ベリサリオって
テラスの屋根になっているバルコニーは広くて、大きな丸いテーブルが三つとそれぞれに椅子が六つずつ置かれている。
ダグラス様が引いてくれた椅子に腰をおろし、初夏の花に彩られた庭園を眺めてほっと息をついた。誰もいなくてよかった。さすがに疲れたわ。
私の背後にはシェリルが、ダグラス様の背後には先程お母様を呼んできてくれた側近のジルド様が控えている。
前世の小説で側近がすぐ横に控えている記述を何度も読んでいたけど、いざ自分が人を従える立場になると、まったくもって落ち着かない。むしろ後ろに立ちたい。
「デリルに悪いことをしてしまったな。あんなにアピールしていたのに、僕がここにいるってわかったら恨まれるよ。笑顔でかわされて落ち込んでた」
「デリル? ああ、あのほんわかした子供か」
少し遅れて機嫌悪そうに歩いてきたクリスお兄様は、ダグラス様とは反対側の私の隣に腰掛けた。しっかりと防音の結界を張り、許可なく誰も通すなと精霊に命じているあたり、精霊の活用の仕方は私よりお兄様達の方がずっと上手い。
「見た目はほんわかでも、魔力量はかなり多いはずだよ。精霊獣もいるはずだ」
「ふん」
「……アピールされてましたっけ?」
首を傾げたら、ふたりに驚いた顔で見返された。
「あんなにはっきりと口説いていたじゃないか!」
「あのガキ、口説いていたのか?!」
「いちいちうるさいよ」
「あれは社交辞令ですわ」
「そうそう、ディアは気にしなくていいんだよ」
「ええ?! 六歳の子供が社交辞令で口説くって、そっちのほうがすごいだろう」
「おまえだって七歳だろうが」
「僕だって社交辞令で女の子口説けないよ」
「でもみんな、息をするように可愛いって言うじゃないですか。挨拶みたいなものでしょ?」
「…………」
ふたりして呆れた顔をしないでよ。
お兄様のその顔は見慣れているけど、ダグラス様にまでそんな顔をされるとは。
「ディア、それを他の女の子の前で言わない方がいいよ」
「え?」
「みんなに可愛いって言われるのは、ディアが可愛いからだよ。みんなが言われているわけじゃないよ」
「でも、私のお友達も皆さん言われてましたわ」
「ディアの友達って、カーラ嬢やパトリシア嬢だろう」
「可愛い子ばっかりじゃないか」
そうかやっぱりあの子達は、美形揃いのこの世界でも可愛い子なんだ。
それでみんな、可愛いって言われていたのか。
「……天然?」
「あー、ちょっと残念な感じで」
「聞こえてますわよ」
この世界の人はみんな、ひとまず女性を見たら可愛いが挨拶かと思っていた。違うのか。だとしたら聞き流してしまって失礼なことをした。今後はちゃんと感謝を伝えないと。
はっ!! もしかして日本でも、可愛い子は挨拶みたいに可愛いねって言われるの? 男性に?!
転生して知った衝撃の新事実。前世の私には無縁すぎる生活だ。
「結局は……顔か」
「ディア?」
「なんでもありませんわ」
クリスお兄様の側近のライとアリシアが、お茶のセットとケーキを何種類もワゴンに乗せて運んできてくれた。
私は昼食を食べたばかりでお腹がいっぱいなのに、平気な顔でケーキを食べている男の子達の胃袋ってどうなっているんだろう。
あ、側近四人も椅子を運んできて、一緒にお茶しています。クリスお兄様が許可を出してくれてほっとしたよ。
「さっきの四人はお兄様の御学友ですか?」
「挨拶くらいはしたことがあったかもしれないな」
「チャンドラー侯爵家とそれに連なる者達だろう?」
どうもふたりが嫌そうな顔をしている気がする。これはやっぱり何かあるな。
「この間、相関図を作る時にお話していただけなかったことがあるのかしら」
「相関図?」
「その突っ込みは、いりませんわ」
「母上とチャンドラー侯爵家夫人のキャシー様は、父上を取り合った恋敵だったんだよ」
「ええ?!」
「ええ?!」
ダグラス様まで驚いているのはなんなの。さっきは訳知り顔をしていたじゃない。
「知っていたんじゃないのか」
「僕が考えていたのは、政治的な話だよ。派閥関係の」
「ああ、それもある。それを隠すために母上が出て行ったようなものだからな」
「せっかくこの秋に中央も精霊王に許してもらえそうなのに、騒ぎは起こしたくないよな」
「ちょっと」
ふたりだけで何で話を進めているのよ。
私は無視かい。
「わかるように話していただけません?」
扇でテーブルをべしべし叩いても、ふたりでこっちを見ているだけなので、交互にふたりの腕もべしべしと扇で叩く。遠慮して叩いてはいるけど、ふたりしてまるで痛がらずにほのぼのとした顔をしているのがむかつく。
「わかったから、そんな拗ねた顔をしない。恋敵といっても父上は最初から母上しか見ていなかったのに、キャシー様が横恋慕して母上に嫌がらせしたらしい」
おおう。私知ってる。心優しいヒロインがあんたどういうつもりよって囲まれちゃうやつでしょ?
