閑話 精霊の愛した国で 1 カミル視点
カミルの幼少期、ディアと出会う前のお話です。
生まれた翌日には母親から引き離された俺が育てられたのは、王宮のずっと奥。海に面した広い庭を持つ小さな屋敷だった。
元はなんのための建物なのかは知らない。二階建ての瀟洒な館は、長い年月潮風に晒され、窓枠が錆びて青銅色に変わり、壁もところどころ剥げ落ちていた。
小さい頃の記憶なのであいまいだが、料理人とメイド長の夫婦の他にメイドが何人かいたはずだ。護衛も何人かが交代でついていたと思う。
王位継承権を放棄させられた第五王子に価値なんてない。要は大事な仕事から外されて押し付けられた閑職だ。メイド達はやる気がなく、子供の俺を放置しては護衛の男に言い寄っていた。
ほとんどの者は俺が生きていればそれでよかった。餌を与えて寝させておけば、赤ん坊なんて勝手に大きくなるとでも思っていたのかもしれない。
その中でメイド長のアリサと護衛のボブだけは、何かと俺を気にかけてくれた。
といっても、それに気づいたのはもっと大きくなってからだ。まだ小さかった俺にそんなことは理解出来ない。自分の境遇がおかしいなんて思うわけもなく、三年が過ぎた時に大きな変化が起こった。
王宮のほとんどの者に存在すら忘れ去られていたはずの別館に、来客があったのだ。
俺は海辺近くの庭で遊んでいた。傍で俺の様子を見守っていたボブが突然跪いたので、どうしたのかと振り返り、こちらにたくさんの大人の男が近づいてくるのに気付いた。
「きみがカミルかい?」
大勢の大きな男に囲まれていた彼は、俺の姿を見つけると笑顔ですぐ傍らにしゃがみ、目の高さを合わせた。
「うん」
「そうか。はじめまして。私はラデク。きみの兄だよ」
王太子である兄上は十二歳年上で、いつも穏やかな笑みを絶やさない温和で優秀な王子だと言われている。優秀な王子が温和な性格なんてしているわけがないけどな。
ルフタネンでは珍しい琥珀色の淡い瞳は、二百年前、全属性の精霊王が後ろ盾になったおかげで、ルフタネンを大きく発展させた国王と同じ色の瞳だ。
「俺はゾルだ。カミルは今いくつだ?」
「みっちゅ」
「みっつか。賢い子だ」
その時も、今も、自分が特別な子供ではないことはよくわかっている。
それでも第二王子である兄上は、大切そうに俺に触れて抱き上げてくれた。
野蛮だとか、王子らしくないと言われていた兄上は、本当は誰よりも優しい人だった。長く伸ばした黒髪と夜闇のように黒い瞳。眉が太く目尻が少し吊り上がっていたせいできつい性格に思われがちなだけだ。
「まったく四人目の弟がいると教えてくれないとは。ゾル、私にも抱かせてくれ」
「まだ抱きあげたばかりだよ。ほら、高いだろう」
十五の王太子と十三の第二王子は三歳の子供から見たら、充分に大きな大人だ。
生まれて初めて家族に会えて、生まれて初めて抱きあげられて、高い場所から見る海は思っていたよりもっと大きいんだと驚いたことを覚えている。
「三歳で水と風の二属性の精霊持ちか。優秀だなカミル」
「早く精霊獣に育てろよ。きっとおまえを守ってくれる」
ふたりの兄の肩には大きな全属性の精霊がふわふわと漂っていた。
自分以外に精霊を持つ人間に会ったのも、その日が初めてだった。
「今日はきみに会わせたい人がいるんだよ。海が近くて便利だ」
「少し海に行くぞ」
「モアナ! きみが言う通りだった。弟がいたよ!」
その時のモアナが今と同じ姿だったか、どこからどう現れたのかは覚えていない。気付いたら傍にいて、抱きしめられていた。
なぜかその日から彼女に気に入られ、俺がひとりで遊んでいるとときどき姿を見せ、しばらく話をして帰っていくようになった。五歳になった時に精霊王だと知った時には驚いた。
それまでずっと、綺麗だけど賑やかなお姉さんだなと思っていたと言ったら落ち込まれたっけ。
兄と会った日から俺の待遇は大幅に改善された。
