届かない招待状
初めて訪れた皇宮の大広間は、ポカーンと口を開けて眺めてしまいたくなるほどに豪華で煌びやかで広かった。
壁と天井は白と濃いブルーで色分けされ、白地の部分は金色のラインで縁取りされている。柱は白地に金の細工が施され、クリスタルの魔道灯の輝きを反射してキラッキラだ。
正面入り口から中に案内されると、突き当りまでが遠すぎてここは廊下じゃないかって思ってしまいそうだけど、それにしては幅が広すぎる。
一番奥は三段ほど高くなっていて、ひときわ煌びやかに装飾された壁の前に椅子が三脚並んでいる。皇帝を中心に将軍と皇太子が座るのだろう。
家族五人と側近ひとりずつ、全部で十人で広間を奥に歩いていく。会話していた人達が自分達に気付いて口を閉じ、上から下まで眺めてくる視線に晒されるのは、あまりいい気分ではない。
今日は金と紅の刺繍の入った紅鳶色のドレスにアメジストの装飾品をつけている。見た目にはご令嬢に見えているはずよ。はずなんだけど、これだけ注目されると不安になって扇を持つ手が少し震えている。小心者だと笑いたければ笑え。皇宮での公式行事は初体験なんだ。
せめてもの救いは周囲に家族がいること。身分の高い人ほど奥にいるから、私達もそっちに向かいながら知っている人に声をかけていくんだけど、誰に声をかけるかだってみんなが見てるのよ。私はもう、黙って家族について行くだけよ。
「グッドフォロー公爵、今到着されたところですか」
「おお、ベリサリオ辺境伯。アーロンまでおいでになったそうですね。いかがでしたか」
おー! 知っている人だ! グッドフォロー公爵といえば、
「パトリシア様!」
わーん。お友達がいたよー。これで両親と離れてもボッチにならないで済むよ。
お兄様にはお兄様のお友達がいるし、邪魔したくなかったんだよね。
「ディアドラ様、よかった。私、お詫びがしたかったんです」
「お詫び? どうしたんですか? はっ! まさかパトリシア様もお食事会欠席?!」
「違いますわ!」
「じゃあ……」
「パトリシア、紹介してくれよ」
せっかく話していたのに、パトリシア様の肩に手を置いて話しかけてきた少年がいた。
「お兄様」
「ああ、別に紹介しなくてもいいよ」
今度はクリスお兄様が私の肩に手を置いて割り込んできた。
「僕が紹介しよう。彼は僕より一年年上のデリック。最近また彼女と別れたばかりだ」
「おい、その紹介はないだろう」
「妹に近付かないでくれ」
あー、三男だっけ。ノーランドでガールズトークした時には恋人がいるって聞いたわ。また別れたって事は、遊び人? え? いくつだっけ?
「そんな冷たいことを言うなよ。すっごく可愛いじゃないか」
長めの赤毛を手櫛でかきあげて、リボンタイをちょっと緩めて着崩した感じが、この世界の不良っぽい感じなのかな。たしかに女の子にモテそうなちゃらい感じだ。
「お兄様、私が今、ディアドラ様とお話していますの。邪魔しないでくださいません?」
「え? なんでそんな冷たいの?」
「大事なお話ですの。ねー」
「ねー」
よくわからないけど、ここは合わせるところ。
「ほら、邪魔するなよ。アラン、話し相手になってやってくれ」
「やだ」
「俺だって男なんてやだよ」
仲がよさそうだな、おまえら。
「あ、あちらにカーラ様とモニカ様がいらっしゃいますわ。あちらでお話しましょう」
「はい。お父様、私あちらに行ってもいいですか?」
「うん? おお、ノーランド辺境伯とヨハネス侯爵じゃないか」
「我々もあちらに行きましょうか」
公爵家と合流してさらに人数が増えた一団になってしまった。
グッドフォロー公爵の長男と次男は、もう成人しているので婚約者と一緒に挨拶に回っているんだって。これだけ多くの招待客がいるから手分けした方が効率的だよね。
「ディアドラ様、ちょうどお詫びしたいと話していたところなんです」
「四人も急に来られなくなったんですって?」
カーラ様とモニカ様と合流しても、またお詫びの話になってしまった。パトリシア様とカーラ様が紹介してくれた方がドタキャンしたから、気にしてくれたのね。
