分岐点 イレーネ視点 前編
ディアドラの友人を知っていただきたくてイレーネ視点で書きました。
長くなってしまって前後編です。
出かける前に侍女が髪を整えたり、化粧してくれるのを、私はいつも落ち込んだ気分で見てしまう。
中央に多い赤毛の子は、ほとんどが緩やかに波打って程よく広がって、結い上げていなくてもゴージャスに見える髪をしている。でも私の髪は赤毛では珍しく真っすぐで、ぺたりとしてしまってみすぼらしい。顔も地味で、赤い瞳ばかりが目立ってしまう。
スザンナみたいな、綺麗な銀色の髪が羨ましい。
彼女はそもそも侯爵家令嬢で身分が違うし、美人だと有名なご令嬢だ。目尻の下がった大きな青い瞳が印象的な優し気なお顔で、私と同じ九歳なのに大人っぽくてとてもモテる。でも性格はさっぱりしていて頼りになるので、来年から一緒に学園に行けるからほっとしている。
ただ寮が違うのが残念だ。うちは牧場しかない土地の伯爵家だから、自分の領地の寮は持っていない。
同じ貴族と言えども爵位の違いは大きいわ。
特に伯爵と侯爵、辺境伯、公爵の間には大きな差がある。
公爵は皇族のご親戚だし、侯爵と辺境伯は軍事力を持つことを許されている。それに、辺境伯、侯爵、公爵は爵位を授けたいと陛下に申請する権利があるし、領地が広いから貴族に預けている土地もある。
でもコルケット辺境伯家には今、皇子に歳の近い子供がいないし、領内にも子爵までしかいないので、高位貴族だけしか参加出来ない授業やサロンに行ける子供がいない。それだと皇子や高位貴族の子供がたくさんいる今の学園で、顔を繋いで将来に役立てられない。
それで親戚関係のラーナー伯爵家と仕事上付き合いのあるうちに、寮に来てくれと言っているのよね。
スザンナは侯爵令嬢で自分の領地の寮があるから、誘ってくれているんだけど、お父様はコルケット辺境伯と親しいから無理だろう。
そういえば、ラーナー伯爵のところのデリル様って、この間、ディアドラ様の傍に張り付いていた子でしょ? 私が彼女と知り合いだとわかったら、うるさそうで面倒だ。
あの時は私もコルケット辺境伯に、ぜひディアドラ様と親しくなってくれと頼まれて、翡翠様に会いに行く前の食事会で話そうとしたのだけど、ディアドラ様の周りには男の子がいっぱいで話せなかった。
それでがっかりしていたら招待状が届いたから、お父様なんて小躍りしていたっけ。
うちの屋敷は敷地だけは広大で、窓から外を眺めると緑の絨毯が広がっていて、ところどころで草を食んでいる牛や馬が見える。
田舎伯爵の私のうちに、公爵家より身分が上になったベリサリオのお嬢様からの招待状がくるなんて、何かの間違いじゃないかって思っていたけど、昨日はエルドレッド皇子がひどいことを言ったせいで緊張なんて飛んでしまって、みんなと普通に話せてよかった。
唯一、妖精姫と盛り上がれそうな話題と言えば、私には精霊獣が三属性いることだ。残念ながら火の精霊はいないんだけど、他はちゃんと育てている。
牛の方が人間より多い領地だから、きっと精霊はいっぱいいると思う。だって精霊って自然がいっぱいあるところにいるんでしょ。うちの周り、自然しかないから。
皇宮に行くのは初めてで、疲れてさっさと寝てしまった後に、他の方々が集まって難しいお話をしたらしい。
夜遅くまでコルケット辺境伯と出かけていたお父様は、早朝に私を起こしに来て、青ざめた顔でフェアリー商会の皇都支店に行けと言い出した。今日これからすぐに出かける準備をしろって言われて、お母様と急いで準備をしているところ。
それだけじゃないのよ。私まで皇子の誕生日の茶会に招待されたらしい。なんでうちのような田舎貴族が、皇子の誕生日の茶会に招待されるの?