いつ王太子が顔を出すかわからないために、気を抜けなくなったんだろう。
そしてその日から、俺の生活は忙しくなった。
毎日家庭教師が来て王族として必要な知識を詰め込まれ、剣や短剣、弓の使い方等、様々な武術を学んだ。
学ぶのは楽しかったしそういうものだと思い込んでいたから、その時はおかしくは思わなかったが、まるでアサシンのように、潜伏の仕方や自分より大きな相手の的確な殺し方も教わっていた。
身を隠すときに精霊のせいでバレてはいけないので、身を伏せたら太腿の近くに、暗い道で走る時は足元を照らすように、精霊に動き方を教えたのでそれが対話になっていたらしい。いつの間にか全属性揃っていた精霊は、順調に育って精霊獣になった。
側近にと俺より少し年上の少年を、何人か連れて来てくれたのも兄上達だ。
普通なら王子の側近は貴族の子息だ。王位継承権を放棄して公爵になっていても同じはずだ。だけど紹介されたのは、子供の頃から剣士として修業している平民の子ばかり。唯一貴族のキースは、俺の母親の出身地である北島の伯爵の子供だった。
「しっかり学べよ。知識は武器になるぞ」
忙しい王太子の分も第二王子の兄上は、たびたび俺の元に来てくれた。
精霊が全属性揃ったと知らせた時にはとても喜んでくれて、ともかく早く精霊獣に育てろとしつこいくらいに言われた。
生き残るために戦えるように、ふたりの兄は俺に与えられる全ての知識と戦う術を与えてくれた。
今でもその頃に学んだことが、俺を守ってくれている。
慌ただしくも幸せだった時間は唐突に終わりを告げた。
俺は七歳になっていて、自分の置かれた立場も、ルフタネン王国の状況もある程度は把握出来るようになっていた。王太子は子供に聞かせるような話ではないことも、必要であれば全て教えてくれる人だった。
「兄上、そんなことまでカミルに知らせなくても。まだ子供だぞ」
「彼らは子供だからといって助けてはくれない。むしろ今なら殺しやすいと思うような奴らだ」
「父上がさっさとあいつらを捕まえればいいんだ。なぜ知らん顔をしているんだ」
「……自分も狙われる危険があるからだろう」
なぜそんなに国王になりたいのかわからない。
自分が国王になるという事は、今度は狙われる側になるという事だ。
そうならないために兄妹も親も殺して、そのうち我が子まで殺そうとするんだろうか。
その日、精霊獣を海で遊ばせながらのんびりと海に沈む夕日を眺め、日が暮れる前に戻ろうと屋敷に向かう途中で、いつもと違って屋敷が静まり返っているのに気付いた。
普段なら夕餉の支度をする煙が煙突から上がり、いい匂いが庭まで届いていることもある時間帯だ。庭先にいるはずの護衛の姿もなく、灯りの灯る部屋も少ない。
何かが起こっている。
庭の樹木の脇に膝を付き耳を澄まそうとするが、心臓がばくばくして呼吸も浅くなってきて、何もわからない。
いつかはこういう日が来ると覚悟をしているつもりだった。でもこの七年平和だったために、命を狙われていると言われても現実味がなかった。このまま、平和な日々が続くんじゃないかと甘い期待を抱いていた。
『カミル、どうした』
「しっ。声を落として」
そうだ。俺はひとりじゃない。
「膝近くに移動。人間はどこにいる?」
精霊達がひゅーっと足元に移動し、片膝立てていた足の上に並んだ。
『庭にはいない』
『玄関近くにふたり。見たことないやつ』
『建物内、一階に何人かいる。二階は動いているやつはいない』
『危険だぞ、カミル』
迷っている間に状況は変わる。すぐにしゃがめるように体勢を低くしたまま物陰に身を潜めつつ、建物の外壁に駆け寄る。突然俺が動いたので、土と水の精霊がぽろっと地面に落ちて慌てて追いかけてきた。
「こっちを見ている人間は?」
『いない』
『玄関側の人間がこっちに来る』
「見える位置に来たら教えて」
バルコニーの手摺に乗り、二階のベランダに掴まり懸垂の要領で身を持ち上げる。