だけどお母様が、おとなしく嫌がらせされているとは思えないんだけど。
あ、五対五くらいの女同士の戦い?
こわそう。巻き込まれたくはないけど、壁から顔だけ出して見物したい。
「婚約が決まって、父上が贈ったドレスと装飾品をつけて舞踏会に出た母上に、キャシー様がわざとぶつかったふりして、ドレスにワインをぶちまけたんだよ。父上は相手の協力者に嘘の用事で呼ばれて離れていたんだって」
「協力者って、グループで嫌がらせしたんですか?」
「母上は陛下の親友で美人だから男子生徒に人気があって、父上は辺境伯嫡男で格好いいと人気があって、邪魔をしたいやつはたくさんいたんだよ」
学校って勉強するところだよね。同年代の子供が集まるから、相手を探す場所でもあるのはわかっているけど、なんだその無法地帯。
「大人は放置しているんですか? 側近達は何をしていたんです?」
「もちろんすぐに父上の元に側近や友人が駆け付けて、母上の傍を離れていたのはほんの何分かだったらしいよ。キャシー様は母上にぶつかる振りをするだけのつもりが、本当によろけてぶつかって、母上のネックレスにキャシー様のドレスのレースが引っ掛かって、離れる時にびりびりに破けたんだって」
「ひでえな」
「大惨事ですわね」
話をしているのは私達三人だけだけど、側近達も話を聞いているから、みんなしてうわあって顔になってしまっている。その場に自分がもしいたらって考えただけで眩暈がするわ。
「それで自分がやったくせにキャシー様が怒って、そんな悪趣味なネックレスをつけているせいだって叫んだところに、父上が戻ってきた」
「辺境伯が選んで贈ったネックレスなんだよな」
「ゾイサイトのネックレス、見たことあるだろ」
あるある。皇族との茶会にもつけていたやつだ。
あれを悪趣味と言ってしまったのか。婚約決まったばかりのカップルに向かって。
「私の趣味の悪さをあざ笑うために、最愛の人に嫌がらせしたのかと父上に冷ややかに言われて、キャシー様は泣き出したそうだよ。婚約したことも、母上のドレスや装飾品が父上からの贈り物だったことも知らなかったからね。その場で父上が婚約を発表して、それ以来、うちの両親はキャシー様と同じ場には出席しなくなった」
「今も?!」
「何年かしたら、周囲が気を利かせて同時に呼ばなくなったからね。今でも会っていないよ」
まじか。……てことは、陛下の元で行われる主な行事には、いっさい出席出来ていないって事じゃないの? ここ何年かの精霊にまつわる変化を、どう思っていたんだろう。
「チャンドラー侯爵はよくそんな女性を妻にしたな」
「そりゃ、パウエル公爵の派閥だからな。まだその頃、陛下は皇帝になったばかり。どうにか戦火が広がらないですんだばかりだ」
「パウエル公爵って、陛下と仲が悪いと聞いたことがあります」
「例の精霊の森の件で処分されたダリモア伯爵家は、パウエル公爵家と縁続き。同じ派閥だったからね」
「きみの両親とチャンドラー侯爵夫人の問題がなくても、この歓迎会にパウエル公爵の派閥の人間を呼ぶのはありえなかったんだ」
うわあ。ブリジット様達、必死だったんじゃないか。
学園で挨拶は出来ても、アンドリュー皇子もクリスお兄様も周囲に側近や派閥が同じ家の生徒がいて近付けない。どんなに好きでも家同士の仲が悪いから、親しくなれない。
そんな中、コルケット辺境伯令嬢と自分の姉が親しくなったのは、唯一の希望だったのかも。ようやく手に入れた招待状だ。
私の噂は聞いていただろうから、ここで私と親しくなれれば、親の仲が悪くてももしかしてと期待したのかもしれない。
しっかし、やり方がまずすぎるだろう! なんで情報を集めなかった。二度とないチャンスを棒に振って、更に家同士の仲に亀裂を入れてどうするよ。ありえん。
せめて側近を通して手紙を届けるとかさ、こっちの派閥の同級生の女の子と親しくなって、大掛かりな女子会開いて私も呼ぶとかさ。あんだろう、やり方が!
