人とは違う将来の不安
空間を何度も長時間繋げたので、ひさしぶりに魔力をほとんど使ってしまったし、精神的にも身体的にも疲れているはずなのに、精霊の森の自分の部屋に戻っても全く眠気が訪れない。
シュタルクではまだ救出作戦が行われている最中で、野営用のテントを使用した避難所には、たくさんの人が病院から移動してきているはずだ。
私だけ安全な場所に戻ってしまって、美味しい夕食を食べて、ゆっくりお風呂に入って、ふかふかのベッドで寝られるのが申し訳ない気がする。
カーラとハミルトンは予定を変更して、あの場に残ったのよ。
精霊がいる人は回復魔法が使えるけど、戦闘員は救出作戦に行っているでしょ?
だから避難している人の回復をする人員がいるだろうって、自分達から申し出たの。
功績を増やせるのはいい事だし、シュタルクやベジャイアに知人を増やせるのもふたりのためになるから、危険のない範囲でならいいだろうってお父様が許可を出して、各国の指揮官達も、そして私も、だったら何日か滞在してもいいかもしれないねって話をして、そのあとひとりになってから得る物がなければ残っちゃ駄目なの? って、自分に突っ込みを入れてしまったわ。
でも、善行をする時にも理由がいるのよ。
国が違う人達が集まっている場だから、今後の国際関係に影響するでしょ?
誰もが善意だけでは動かないし動けない。
こういう事情だからこういう行動をしたんだって、私も明日、皇宮で陛下に説明しないといけないの。
寝られないならウィキくんを書き写す作業をしようとしたんだけど、集中力が続かなくて、ついついいろんなことを考えてしまう。
最初はベリサリオ城に泊まる気だったのよ。
お兄様達は皇宮に詰めているしお父様はまだシュタルクだから、城にいるお母様が心配だもん。
でも先にジェマに城に行ってもらったら、お母様が今夜は精霊の森に泊まりなさいってメモをくれたの。
ベリサリオ城には私やシュタルクの動向を探るために、いろんな人が滞在しているんだって。
夫や娘がシュタルクに行って不安な夫人を慰めようって名目で集まっているので、明日は早朝から皇宮に行く必要があるからって私が精霊の森に逃げちゃっても、文句は言えないのよね。
『カミルが話がしたいって』
精霊獣達と一緒にいたシロが、不意にぴくぴくと耳を動かして前足を浮かせて伸びあがった。
意外な言葉に振り返ったら、私がまだ寝ていないというのに、精霊獣達は先にベッドにだらーんと寝転がって寛いでいた。
『クロがね、ここにカミルを連れて来ていいかって聞いてるよー』
「ここ?」
寝室に?
え? どうなの?
でも居間には侍女が待機しているよね。今夜は誰だっけ?
カミルも早くルフタネンに帰りたいだろうから、侍女達に説明するのはめんどうなのかも。
というか、もうルフタネンに帰っていると思っていたのに、何をやっているのよ。
『ディア? どうするー』
「わかった。呼んで」
『ほーい』
シロが返事をするとすぐ、空間が僅かに光り唐突にカミルが姿を現した。
ポンって音がしそうな現れ方よ。
民族衣装に着替えているということは、一度はルフタネンに帰ったのよね。
国王に報告をしてきたのかもしれない。
「まだ落ち込んでいるのか?」
「え?」
怪訝そうな顔で聞かれたので首を傾げつつ、自分の姿を思い浮かべた。
寝室の窓の近くに置かれた小さな木製のテーブルと、その傍に置かれた座り心地のいい椅子が、ウィキくんを書き写す作業スペースなんだけど、そこに毛布を体に巻き付けて顔だけ出して、膝を抱えて座っていたら、確かに落ち込んでいるように見えるかもしれない。
「落ち込んではいないけど、なんとなくすっきりしないというか……眠くないからいろいろ考えていただけよ」
寝室にあるのはこの椅子だけだ。
このままだとカミルの座る場所がない。
「私はベッドに座るから、カミルがここに座って」
椅子から下りて移動しようとしたら、すれ違いざまにカミルが私の腰に腕を巻き付けてきた。
「一緒に座ればいい」
「狭くて座れないわよ」
「そんなことないよ」
さっさとカミルは椅子の中央に腰を降ろし、私の体を自分の膝の上に抱え上げた。
「な、な、なにやってるの?」
この体勢は何?!
