翡翠の住居
翌日は昼前に城を出発した。
翡翠の住む場所は、城の北側にある山脈の最高峰にあるので、自力ではとてもいけない。
じゃあどうするかというと、転送陣で行くらしい。
地元の人も単なる遺跡だと思っていた崩れかけた建物跡が、実は転送陣のために作られた建造物だったと聞いて、コルケット辺境伯は大急ぎで整備を命じた。補修もしようという話もあったんだけど、歴史を感じる今の佇まいを残して、二度と本来の役割を忘れないようにするために周囲に壁を築いて守ることにしたんだって。
遺跡までは馬車で一時間かからないくらい。牧場の中を移動する人達は昨日のパーティーよりはずっと少ないけど、転送陣の近くで昼食を食べてから翡翠の元に行くので、食事だけ参加する人達もいる。
突然山頂に転送されたら、普通は高山病にかかるよね。昼食食べたばかりじゃ吐くやつが出そうでしょ。そこは精霊王の住居。ちゃんと私達を呼ぶために周囲に結界を張って、居心地いい空間にして待っていてくれるらしいよ。
精霊王はみんなやさしいし、基本的に人間が大好き。ただ精霊にひどい扱いをする人間は許さない。
精霊と仲良くするだけで人間にとってはいいことづくめなのに、人間に出来ないことを出来るのが許せないとか、一番優れているのは人間だとか、私にはそういう思考の人達がよくわからないよ。
因みに、今日の昼食ではお酒は禁止です。
昨日のチャンドラー侯爵令嬢の件と、私やお兄様への節度を越えた猛アピールに対して、コルケット辺境伯御一家は何度も謝ってくれた。うちだけじゃなくてカーライル侯爵家を含む高位貴族のご子息ご令嬢に、自分の子供を売り込む酔っ払いが何人もいたそうで、コルケット辺境伯の少し寂しかった頭頂部が、たった一日で更に寂しいことになってしまっていた。
ヴィンス様は朝から胃が痛いって言ってたし、シンディー様は今日はお留守番するそうです。
それに比べるとカーライル侯爵は、朝から爽やかな雰囲気で登場して、
「うちの息子と仲良くしてくれているそうだね」
と、にこやかに挨拶されてしまったから、
「ダグラス様はとても人気がおありなんですね。たくさんのご令嬢に囲まれていましたわ」
こちらもにこやかにお返事しておいたわ。嘘じゃないし。
転送陣に行くまでの精霊車の中は家族四人だけになった。執事も側近もなしで家族だけが顔を合わせる貴重な時間。話題は自然と昨日のブリジット様の話になった。
「あの後すぐにヴィンス様と奥様のジャネット様が、王都まで四人を連れて行って、そこでチャンドラー侯爵夫妻と面会して正式に苦情を伝えたそうだよ」
「キャシー様は後妻なのよ。ブリジット様と九つの男の子とふたりがキャシー様の産んだ子供で、前妻の子供が上に四人いるんですって。旦那様はキャシー様より十一年上で、下の子供達を甘やかしてしまったらしいわ」
「今回の事で我々に大きな借りを作ってしまって、あちらの派閥で肩身の狭い思いをするんじゃないですか」
「いやあ、精霊の森の件でダリモア伯爵家に連なる家が大打撃を受けたばかりだ。パウエル公爵も関係していたくせに、彼らだけに責任を押し付けたんじゃないかと噂になっている。それに比べれば傷は小さいだろう」
もうすぐ翡翠に会うというのに、こんな話題しかないのが寂しい。
好きな子と仲良くなりたくて十一歳の女の子がしでかしたことが、周囲にとんでもない迷惑になっちゃった。
でも彼女のお母様の学園時代にやったことを考えると、親子だよなって納得してしまう。
「あなたが気にすることはないのよ」
私がぼんやりと外を見ているから、お母様が気にして声をかけてくれた。
自分の城でフェアリー商会の話をしている方が楽しいよね。外に出ると人間関係が面倒くさい。
「そうだよ。どっちにしたって僕は赤毛の子とは結婚出来ないからね」
「そうなんですか?」
「どこの辺境伯家にも赤毛の子はいないだろう」
「領民には自分達の民族の誇りがあるんだよ。特に今は、精霊王がいる場所の領民としての誇りがある。中央の血を辺境伯家に入れるのには根強い反対があるんだよ」
な、なるほど。気持ちはわからないではない。
「近衛騎士団に入るならアランは王都に住むんだろう? 中央の子と結婚してくれるんじゃないか?」
「出来れば三人共、好きになった子と結婚してほしいのに……。ねえあなた、出来るだけ早く問題なさそうな相手をたくさん捜しておきましょう。この子達が選べるように」
向こうにも選ぶ権利はあるからね。断られることも考えておいてね。
うちの両親、私達の子供を断るなんてありえないって思っていそうだ。