「出来ました。さあ、急いでお出かけしませんと。奥様がお待ちですわ」
「本当に私も呼ばれているのかしら」
伯爵家は私だけなのよ。侯爵家以上の御令嬢しかいないのよ。
「イレーネ、皇宮の転送陣をお借りする時間が決まっているのですから、急いで移動しましょう」
うちは歴史だけは古いから、屋敷に転送陣があるのが自慢。でもこんなに一日に何度も使ったのなんて見たことがないんだけど。
「荷物をそんなに運ぶんですか」
「皇都で有名なお店やフェアリー商会の人達が来て、まとめてお直しするんですって。明後日の茶会に着ていくドレスなんて、今からでは間に合わないでしょう」
茶会に行かないという選択肢はないんですか?
私、なにに巻き込まれているの。
転送陣で飛んだ先は、皇宮の一番小さな転送の間だった。
大きさなんて関係ないのよ。何時間かここはベリサリオ辺境伯の貸し切りなんですって。皇宮の三カ所しかない転送の間を貸し切りって、もうすごすぎてなにがなんだかわからないわ。
「リーガン伯爵夫人と御令嬢ですか?」
控室に入った私達に声をかけて来たのは、メガネをかけた青い髪の長身の青年だ。
「突然こちらからお声をかける無礼をお許しください。私はフェアリー商会のニック・スペンサーと申します。ディアドラ様の指示でお迎えにあがりました」
フェアリー商会はベリサリオ辺境伯御一家が設立した商会だ。精霊車だけでもとんでもない収益になっているのに、コルセットに代わる新しい下着で有名になった。更に、ベリサリオ産の紅茶と一緒に他所では食べられないスイーツが食べられるカフェまで皇都にオープンしている。今日招待されているのは、皇都にあるカフェを併設したフェアリー商会の皇都支店なの。
この場に立ち入りが許されているのだから、貴族なんだろう。商会の客はほとんど貴族だと聞いたから、従業員にも貴族がいないと相手が出来ないでしょうし。さりげなくメイドの荷物を受け取って、歩き出した様子は颯爽としてスマートだ。
「支店までは精霊車で十分ほどです」
「はい」
「ニック、ちょっと待ってくれ」
人が大勢行き交う廊下で名前を呼ばれ、スペンサー様が足を止めて振り返った。
「エルトン様、いつもお世話になっています」
足早に近づいてきたのは、昨日の祝賀会でも顔を合わせたアンドリュー皇太子の側近だ。ベリサリオと同じ銀色に近い金髪なのは、領地がお隣だから同じ民族なのかもしれない。瞳の色は濃い緑色で、皇太子の側近なんてエリート中のエリートなのに、そんな風には見えない柔らかい雰囲気の人だ。土と水の精霊が肩でふわふわしていて、笑うとえくぼが出来る。年上の人なのに申し訳ないけど、可愛いって思ってしまった。
「これをクリスに渡してくれないか」
「承知しました」
「よろしくたのむ。……ああ、リーガン伯爵夫人とイレーネ嬢。フェアリー商会においでになるんでしたね。お邪魔してすみません」
なんで知っているんだろう。
夕べの会合に、この方も出席なさっていたのかしら。
「とんでもありませんわ。もう用事はよろしいの?」
「はい。精霊車は走るのが速いのでお気をつけて」
お母様と二言三言会話を交わし、会釈して別れる時に私に視線を向けてきた。
ああ、可愛いなんて気のせいだ。とても鋭い目の輝きをしている。
黙って会釈して、横を通り抜けて行こうとしたら、
「イレーネ嬢」
声をかけられて足を止め、顔を向けたらすぐ横に彼がいた。
うわ。背が高い。皇太子殿下と同じくらいの歳なのよね。だったら私ともそんなには離れていないはずなのに、すごく大人っぽい。
「食事会にあなたも行かれるのですよね」
「はい、その予定です」
昼間はエルドレッド殿下の茶会に顔を出すから、お食事会は夕方から開催になって、そのままお泊りすることになった。お城に行くのは楽しみだ。
「妹のエルダが参加するので、よろしくお願いします。伯爵家は三人しかいないと聞きました」
「伯爵家の方、他にもいると聞いて私も安心したのです。会えるのを楽しみにしています」
妹さんのことを話すときは、優しい顔になるのよね。
みんな、いろんな顔を持っているのは当たり前だけど、私は人からはどう見えるのかしら。
「ベリサリオに行かれたことは?」
「初めてです」
「いいところですよ。城から見下ろす街と海の風景は素晴らしいです」
