もうひとつの真実 後編
中庭にはいくつか大きな日よけが置かれ、そこに椅子とテーブルが用意されている。
そのひとつに腰をおろすと、側近達は少し離れた場所に待機した。
「精霊に外に声が聞こえないように結界を張らせました」
「そんなことも出来るのか?」
公爵の質問に答えるように、彼の精霊達が大きく上下に動いた。
「仲がいいんですね。すごく大事にされているのでしょう?」
「妻に先立たれ、子供はひとり立ちしていますからな。孫の成長と精霊達を育てるのが楽しみなんですよ」
ああこの人、ダリモア伯爵と精霊に関して全く考え方が違うわ。なるほど、派閥が分裂するのは仕方ない。
「十一年前、前皇帝が崩御してすぐに他国との戦闘が始まり、辺境伯は皆、領地から動けなくなっていましたよね」
「そうですね。私もずっと領地におりました」
「ですから、皇宮で何があったのかご存じないでしょう。……エーフェニア陛下は当初は五年で皇位をジーン様に譲ると約束されていたのです。その後は、陛下と将軍はジーン様の補佐をするという条件で、我々はあの方の即位を了承し、一丸となって他国を退け国を支えたのです」
ウィキくんには、そんな詳しいことは書いてなかった。
個人情報を見たくなくて国についての項目しか見てないし、二歳の時だったし、リンクが多すぎて全部は読まなかったから、実は書かれているかもしれないけど読まなかった。
読まなくてよかったよ。そういうドロドロしたことは、下手に知っちゃうと命にかかわるんだよ。私はポーカーフェイスなんて苦手なんだから。
って、ああ! 知っちゃったじゃん。巻き込まれちゃったんじゃないの、これ。
「精霊の森を開拓したのは、避難民の住居を作る為だったというのはご存知ですか?」
「はい」
「中央にどんどん避難民が押し寄せ、受け入れる場所がなく、ダリモアは土地を捜して奔走していました。兄であるトリール侯爵は自分より優れていると噂されるダリモアに協力する気がなく、他の貴族達も自分の土地に避難民を受け入れようとはしなかった。では私がと申し出たのですが、陛下に却下されましたよ」
「そんな……」
「皇帝になったばかりの陛下は、彼女に忠誠を誓わない私に借りは作りたくなかったんでしょう。でも他の案があるわけじゃない。それでダリモアはあの森に目をつけたんです」
「知っていたんですよね、精霊の森だって」
お母様の問いに公爵は大きく頷いた。
「知っていましたとも。ですから止めました。それだけはしてはまずいと。そうするくらいなら、皇族の直轄地を使うように進言しろと。どうせ誰も彼も宰相に一任して協力もせず、文句しか言っていなかったのだから。陛下もどうにかしろと命じただけで、あとは放置ですよ」
「それで分裂を?」
「そうです。我々は私の領地に避難民用の住居を作る案を出した。でも宰相はあの森を開拓する案を出した。精霊王を怒らせる決断をする者達と、協力することは出来ませんよ」
本当に、自分で話を聞いてみないとわからない。
精霊の森を開拓した派閥のトップだと思っていた公爵は、精霊を愛し精霊獣を育てた人だった。
「なら、ならどうして、あそこは精霊の森だと陛下に話さなかったのですか?」
「ナディア夫人、お忘れですか? 翌年、陛下はアンドリュー皇子をお産みになった。つまりその頃にはもう妊娠なさっていて、政治の仕事は将軍に一任して私達の面会は受け入れてもらえなかったのです。将軍は宰相とどんどん仕事を消化した。森の開拓は、山のようにあった決定の必要な書類の山に埋もれ、どんどんサインがされて実行に移された。終戦処理、食糧問題、日頃の雑務。それに流されていつの間にか決定していたんです」
「宰相の計画通りなのでは?」
クリスお兄様の指摘に、公爵は笑顔で頷いた。
「そうでしょうな。頭の回る男だったし、根回しの上手い男だった。揉め事は宰相に頼めば丸く収めてくれると文官共に頼られていましたよ」
「そして五年経っても陛下は皇位をジーン様に譲らなかったんですね」
「そうです。皇帝崩御の混乱に乗じて攻めてきた隣国を打ち負かし、国境線を広げた英雄とその妻の美しい女帝です。国民はそういうのが好きですからね。陛下は人気があった。諸外国にも名が売れていた。それに比べてジーン様は全く表舞台に出ていなかったので、存在を忘れられていたんです」
「でもその時ならまだ……」
「その頃にはあなた達も皇宮に顔を出していたのではないですか? 特にナディア様は」
「はい。皇太子殿下がお小さい時にも何度も伺わせていただきました」
「なら知っているはずです。古い考えの者はもうこの皇宮に必要ないと次々と排除されたんです。そのほとんどがジーン様を次期皇帝にと願う人達でした」
「……ああ、なんてこと」
ウィキくんに書かれていたことは間違いなくこの国の正史だ。
でも正史って、勝った者が後世に伝える歴史だよね。それが正しい歴史とは限らない。
陛下は国民の人気を得て、政権争いに勝って皇帝の座に留まった。
……ジーン様は、その様子をどんな思いで見ていたのだろう。
「待ってください。私は陛下から、ジーン様は皇帝になりたくないと話していると聞きましたわ」
「それはないですな。なぜなら、あの学園の森でダリモアが捕縛される三日前にも、彼らはジーン様と面会していましたから」
ああ……わかった。思い出した。
ジーン様を皇帝にしたいと推している人なのに、なんでダリモア伯爵はジーン様に精霊獣がいるのを知らなかったんだろうと思ったんだ。でもそのあとに、ジーン様は精霊に愛されている人だとも言っていた。
あの時、宰相はどんな顔をしていたっけ。
優秀だと、切れ者だと言われていた宰相は、最後になんであんな場所で陛下に退位を迫ったの?