「昨日のパーティーはどうだったの? お友達は出来た?」
「女の子のお友達は出来ませんでした。男の子はダグラス様とデリル様とヘンリー様と……」
「父上、ディアの側近にもっと年上の子をつけた方がいいんじゃないですか」
「そうだな。男の子を追い払ってくれるような子がいいな」
「何言っているんですか。ダグラスくんをディアの傍に呼んだのはあなたでしょう」
私は陛下や両親が、学園時代に恋愛して結婚したというウィキくん情報をそのまま信じていた。嘘じゃないけど、確かに恋愛したんだろうけど、それは現代日本の自由恋愛とはきっと違う。
身分が釣り合って年齢が釣り合って、派閥や生まれた民族が問題ない相手をまず絞り込んで、その後にやっと相手の性格とか見た目の好みとか、気が合うとかを選ぶことになる。やっている事は現代の婚活みたいなものだよね。まず条件から入っていく。
それでもいいのよ。贅沢させてもらっているんだから貴族令嬢としての責任はちゃんと果たすつもりだ。王妃にはならないけど、家族も納得する相手の中から結婚相手を決める覚悟はある。むしろ進んで結婚する気でいる。今度こそ。
だけど中身が三十過ぎたおばさんだから、六歳くらいの男の子を見て、この子は恋人にどうって聞かれても考えられないんだよね。
お父様は素敵だと思う。ノーランド辺境伯があと二十若かったら憧れたかもしれない。
せめて十五くらいになってくれれば、若いアイドルを好きになる三十代の女性の気持ちで恋愛感情を持てるかも。
だからって、あと十年近くほっといてくれって言うのは無理だよなあ。
「ディア?」
「え? あ、はい」
「ミーアさんはどうかって話していたの聞いていた?」
ミーアさん? エドキンズ伯爵の長女よね。
「クリスお兄様のお相手ですか?」
「違うよ!」
「いやさすがにそれは、彼女が結婚した後に社交界で居心地悪い立場になるだろう」
「それより、あそこは伯爵と上の三人が……」
エドキンズ伯爵はうちの東側のお隣さんだ。ただ領地がとても小さい。街がひとつと村がひとつ。あとは一面の茶畑だけ。
ミーアさんは長女で、亡くなった夫人の代わりにお父様と三人の兄達を叱り飛ばして、屋敷の中を切り盛りしていたんだけど、長男が結婚したので領地外で仕事を捜していたんだって。
クリスお兄様より一つ年上の十二歳なのよ。それで七つ年上の長男を叱り飛ばしていたしっかり者ってどんな人かって思うでしょ? それが銀色の髪の可愛いお嬢さんなのよ。
「たぶん住み込みで働いてくれると思うのよ。忙しくて精霊を捜しにも行けなくて、まだ風の精霊しかいないそうだから手伝ってあげて」
「忙しい? 屋敷にはメイドや執事もいるんですよね」
「ええ。でも五人兄妹で領地が狭いでしょ。大変だったみたいでね、農地の方の仕事も手伝っていたみたいなの」
「あそこはミーアさんにたよりすぎだ。次男と三男は家を出たそうだから、あとは伯爵がしっかりすれば問題ないよ」
「たぶん伯爵はミーア嬢の給金を家に入れろって言うよ」
クリスお兄様の言葉に両親がため息をつく。
問題ありまくりじゃないですか。
遺跡と聞いて私はギリシャの遺跡を思い浮かべていたんだけど、どちらかというと中東系の遺跡だった。
灰色の岩壁は苔むしていて、屋根のほとんどと壁の一面が崩れて周囲に散らばっている。建物には八角形の転送陣の間を中心に、入り口ホールと控えの間、厨房跡らしき場所もあった。外には石を敷き詰めた場所やガゼボ跡もある。今回はそこを使って昼食をいただくことになっている。
昔はここで転送する順番を待ってお茶をしたり、精霊を捜しに来たりしたんだろうな。緑豊かなこの場所には、今でもきっとたくさんの精霊が人間との出会いを待っている。
お酒がなかったおかげか、コルケット辺境伯に厳重注意されたのか、今回はたくさんの人に囲まれることもなく平和に食事をする事が出来た。両親がずっと近くにいるからと、私の側近ふたりは一足早く領地に帰ってもらった。
まだ六歳と七歳の女の子だからね、だいぶ疲れたと思うのよ。
転送陣で飛んだ先がどうなっているかわからないので、精霊獣を小型化して顕現させて、うちの家族が最初に飛ぶことにした。仲介役みたいなものだからね。
転送陣は普段は起動していなくて、精霊王が呼んでくれる時だけ起動する。
転送の間に家族で入って、この後どうすればいいのかときょろきょろしていたら不意に転送してしまった。
この辺の適当さ……おおらかさがコルケットっぽいというか、翡翠っぽいというか。いやよくわからないけど。ともかく到着した場所は、壁も天井も透明な素材で出来た建物の中だった。