「なんできみが頭を抱えているんだよ」
「ディア、さっきの子に同情しているんじゃないだろうね」
「そうじゃないですけど……うかつすぎる」
「まったくな」
「そんな他人事のように言っているけど、秋に琥珀様のところに行って怒りが解けたとなったら、中央でも祝いの席を設けるだろう。向こうの派閥も顔を出すはずだよ」
うひゃあ。私は欠席出来ないかな。
さっきみたいのがまたあったら嫌だなあ。
「ダグラス様」
会場の様子を偵察に行ってくれていた、ダグラス様の側近のジルド様がそっと話に割り込んできた。
「この場になんでカーライル侯爵の嫡男がいるんだと話題になっているようです」
「辺境伯に頼まれたから」
「ですから、なぜ辺境伯はカーライル侯爵の嫡男に頼んだのかと。領地が隣で親しいのは皆さん知っていますからね」
「父上が、ダグラスとディアを会わせて親しくさせようとしていると思われたか」
クリスお兄様の笑顔の黒いこと。こうなること最初からわかっていたよね。
「だから、来なくていいって言ったのに」
「僕は噂になっても困らないよ」
「ほおおお」
「ノーランド辺境伯領の方達の方が、魔獣相手の生活をしているから気の荒い方かと思っていたのに、子供は子供だけで遊ばせてくれて誰も声をかけてきませんでしたよ。こんな穏やかな風景の中で生活しているのに、ここの方達は積極的ですね」
辺境伯同士の縁組がないなら、うちはどうだと周囲の領地の人達がこぞって声をかけてくる。上は一回り以上年上から、下は二歳まで紹介されたわよ。学園で親交を深めて恋に落ちるなんて伝説なんじゃない?
「何言ってるの。ここは冬は雪に覆われた極寒の地になるんだよ。城壁が低いのはね、わざと牛を狙って入ってくる魔獣を誘い込んで、倒して食糧にするためだよ」
「十一年前の陛下が皇帝になったばかりの国境戦で、ここの人達も敵を返り討ちにして領地を広げているよ」
「それにエール飲んでみんな酔っているしね」
「それな」
ああ……実はおらおら系なのか。
政治的なことは大雑把だとは聞いていたっけ。それで今回も招待状をちゃんとチェックしなかったな。
「お友達を何人か呼んで、お菓子をたくさん持ってくればいいんじゃないかしら」
「いいね。女の子も呼んで来よう」
「デリルも呼んできてくれないか」
ライとジルド様が飛び出していくのを見てため息をつく。ここに女の子が来たら今度は、クリスお兄様と誰が仲がいいんだろうかと噂になるんでしょう。ダグラス様だって優良物件だもん。みんな動向を気にするんだろうな。
「そういえば、ダグラスはエルドレッド殿下と同い年だったな」
「あまり接点はないけどな。王都に行ったときに顔は出すけど、取り巻きが多いから挨拶くらいしかしない」
「エルドレッド皇子ってどんな方なんです?」
私の質問に、ふたりが呆れた顔でこっちを見た。
ふ、ふん! もうそういう顔は見飽きたもんね。慣れてるもんね。
「茶会で会っただろう」
「クリス、この子大丈夫か」
「おい」
「え?」
「あら嫌だわ。あの方、今まで何回かお会いしたけど、ほとんどお話しないんですもの」
「そういえば……前回の茶会もジーン殿下とばかり話していて、僕達とはあまり話さなかったな」
「ああ、そうか。あの皇子様は自分から話を振ったりしないよ。いつも周囲が気を使って話題を持ってくるから。なんというか、悪いやつではないんだけど……自分はえらい。皇族なんだから誰もが自分の指示に従うものだと思っている感じだ」
俺様か。
私駄目なんだよね、俺様キャラ。
よし、距離を置こう。間違ってキレて張り倒してしまったら取り返しのつかないことになってしまう。
「つまり誰もエルドレッド皇子に話しかけなかったのか」
「それはまあ……そうだった」
「ベリサリオって……」
なんでちゃんと話しかけてこないんだよ。ちょっと精霊王に好かれたからって図に乗ってんじゃねえよとか思われてたり?
「でも前からアランはああだし、ディアはこうだし」
「ベリサリオって……」
二度言うなよ。
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