カミルの膝の上に横座りすると、足を肘掛けの上に乗せることになっちゃうから後ろに倒れそうで、転がり落ちないようにカミルの首に掴まるしかない。
カミルの顔が私の喉のあたりにあって、あまりに体が密着しているのが気になって、逃げようとしたらスカートの裾が捲れそうになって慌てて押さえた。
「恋人はこういう座り方をするんだよ」
「……そうなの?」
「そうだよ。知らなかったのか?」
そういえば遥か昔に読んだ漫画で、カップルがこんな風に座っていたシーンがあったような気がする。
ふたりだけになっていちゃつく時には、こういう座り方をするのかも。
……待って。
いちゃつくってどうやるの?
私はこの体勢で何をすればいいの?
それよりカミルの首を締めたら悪いから、落ちないように気張ってるせいで背中に力が入ってるし、足を動かすとスカートがずれそうで気になるし、けっこう大変なんですけど。
「いい香りがする」
首筋に鼻を押し当てるなー!!
えええええ?!
ちょっと! 私、寝間着姿だった!!
今更だけど! とっても今更だけど!!
「あの見事な攻撃の一打を、まだ気にしているのかと思っていたよ」
「あのね……もう少し、離れない?」
「やだ」
う~~。
精霊獣達が見てい……ない! あいつらカミルの精霊獣と遊んでる!
いつの間にそんな仲良しになったのよ!
「あれは、攻撃してきたやつが悪いのよ。私を本気で怒らせたのがいけないの」
「そうだね。その通りだ」
「……やりすぎたけど」
「そんなことないさ。いろんな国のやつらに、ディアは本気で怒ると精霊王の力なんて借りなくても、王宮をケーキみたいに切り分けられるんだって知らせることが出来たのは大きいよ」
「切り分ける必要はないでしょ。精霊獣を大型化すれば誰だって王宮を潰すくらい出来るでしょ」
「出来ないよ。出来ていたら、今頃どこかでそういう犯罪が起きているさ」
そういえば、大型化した精霊獣が暴れたって話は聞いたことがないわ。
平民でも一属性なら精霊を育てられるのに、誰もそういう事件は起こしていない。
「精霊獣を大型化させたまま維持するには、かなりの魔力が必要なんだよ。きみの友人は魔力の多い子ばかりだけど、彼女達だって大型化は何分かしか維持出来ないと思うよ。それに、どこの国も王宮には精霊王に結界を張ってもらっているはずだ。だから帝国だって、指定した場所以外転移出来ないだろう?」
「だったら私だって、王宮を切り分けたり出来ないわよ」
「そうかな。ディアなら出来る気がするんだが」
いくらなんでも精霊王より強い魔力なんて持っていないからね。
そりゃあ、私をそこまで怒らせた原因によっては、精霊王が結界を解いて、やっちゃっていいよって言う可能性は……いや、ないない。いくらなんでもそれはない。
「今回のことが世界中に広まれば、きみの大事な人達を傷つける人はいなくなるだろ」
「そうかな?」
「これは重要だよ。将来、俺達の子供を狙うやつらを減らせる」
「子供?!」
まだ結婚もしていないのに、もう子供の話?
「そういうところはのんびりしているんだな。各国の指導者は、もう俺達の娘を狙っているよ」
「なんですって?! 生まれてもいないのにどういうことよ」
「アンディだってそうさ。自分の息子ときみの娘を結婚させようと考えているはずだ」
「政略結婚なんてさせないわよ」
「そんなことはわかっているさ。アンディはたぶん自分の子供達を、安全で魔力が多くて精霊を得やすい精霊の森で育てたいと言うだろう。この屋敷はモニカ嬢の屋敷ととても近い。そこにきみが子供を連れて帰ってくれば、幼い頃から出会って一緒に遊ぶようになるはずだ」
そしたら互いを好きになるかもしれないってこと?