やばい。いやな考えが浮かんできてしまう。
浮かんだからって、政権争いに口出しするわけにいかないのに、胸の中にもやもやが溜まってしまう。
「気を付けてください。ダリモアは人望のある男だった。今でも彼が張り巡らせた人脈は生きていますよ。あなた達はどの派閥にとっても魅力がある。政権争いに巻き込まれたくないのなら、自分で派閥を作って宮廷内で力を持つことです」
公爵と別れ控室に到着した途端、今後の予定を聞いたり面会を求める文を届ける者達が、部屋の前の廊下に列を作った。今までは声をかけるのを遠慮していたパウエル公爵の派閥の人達が、ようやく精霊の話が出来ると接触してきたり、パウエル公爵との関係を確認したい人たちから連絡が来たり。側近や執事が大忙しだわ。
私はというと知ってしまった情報に、暫く脳みそがショートしていたけど、結果としてぽいっと放り投げた。
知らん。生まれる前の話なんて知ったこっちゃない。
ただし聞きたいことはある。
「今回のパウエル公爵のお話を、どこまでご存知でしたの?」
ソファーに座った家族を前に、腕を組んで仁王立ちになって睨む。相関図を作る時に、教えてもらっていない情報がまだあるんじゃないでしょうね。禁断のウィキちゃんを起動しなくちゃいけないなんて嫌なんだから。
「知らない事ばかりだよ。中央は他所にはそういう情報を漏らさない。特に辺境伯にはね」
「そうだよ、ディア。それに進んで関わる気がなかったしね。皇族の政権争いに巻き込まれたらたいへんだよ」
お父様もクリスお兄様も知らなかったのか。
お母様は、ショックの受け方を見ると知らなかったんだろうな。
「わかってはいたけど、どんなに親しくしていても皇族と貴族は違うのね。私は、陛下は国のために無理をして女帝をしているのだと思っていたわ。ジーン様は皇位に興味がないと聞いていたから」
「公爵の話が正しいと判断してしまうのもどうかな。……納得出来ることは多かったけどね」
本当は何があったのかを知りたかったら、情報を集めるしかないけど、そんなことをしたら陛下にもジーン様にも調べている事がばれるだろう。
無理。危険すぎる。長生き出来ない。
私には関係ない話だし、私の動き方によっては、次の皇帝を決定してしまう危険があるような気がするし。いやまさかとは思うけどね。
「アランお兄様、なぜ黙っていますの? まさか何か知って……いえ、聞きたくありません」
「あのさ」
「クリスお兄様と話してください」
「ジーン様って、ちょっと何考えているかわかんないよね」
「それは……あの妙な手紙をもらった時から思っていましたわ」
「でもさ、ディアに真っ先に個人的に接触してきた皇族って、ジーン様だよね」
「まあそうですわね。でも私と話をしようと考えたのは皇太子様だけですわよ。学園の森でのダリモア伯爵との一件があったあとでも、陛下も将軍も一度も接触して来ませんでしたわ。精霊王の情報がほしくないのかと不思議には思っていましたの」
まあ、不気味な子供だと思われているだろうから、接触したくなかったかもね。
「母上。他所で話したら不敬になると思うので、この場だけの話にしたいのですが」
クリスお兄様が居住まいを正し、お母様に向き直った。
「なにかしら?」
「もしかして陛下のイメージは、周囲にいるブレーンが作り上げた偶像ではありませんか? あの男言葉も仕草も」
「あ、一度将軍に女性の言葉で話しかけていました」
「やはり。彼女は自分を支えてくれる中央の貴族達に実務は任せて、自分からお飾りの女帝を演じているのかもしれませんね」
そんなに権力って大事なのかな。
弟を裏切ってでも?
「そうね。あの方は学生時代は、ごく普通のお姫様だったわ。前皇帝が崩御されてから変わったの。でも私は、陛下がジーン様を裏切ったなんて思えない。あの方はジーン様をとても大事にされていたのよ」
あああああ! もうわからん!
普通のOLの私には無理。
私は皇族より、自分の家族の幸せを優先するぞ!