはホテル住まいよりいいよね。
精霊王は知れば知るほど個性がはっきりしていて楽しいな。
同じ水の精霊王ならば、国が違っても似たような考え方や行動をするのかな。
いや、モアナと瑠璃が同じ行動はしないわ。
案内されたのは列柱のすぐ横の、三段ほど他より高くなっているスペースだった。
そこだけ石の上に絨毯が敷かれ、ロータイプの生成りのソファーが置かれていた。
背凭れまでふかふかで、座ったら立ち上がれなくなっちゃうようなやつよ。
『ここから皇都が見下ろせるのよ』
高さの尺度もおかしい。
アーロンの滝の高低差の何倍よ?!
高尾山の山頂から麓を見下ろしたような高さなんですけど!
『ほら座って』
「高所恐怖症の人がいたら泣くわ」
『なんだ、こわいのか?』
「こわくなんかないです」
景色が見やすいように、ソファーはL字型に置かれていた。
瑠璃がLの字の角の部分にさっさと腰を降ろしたので、私が右隣に座って、腕にしがみついたままのパティもそのまま隣に座る。瑠璃の左隣にアランお兄様、クリスお兄様、皇太子の順に座って、なぜか琥珀がパティの隣に座った。エルドレッド皇子はちょっと迷っていたからか、琥珀が腕を引っ張って自分の隣に座らせた。
『ようやく招待する事が出来たわね、アンドリュー。こっちのエルドレッド? あなたなんて森が完成した時に、家族で顔を出して以来会ってなかったわよね』
琥珀に声をかけられて、エルドレッド皇子は曖昧に頷いた。
大きな花の描かれた足首まである服の上に半透明の薄い上着を羽織り、腰に幅の広い布を巻いている女性達が、いつの間にかテーブルの傍らに姿を現し、飲み物やカットされた果物の皿を並べている最中だったので、聞いてはいてもみんなが注目している空気が薄くてよかったかも。
琥珀の口調は、別に責めている感じじゃないんだけど、場の空気がなんとも微妙なのよ。
「すみません。エルドレッドは公務についていないのと、私のスケジュールの都合でいつも伺う日程が決まるのが当日になってしまって、ふたり揃って伺う事が出来ませんでした」
『それはいいけど、あなた忙しすぎじゃない? ようやく十五でしょ? 今しか出来ないこともあるわよ』
「学園に通ったり、友人と過ごしたりさせてもらっていますよ。でも私ひとりが琥珀様に招待されるというのは、周囲からすると不安が大きいようで……パウエル公爵に中央の代表を頼もうかとも思案しているのです」
「え? どうしてですか?」
「皇族の下に、精霊王の担当する地域の代表者四人がいるという形にした方が、いいんじゃないかという意見があるのと、私では魔力が少なくてこれ以上精霊獣を育てられそうにないからだ。パウエル公爵家は魔力が多い家系だから、彼らの方がふさわしいのではないかと思ってな」
皇太子の説明はいまいち歯切れが悪いけど、いろんな貴族の思惑があるから仕方ないんだろう。
それに悪い意見でもない気もする。皇族の下に四天王がいるって感じも帝国っぽくってよくない?
私の帝国のイメージ、前世のアニメのイメージが大きいんだけどね。
魔力に関しては、頑張ってはいたけど将軍は魔力の少ない人だったし、中央は精霊と何年も契約出来なかったり、それ以前から精霊に興味がなかったりして、婚姻の条件から魔力の多さの項目が自然消滅していたんだよね。それが残っていた地方と、同じ貴族でも魔力量に差が出るのは仕方がないし、それは皇太子の責任じゃないでしょ。
「それに後悔もあるんです。五年前、ベリサリオでおまえ達と話す機会があっただろう? その時に全て打ち明けていれば、あの事件は回避出来たのかもしれない。だがあの時の私は、ディアを信用出来なかった」
はあ?! 私が五歳の時の話よね? 十歳と五歳で何をどうしたっていうのさ。
「それはない」
「僕達も皇太子を信用してなかったしね」
「おまえ達……少し遠慮っていうものをだな」
「いやいい。クリスに遠慮がどうと言われると気持ち悪い」
「おい」
皇太子に、おいって言うのはいいんでしょうか。
遠慮しようよ、クリスお兄様。
「あの時にそんな話をされても、私は何もしなかったかもしれないですよ。まだ五歳だったし、ベリサリオの領地内の事には興味があったけど、帝国全体にはあまり関心がなかったし、巻き込まれたくなくて逃げたかも」
「そんな話を持ち込んできた時点で、途中で話を打ち切ってディアと部屋を出て行ったと思います」
私とアランお兄様の返事を聞いて、それはそれでショックだったらしい。
皇太子は額を押さえて俯いてしまった。
これはけっこう自信喪失している感じ?