でもふたりのせいというよりは、私が無茶したところもあったのよ。誰を招くかも重要だっていうから、ひとまず身分が高い歳の近いご令嬢とは顔繫ぎしておこうと思って、パトリシア様に中央に領地のある侯爵令嬢と、将軍の実家の侯爵令嬢を紹介してもらったのよ。カーラ様はお友達の伯爵令嬢を紹介してくれて、んで、ドタキャンされたの。
あとでゆっくり話す約束をして、それぞれの両親に連れられて挨拶回りに戻っていく。知り合いに会えたおかげで緊張も取れて、手の震えも顔のこわばりもなくなった。
皇帝一家が登場したら最初に挨拶しないといけないから、ずんずんと大広間の奥に進んで行くと、すっげー声をかけづらい人達が並んでいた。
まずはチャンドラー侯爵ね。うちの両親は気付かないふりで少し離れた場所を通り過ぎた。私もささっと人ごみに紛れて通り過ぎた時にちらっと見たところ、侯爵と息子さんらしき人しかいなかった。あのコルケットでの一件がなければ、あそこにブリジット様もキャシー様もいたのかもしれない。
そしてパウエル公爵と嫡男夫妻。さっき話をしたばかりなんだし、ここは和やかにご挨拶。
いやもう周囲のどよめきがすごいよ。陛下の友人であるお母様がいるベリサリオと、ちょっと前までジーン様を皇帝にと推していたパウエル公爵が、いつの間にか親しそうにしているんだから。
そして話題のジーン様。
さっきパウエル公爵にいろいろ聞いたせいで、どんな顔をして会えばいいのかわからなくなっていた。でも家族と一緒だから、別に私は会話しなくてもいいんだしと気楽に近づいたら、彼と、隣にいた長身の赤毛の青年に注目されてしまった。
ジーン様と並んでいたのはランプリング公爵。まだ十九歳なのに公爵を継いでいる優秀な方なんだよ。赤毛の人ってふわっとした柔らかそうな髪質の人が多いのに、彼はさらさらの赤毛で、長い前髪を真ん中で分けていた。ちょっとビジュアル系のバンドにいそうな感じ。
いやあ、まごうことなきイケメンですわ。ジーン様と並んでいる姿が素晴らしすぎて、一瞬、さっき公爵に聞いた話の内容がすっ飛んだわ。
クリスお兄様とアンドリュー皇子のツーショットもいいけど、このくらい育ったイケメンの方がやっぱいいなー。
「きみがディアドラ嬢か。初めまして」
「はじめまして」
話しかけないでくれたらもっとよかったな。イケメンに近付かれると緊張して逃げ出したくなる病気なんですよ。お父様に慣れるのにも時間がかかったんです。
でも二十歳くらいの若者は、ちょっと前まで対象外だったはず。子供はイケメンでもそれほど意識しなかったと思うんだけど、なんだろう。体に意識が引っ張られて若返ったかな。
どっちにしてもさすがに十三も年上の人は嫌だけどね。もっと大人になってから出会ったら気にしないかもだけど、六歳を恋愛対象にする十九歳は嫌だ。
「ひさしぶり」
「おひさしぶりです、ジーン様。今日はアーロンの滝に行かれなかったんですか」
「行ったよ。もう公爵だから、パオロと一緒に行ったんだ」
「それで、風の精霊が増えたんですね」
「そうなんだよ。出来れば今日中に全属性欲しかったなあ」
よし、ちゃんと会話したぜ。これで三大公爵家との顔合わせが済んだぜ。もう今日のお仕事は終わりでいいんじゃないかな。ものすごく濃い一日だと思うの。
その後、登場した皇帝一家にご挨拶して、私達のすぐ後に挨拶を終わらせたパトリシア様と合流し、窓際近くに移動した。最初のうちはお兄様達も一緒にいたけど、カーラ様が合流し、モニカ様が合流した頃に、すーっといなくなっていた。女の子に囲まれるのは嫌なんだろう。精霊獣とそれぞれの側近がいるから女の子だけでも問題ないしね。
「商会の直営店もご案内したいと思ってますの。チーズケーキを食べましょう」
「おいしいですよね、チーズケーキ。あまり甘くないのが好きです」
「……あら、スザンナ様とイレーネ様」
「お食事会のお話ですか? お仲間に入れていただけます?」
「もちろんですわ」
スザンナ様はオルランディ侯爵のご令嬢。銀色の髪に目尻の下がった淡いブルーの瞳の、とても艶っぽい九歳とは思えないお嬢さんよ。
イレーネ様はリーガン伯爵のお嬢様で、真っすぐな赤毛が印象的な理知的なイメージのお嬢さん。ふたりとも翡翠の担当地域に領地があって、コルケット辺境伯とも仲がいいの。
前回、翡翠に会いに行った時、女の子のお友達がひとりも出来なかったでしょ。それで紹介してもらったのさ。ノーランドに近い領地の子も中央の子もいるのに、コルケット近辺がいないのはまずいからさ。