まさかそんなことまで考えて、この屋敷を私にくれたの?
モニカもそれを承知しているの?
「アンディがモニカ嬢に話しているかどうかは知らないが、帝国の将来を考えなくてはいけない皇后の立場なら、むしろ進んで仲良くさせようとするだろうな。それと、クリスはそのくらいずっと前から考えていただろう」
「……陛下と組んでるってこと?」
「かわいい妹はルフタネンに行ってしまった。だから可愛い妹の子供は帝国で、自分達の子供と仲良く生活してほしいって思うんじゃないか? 子供が帝国に嫁いだら、ディアが帝国に顔を出す機会も増えるだろう」
「うわーー、考えてる。きっと考えているわ。両親も考えているかもしれない」
「そうだな。それに、ルフタネン以外に嫁いだ時に一番苦労する心配がないのは帝国だ。きみの両親は孫をものすごく可愛がりそうだ」
現在のことにいっぱいいっぱいで、子供のことまでまだ考えていなかったわよ。
生まれてくるかどうかもわからない娘の結婚が、私の知らないところでもう話題になっているなんて。
でも言われてみれば、精霊を後ろ盾に持つ両親から生まれた子供を、世界中が欲しがるのは間違いないわ。
「母は強いわよ。子供達に手を出そうとしたら、王宮どころか街ごと切り分けるわよ。いや、精霊王達が黙っているわけないじゃない。私とカミルの子よ。手を出すやつは、みんな砂になるわよ」
「拳を握るのは癖なのか?」
気付いたら、いつの間にかまた拳を握っていた。
「これは意気込みを表しているのよ」
「拳を握る御令嬢は、きみ以外見たことがないよ」
「なによ……うわ」
「落ちる」
「待って。捲れるから。ちょっと」
「え?」
うわ、膝まで捲れてしまったじゃない。
慌てて両手で押さえたら、今度は後ろにひっくり返りそうになるし、どうしてカップルはこんな座り方をするのよ。
「見ーたーなー」
「婚約しているんだからいいだろう。そんなに足をあげるから裾が捲れるんだよ」
「肘掛けがあるのよ」
「この椅子駄目だな」
椅子のせいか?!
そうなのか?
「まあ俺は、子供は普通の人間であればいいよ」
私をそっと床に下ろしてカミルは立ち上がった。
「俺達は十年もしないうちに成長がゆっくりになるんだろう? いつまでも若いままの俺達を見たら、どうしたら自分もそうなれるのかって考えるやつが出てくる」
「精霊王に祝福をたくさんしてもらえばいいのよ」
「してくれないだろ。そして、その血筋の子供を一族に加えたいと各国が動き出すよ。その時に子供達は普通の人間で、おかしいのは俺達ふたりだけだって明言したい」
それは確かに。
私達が人間離れしたのは自分達の行動の結果だからいいけど、子供達まで巻き込みたくないわ。
普通に平凡に穏やかな人生を歩んでほしいのに、どう考えてもそんな未来が見えてこない。
「おかしい。私も普通で穏やかな人生を歩みたかったのに、すでに挫折しているわ」
「きみの場合、生まれた時からいろいろ間違えていたそうじゃないか」
「……否定出来ない」
あの時、魔力を増やそうなんて思わなければ私の人生は変わっていたんだろうか。
それとも、ベッドを蹴りまくったのが間違いだったのかな。
「じゃあ、そろそろ」
「あ、カミル。私、ペンデルスのオアシスに行きたい」
「言うと思ってたよ」
笑いながら手を振って転移したカミルに、消えてしまってから手を振り返してベッドに向かう。
カミルとの会話で、まだまだ私は強くならないといけないってわかったからには、しっかり眠らないとね。