「海?! 忘れていました。海を見るのは初めてなんです」
急に楽しみになってきたわ。そうよ。海が見られるのよ。
「それはよかった。楽しんできてください」
私が海に反応したのが面白かったのか、笑顔になるとやっぱりえくぼが可愛い。
いいな、私もこんな素敵なお兄様が欲しかった。
「イレーネ」
歩き去る後姿をぼんやり見送って、声をかけられてはっとした時にはスペンサー様とお母様は随分先で立ち止まって待ってくれていた。
恥ずかしくて赤くなって追いかけたら、なぜかお母様は嬉しそうだった。
「こちらです」
用意されていたのはかなり大きな精霊車だ。横にベリサリオとフェアリー商会の紋章が描かれている。
スペンサー様にエスコートされて乗った精霊車の内部は、かなりゆったりとしていて、座った椅子も柔らかくて、部屋にいるのと同じ感覚でいられた。
「エルトン様は素敵な方ね」
「まったくです。お兄様とは大違い」
二歳年上のうちの兄は牛に夢中で、餌を変えると牛乳の味が変わるってお父様と話し込んでいたっけ。コルケット辺境伯家でディアドラ様を見て、可愛いけどべつに……て言った時には、両親がこいつは一生恋愛しないんじゃないかとか、男が好きなんじゃないかとか青くなって話していた。
でもチーズケーキを料理人と一緒に開発したのがディアドラ様だと知った途端に、兄はうちの牛乳を売り込まなくては! と目の色を変えていた。
「はあ? あの子はどうしてそう牛の事しか頭にないのかしら。そりゃあ、気に入ってもらえれば収益が上がって大助かりですけど」
「だからって他のご令嬢がいる前で、牛乳は売り込めません」
「そうね。いやそうじゃなくてね、エルトン様のお話よ」
エルトン様? えくぼが素敵ってお母様も思ったのかしら?
あら?
「お母様、もう城の外に出ていますわ」
「ええ? いつ動き出したの? 」
精霊車って、全く揺れないのね。気が付いたら城を出て街中を走ってたわ。
最近はたまに走っているそうだけど、まだまだ見慣れない人が多いみたいで注目の的になっている。
「ここが皇都支店? 豪華ですわね」
お店って通りの横にすぐに入り口があるものだと思っていたわ。皇都は違うのね。
通りから門を入ると中央に噴水のあるスペースがあり、馬車を順番に店の前に停められるようになっている。横には徒歩で来た人用の道もあるみたい。
「混んでるのね」
順番を待っている馬車の列を素通りして、精霊車はそのまま建物の横手に進んで行く。そちらにも馬車を停めるスペースがあり、豪華な扉が開いて中から人が出てきた。
「レックス、荷物があるから頼む」
「わかった。直接奥にお通ししてくれ。もう採寸が始まっている」
精霊車が横の道に入ったので、建物の角から覗いている客がいる中、スペンサー様に恭しくエスコートされて精霊車から降りるのは、正直なところちょっと優越感がある。でもそれ以上に、なんでこんなことになっているかわからなくて手が震えてしまう。
「お気をつけて。大丈夫ですよ。お部屋に皆さんいらっしゃいますから」
震えているのに気付いてスペンサー様がやさしく話してくださるけど、待っている方々が公爵様のご令嬢とかベリサリオの妖精姫なんですよ。
おかしい。いつもは牛を眺めて過ごしている私には、似つかわしくない待遇だわ。
「こちらへどうぞ」
「……これで支店?」
思わず呟いてしまったら、スペンサー様が拳を口に当てて笑いを堪えているのが見えた。
「本店よりこちらが豪華なんです。本店は白を基調に青やオレンジ色を使った避暑地らしいデザインになっています」
「あ、そうなんですね。スペンサー様はいつもはそちらに?」
「いいえ、本部は城の中に建てた別館を使っています。そこでは取引だけではなく企画や商品開発もするので、ここの三倍は広いです」
ここの三倍だと、うちの屋敷より大きくなるんですが。まさかベリサリオの城って皇宮みたいに広いの?
「こちらは招待客専用のスペースです」
重そうな扉を開けた先には、うちよりもずっと豪華な世界が広がっていた。
高い天井には星空が描かれていて、小さな魔道灯が高い位置から天井を照らしている。床は複雑な模様の織られたカーペットだ。
「みなさんようこそ!」
廊下の先で両手を広げて、美しい髪をおろしたままのディアドラ様が立っていた。