「ううっ。伯爵はうちだけ」
「やあねえ、そんなこと気にしませんわよ」
「あとふたりは伯爵家のご令嬢です。マイラー伯爵家のエセルとブリス伯爵家のエルダよ」
「八人くらいがお話するのにちょうどいいですわ」
「お部屋にふかふかの敷物を敷きますから、そこにクッションをいっぱい並べてお菓子を食べながらおしゃべりしましょう」
「素敵」
女の子が六人も集まると賑やかだし華やかだよ。ただ全員十歳以下のお子様なんで、ほのぼのとした雰囲気ではある。後ろに並ぶ側近が保護者に見える。
「ディアドラ様」
わいわいと楽しく話をしていたから、ミーアに不意に声をかけられて私もみんなも驚いて、彼女の視線の先を見てまた驚いた。
エルドレッド皇子が側近らしきふたりの少年を連れて、足早に近づいてきていたからだ。
誰に用事なんだろうと女の子達の顔を見ても、全員身に覚えがないらしくって首を横に振った。
「ディアドラ、聞きたいことがある」
いつの間にか呼び捨てですよ、奥さん。まともに会話した記憶さえないんですけども。
「なぜ三日後の茶会に出席しない」
「三日後? なんの話ですか?」
「僕の誕生日の茶会だ。招待状の返事が来ていないそうだぞ。パトリシア、おまえもだ」
三日後? うわ。食事会と同じ日だ。
「殿下、私は招待状をいただいておりません」
「私もですわ。いったい何のお話でしょう」
「そんなはずはないだろう!」
「私に出したことは確認なさったのですか?」
「確認したんだよな?」
皇子が背後にいた側近に聞くと、ふたりとも困った顔で首を傾げた。
「いつも招待状を出しているだろう。そっちもだ。侯爵以上の家の子供には出しているはずだ」
女の子六人に、何を言っているのこいつ……っていう顔で首を傾げられて、皇子はむっとした顔になっている。
「殿下、もう一度聞きます。確実に招待状を出していらっしゃいますか?」
パトリシア様は公爵家の家柄だから、エルドレッド皇子とも親戚で幼馴染だ。だから彼がちょっとくらい不機嫌そうでも負けていない。
「それは……」
「私からの返事がないことにいつ気付いたのですか? まさか今日じゃないですよね」
「いや……」
「こんな間際まで何をなさっていたんですか」
「パトリシア様、落ち着いて」
「そうですわ。あちらでお茶でもいただきましょう」
「待て。ならば改めて招待してやる。三日後の茶会に来るがいい」
「……は?」
あ、いかん。顔を取り繕うのを忘れて、思いっきり威嚇してしまった。頭上で精霊がぐるんぐるんしちゃっている。
「な、なんだ。文句があるのか」
俺様な皇子としては、自分が茶会に招待すると言えば、女の子は歓声を上げて喜ぶものだと思っていたんだろう。だけど六人とも全く喜ばないどころか不機嫌になっているから、状況がよく理解出来ないらしい。
「殿下、よろしいかしら」
扇で口元を隠して一歩前に出たのはスザンナ様だ。
「皇女も皇子の婚約者もいないアゼリア帝国の宮廷で、ディアドラ様は未婚では一番位の高いご令嬢なんですのよ。二番目はパトリシア様ですの」
うう……改めて言わないで。申し訳ないというか、緊張するというか。
「知っているぞ」
「まあ、御存じなのに、その方達に招待状すら送らず、突然このような席で言いがかりをつけ、三日後に来いと呼びつけるのですか。この国の皇子は高位の女性に対してそのような態度ですの?」
スザンナ様、目尻が下がっているせいか、あらまあ系のおっとりした雰囲気かと思っていたら、優しい顔と声で繰り出される容赦ない言葉が素敵。
「なにを……」
「殿下、女と男は別の生き物だとうちの執事が言っておりましたよ」
むっとした顔で言い返そうとした皇子の肩に手を乗せたのは、ダグラス様だ。
「女性を誘う時には、最低でも二週間以上、出来れば一か月以上の余裕が必要らしい」
アランお兄様もいたのね。
商会の服飾関係の女性に、新しいドレスを作るには時間が必要なんだと聞かされていたもんね。
「ドレスなど何でもいいじゃないか!」
世の中の貴婦人を、たった一言で敵に回した馬鹿がいるぞ。
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