でかいよ。サッカーくらいは出来そうなでかさの建物だよ。
飛んで最初に目に入ったのは、遥か下に広がる牧場地帯の緑色。この景色を見られただけでも、ここまで来た甲斐があった。
「え? 滝?!」
でもくるりと後方を見て、景色だけで満足している場合じゃないとわかった。
雲の中から水が流れて、それが天井の一部空いた部分から室内の庭園に滝になって落ちてきている。庭園といっても大きいからね。某遊園地でジェットコースターが飛び込んじゃうくらいの大きさは軽くあるから、ザーザーと音を立てて流れる滝はかなりの迫力よ。水しぶきが上がって虹が出来ているよ。
室内に草原と滝と川があって、砂利の道が通っていて、ガゼボが点在している。
ガラスの壁の外は雪が残る山頂の風景が広がっているというのに、この中だけ別世界だ。
こうやって他の精霊王の住居を見ると、瑠璃って地味だよね。城内の湖に行けば会えるんだよ。ただ本当の住居は海の中にあるらしいんだけどね。遊びに行くときは転送されちゃうからすごさがよくわからない。
『わーーーい。やっと来てくれた!!』
どこから声が聞こえたんだろうと周囲を見回したら、男女ひとりずつのお付きを従えた翡翠が空から舞い降りてきた。
「翡翠様」
『ああ、いいからいいから』
両親が跪くと、すぐに手をひらひらと横に振り立つように促してくれる。
豊かな緑色の髪をポニーテールにして飾り紐で止めて、私が名付けた翡翠の色の薄手の上着を羽織っていた。相変わらずスタイルがよくて、足が長くて羨ましい。
『あれ、今日はアランくんがいないの?』
アランお兄様は年上キラーなの? やけに気に入られているな。
「すみません。今日は僕だけです」
『やーん。そんな拗ねないでよ。クリスくんにだって会いたかったよ』
翡翠が横から抱き着いたものだから、胸がクリスお兄様の頬にぶつかってしまって半分埋まっている。どんな反応をすればいいのか困っているクリスお兄様のこの顔、なかなか見られない。この世界にカメラがあればなあ。
「アランお兄様に、今のクリスお兄様の顔を見せてあげたい」
「……ディア?」
黒い。笑顔が真っ黒だ。
「なにも見ていませんよ」
「だよね」
妹を脅しちゃいけないと思うな。
クリスお兄様が転送陣を使ってコルケット辺境伯を呼んできた。あとはコルケット辺境伯の執事がみんなを順番に転送させるというので、私達は邪魔にならないように奥のガゼボのひとつに向かった。
『今後の付き合い方に関しては、あとであそこでやりましょう』
翡翠が指さしたのは、滝が流れ落ちている雲の中だ。あそこに翡翠の住居はあるらしい。
『蘇芳がペンデルスのやつらは入国させるなって言ったんですって?』
「はい。すでに手配は済ませてあります」
『あいつの言い方は乱暴でしょ。でも早めに手を打つのは正解よ。ルフタネンに続いてここアゼリアも私達精霊王が積極的に人間に関わることで、いい方向に変化が起こった。それはベリサリオの存在が大きいけれど、ただ人間を見守っているだけじゃ駄目だと他の国の精霊王も考え始めたのよ』
「海峡の向こうで何か起こるという事ですか?」
『そうね、当分は大変だと思うわよ。あ、誤解しないでね。向こうの人間達も精霊との付き合いを見直してくれている人が多いのよ』
「つまり、ニコデムス教は追い込まれていると」
『うふふ。それからデュシャン王国の北に新しい国が出来るわ』
「新しい国?!」
『ペンデルスを去った精霊王達が、その地の遊牧民と共に新しい国を作ったの。私達アゼリアの精霊王は彼らとは協力関係にあるのよ』
精霊と精霊王が去り砂漠が広がるペンデルスは、植林しながらどうにか砂漠化を防ごうとしつつ、ニコデムス教を広めて他国を巻き込もうとしている。
でもこれって破滅に突き進む宗教だよね。精霊王がいないと砂漠化しちゃうんだから。
それでも人間が一番優れた神に選ばれた存在だって思い込むのがもう、よくわからなくてこわい。
ペンデルスを去った精霊王達が、遊牧民と国を作って新しい生活を始めようとしているのを知ったら、彼らはどうするんだろう。精霊を恨んで妙なことをしでかさないといいけど。
『どこの国も精霊とも他国とも仲良くしてくれればいいのに』
平和な日本から転生した私も、全く同じ意見だよ。
いつも感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。
反応をいただけると書く気力がわいてきます。
次回は琥珀先生登場です。