ストレス溜まっているのかな。
そりゃ溜まるよね。辺境伯達やパウエル公爵とか大貴族達にずっと囲まれて国政に携わらなくちゃいけないんだから。
しかも次期帝王に相応しいと思わせなくちゃいけないんでしょう?
それが毎日でしょ?
実は円形脱毛症になってたりしない? 大丈夫?
「でも、あの時の殿下との話はとても印象深いですし、今になって、かなり実感させられています」
「どの話だ?」
「好きになる相手を考えろっていう話です。相手が妬まれたり暗殺される危険があるって」
「その話は撤回する」
「ええ?!」
実際に、お友達が巻き込まれていて申し訳ないと思っていたのに?!
「あれから五年でこれだけパワーアップしたことを考えると、成人したディアを敵に回せるやつなんていないだろう。誰を恋人や友人に選ぼうが、もう誰も文句は言えまい」
『いや、変な男は駄目だ』
「当然です。文句言いますよ」
「家族の一員として迎える以上、それなりの男でなくてはな」
「恋人との仲を反対されるならと、ディアが国を出て行ったらどうするんだ?」
「「『……』」」
皇太子に突っ込まれて、瑠璃まで黙り込まないで。
というか、家族が一番面倒な存在になっていない?
「国を出て行くなんて、そんなことしませんわ。ただ、あまり理不尽な態度に出るようでしたら、二度とお話はしなくなるかもしれません」
『私は理不尽なことなどしないぞ』
「あ、瑠璃様が裏切った」
「ディア、僕達と話せなくなっても平気なのか?!」
クリスお兄様、必死な顔で立ち上がらないで。今、そういう話題じゃないから。
いつでも出来るアホな会話は、あとでしようか。
『パウエルか。かまわないが、今のことだけではなく五年後、十年後を考えた方がいいのではないか? 魔力の強い嫁を娶り、子供が出来て家族で招待を受けられるようになった時になって後悔しないか?』
アホなことを言っている三人組を綺麗にスルーして、話を本筋に戻す琥珀先生さすがです。弟子にしてください。
いや、琥珀先生の迫力を学ぶともっと恋愛が縁遠くなる気がするので、やっぱりやめておきます。
「はい。それもあって迷っています」
『各地域の代表の家の者と、ディアドラが許可した者なら、どの精霊王からも招待を受けられるという事にすれば問題あるまい』
「問題ありまくるんですが」
私の権力をこれ以上強くしてどうする気ですかね。
『そうよ。それでいいじゃない。今はパウエルを連れて来て、即位したらひとりで来たっていいじゃない。なんなら私が皇宮に会いに行ってあげましょうか?』
私の意見も綺麗にスルーされた。
無視しちゃ駄目よ。話聞こうよ。
「そこまでしていただくわけには……」
『いいのよ。後悔なら私もしているの。ルフタネンの精霊王達が引き籠っているからって翡翠や蘇芳が叱りつけに行ったけど、瑠璃がディアと出会うまで、私達だって人間とのかかわりを避けていたわ。ジーンの事もパウエルの事も見ていたのに、精霊の森が壊される時に私は何もしなかった。あのまま皇都を砂漠にする気でいたのよ。精霊王の私ですらこうなんだから、まだ十歳だったあなたが悔やむ必要なんてどこにもないのよ。だからね、こうして交流を持った今は私も何かしたいの。あなたの頑張りはちゃんと見ているし、あなたが皇位に就けばこの国はもっとよくなると信じられるもの』
「あり……がとうございます」
優しい声と表情でそんなこと言われたら、皇太子泣いちゃうよ。
私達いないほうがよかったんじゃないかな。
『これからは他の地域のように定期的に会いに来てほしいものだわ。それならあなたも来られるでしょ?』
エルドレッド皇子の頭に手を置いて、くしゃっと髪を撫でる。
『人間の政治に関わりはしないけど、子供の愚痴を聞くくらいはしてもいいじゃない?』
「はい。そうさせてください」
「私は……」
俯いていたエルドレッド皇子が顔をあげ、皇太子の顔をようやく真っ直ぐに見つめた。
「皇族としてふさわしくないと思うんです。ですから、皇位継承権を放棄し、皇族から外していただきたいです」
は?
……は?
さんざん私に話があるって言っていたのは、もしやこの話?
こっちの皇子も落ち込んで悩んでいたのか。
いるよね。そりゃね。
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