部屋の中を伺い、動く影がいないのを確認して隣の部屋へ。バルコニーとバルコニーの間はジャンプで移動していく。
『来る』
反射的にうつ伏せに寝転がり、手摺の隙間から庭を窺うと、見たことのない制服を着た男がふたり、周囲を警戒しながら庭を横切っていくのが見えた。
上等な制服と腰に吊るした剣。正規の軍隊の兵士だ。
第三王子の陣営か、第四王子のほうか。
王位継承権を放棄している俺を殺す気になったのは、精霊獣のせいだろう。
俺の精霊獣は、この世界にはいない竜だ。
精霊王が後ろ盾になった賢王の精霊獣と同じ姿だ。
俺だけじゃなくて、王太子も第二王子も同じ精霊獣なのに、第三王子と第四王子は違う。
そもそも彼らはまだ全属性の精霊を持っていなかったはずだ。
賢王と同じ精霊獣を全属性持つせいで、突然第五王子が危険な存在になったんだろう。
だったら、さっさと自分のところの王子の精霊を育てろよ。
暗殺を企てるより、よっぽど建設的な選択だろうに。
「どこに行きやがったんだ」
「精霊獣がいるなら、気付かれたんじゃないか」
「くそう、たかがガキひとり始末出来ないとか、まずいだろう」
「そもそも王子を殺すって……」
「しっ。声がでかい」
どうせなら誰の命令か話してくれればいいのに。
『行った』
『部屋の中に動く人間はいない』
聞かなくても精霊が教えてくれるようになった。ありがたいけど、こんな危険な状況に付き合わせてしまって申し訳なくなってくる。
窓は開いていたので、そっと中の様子を窺ってからしゃがみ込み、すぐに室内に入り壁を背に出来る場所に移動した。
「血の匂い?」
部屋の中の暗さに目が慣れず、目を細めて室内を見回し、浴室の扉近くの床に誰かが倒れているのに気付いた。
『アリサ、動かない』
「回復を!」
全ての事が吹き飛び、慌てて立ち上がって駆け寄った。
水と風の精霊が回復魔法をかけてくれたが、メイド長のうつろに開かれたままの目を見ればわかる。
「もう……いいんだ。もう……」
両腕と肩から胸にかけて切られている。傷口から流れた血が床に広がり、掃除道具が血だまりの中に転がっていた。
「動かない人間が、他にもいるのか?」
『魔力を感じられないとわからない』
『微かに魔力が残っていて動かない人間、何人かいる。一階』
「生きてるのか?」
『息はしていない』
もう間に合わないんだろうか。もしかして回復出来る?
だが、回復してもこの状況で逃がせるのか? 護衛だって何人もいたはずなのに、勝てなかったのに。
「動いている人間は何人?」
『十二』
……無理だ。
子供ひとり消すのに、そんな数の兵士を投入したのか。
「誰か来たら教えて」
ここにはいられない。
上着を着こみ、貴重品の入った引き出しを開けようとして落としかけ、慌てて床すれすれで掴んだが、中身をぶちまけた。
落ち着いていたつもりだったのに、手が震えている。
俺のせいだ。
俺のメイドや護衛にならなければ、彼らは生きていられた。
狙われていたのは俺だけだったんだから。
『カミル?』
『怪我したか?』
「……平気だ」
生きて、生き抜いて、兄上達に会わなければ。
こんなふうにメイド達まで殺すような奴は、兄弟でもなんでもない。
きっと、兄上達も狙われる。
ならば、俺が殺す。
マジックバッグに全ての金と貴金属を入れる。
いざという時のために、最低限の着替えと食料はいつも入れてあるからなんとでもなるはずだ。
『カミル、来る』
王族の紋章の入ったメダルを握り締め、大きく息を吐いた。
落ち着け。子供の俺を相手にするなら、敵は油断しているはずだ。
ちらっとメイド長に視線を向け、心を決めた。
ベッドの下にうつ伏せに潜り込み、マジックバッグから短剣を取り出す。
「目立たないように」
『うし』
『隠れる』
なぜか太腿の間に揃って隠れた精霊獣がおとなしくなった時、部屋の扉が開いた。
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