辺境はこわい
いつも読んでくださってありがとうございます。
精霊省大臣のベリサリオ辺境伯が帰ってしまうのはおかしいなと思いまして、27話を一部修正しました。
全体の流れには変化がありません。
光の壁に挟まれた私達を、たまに魔獣が物珍しげに見物に来る以外、それからは特に問題なく目的地に到着した。
『馬車はここで降りてください。ここからは歩いてもらいます』
ふわりと宙に浮いた赤い瞳の少年と少女が、道の到達点で待っていた。
ここから先は岩場が多く、木々も幹が太く高くそびえている。
馬車の周囲に魔道具で結界を張り、一度全員で精霊王の元まで行くことになった。
人形みたいに左右対称の、綺麗な無表情の子供ってこわいよ。誰一人文句を言わず、ドレスを着た女性陣まで黙々と歩き出した。
それともノーランドの女性はみんな体力あるのかな。歩き? まかせろ、みたいな。
私は豪華な王宮で気取って座っていなくちゃいけないより、こっちの方が断然楽。ちゃんと歩きやすい靴を履いてきたよ。底にぎざぎざした溝の入った滑りにくい靴を、シンシアがいつも用意してくれるんだ。
両側が壁のようになっている岩場の細い道を進むと、不意に空から光が降ってきた。触れた場所に変化はなく、光はそのまま地面に溶けて消えてしまう。
「今のは?」
『浄化の魔法です。これから行く場所に、外から精霊獣以外の生き物を、種ひとつでも持ち込むことはなりません。約束出来ない方はここで引き返してもらいます』
なんだろう、これ。無菌室に行くような感じ?
まさか部屋の中に招待はされないだろうから、外来種を持ち込むなって事かな。
道を進んでいくうちに、私の考えは間違いじゃないってわかった。
火山が近いせいか火の精霊王の住居があるせいか、先程いた草原より徐々に気温が高くなってきた。道の両側に並ぶ太い木々の幹は黒っぽく、枝からツタが垂れ下がっている。この大きな葉っぱの植物は、前世の植物園の温室で見たことがある。熱帯地方の植物だ。
すっかり景色が変化した道を進むと、急に開けた場所に出た。
膝丈ほどの草が茂った平野に色とりどりの花が咲き誇り、その向こうに大きな湖が見える。
「これ……お湯だ」
「本当だ」
温泉としては冷たすぎるけど、水というには温かい。底が見えるほどに澄んでいて、魚が泳いでいるのが見える。地下にマグマでも流れているのかな。
いや、そういう常識的な考えじゃ駄目かも。
この場所だけ熱帯地方になっているって、ありえないから。
火山があったら熱帯地方になるんなら、日本の気候めちゃくちゃになってるから。
「ディア、今の鳥見た?」
「うん……どうなってんの」
青と黄色の派手な鳥も熱帯地方の鳥だわ。カメレオンがいても驚かないよ。
外来種を持ち込ませないはずだ。ここだけ別世界だ。
『気に入ったか』
「蘇芳」
いつの間にか私とアランお兄様の間に蘇芳が立っていた。
黒の上下に、踝まである赤茶色の薄いカーディガンのような物を羽織っている。短く切った赤い髪と褐色の肌に均整の取れた長身。あいかわらずの美丈夫ぶりだ。女性達が見惚れている。
「すごく綺麗なところだね」
「珍しい鳥がいますね」
『ここは我らが住みやすい環境に変えた。他所との出入りがほとんどないから、独自の生態系を作っている』
さすが精霊王。自分の住みやすさのために気候から変えちゃうんだ。
『遠路はるばるご苦労だったな。ベリサリオ』
今回も私とアランお兄様以外の全員が跪いている。前もって聞いていたのかな。誰も不思議そうな顔をしない。
お父様は私のすぐ横にいたので、蘇芳の目の前で跪いている。
私とアランお兄様の頭に大きな手を乗せて、笑顔でお父様に話しかける蘇芳のほうが私達兄妹の保護者みたいで、ちょっとこの場でどうなんだろうと思ってちらっとアランお兄様を見たら、お兄様もどうなのこれって顔で私を見ていた。
「いえ、むしろこんなにも時間がかかり申し訳ありません」
『精霊の存在を忘れかけていた人間の考え方を変えさせたのだ。時間が必要なのは当然だろう。こうしてこの地にも精霊と共に生きようとする者達が訪れてくれた。嬉しく思うぞ』
「はっ。さっそくではありますが、この地を治めるノーランドの者を御紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
『かまわん』
話がどんどん厳かな雰囲気で進んでいくのに、私とアランお兄様、まだ蘇芳に頭をぐりぐりされたままなんですが。
ここはそっとさがったほうがいいのかな。
それとも知らん顔して、立っていればいいのかな。
たぶん蘇芳は、手を置くのにちょうどいい台があるくらいにしか思ってないよ、これ。
ちらっと横を見たら、アランお兄様は遠くの風景を見て現実逃避してる。
『ノーランド辺境伯。ようやくこの場所で会えたな』
「は。こうして招待していただいた上、途中、ドラゴンより守護していただき感謝に堪えません」
『わざわざこんな遠くまで来させたのだ。そのくらいはするさ。向こうにゆっくり話を出来る場所を用意してある。ノーランド辺境伯の家族を招待しよう。ベリサリオとおまえ達はどうする?』
私とアランお兄様は慌てて首を横に振った。
瑠璃に私達一家しか招待されないんだから、ここではノーランド辺境伯一家だけが招待された方がいいはず。
『ならば先に話しておきたいことがある。この国に海峡の向こうからの移民はいるか』
「海峡の向こう……シュタルクやペンデルスですか。おります」
『ニコデムス教の者もいるのか』
「……おそらく」
ニコデムス教は、人間は神に選ばれた種族で、この世界の支配者だという宗教ね。
我が国はここ何年かで精霊との共存路線を明確に打ち出しているから、布教は許されていないはずだけど、移民の中には信仰している人もいるかもしれない。
『国外に追放しろ』
いつもの蘇芳の声とは違う、冷ややかな声に驚いて思わず顔を見あげてしまった。
『ペンデルスの者は手の甲にひし形の痣があるからわかるはずだ。精霊を信じ共に生きようとする者は痣が消える。痣のある者は全て危険だ。彼らも追い出せ』
精霊王の誰かが、こんな強い口調で命令するなんて初めてだ。
お父様とノーランド辺境伯は顔を見合わせてから蘇芳を見上げた。
「あの者達が、またなにかやらかしましたか」
『うむ。ルフタネンの第二王子を暗殺した』
「あれは政権争いではなかったのですか?!」
『いや、政権争いだ。あの地はこの国以上に精霊との繋がりが深く栄えている。そんな国はニコデムス教の者達からすればあってはならないのだ』
「殺害したと噂されているのは第二王妃だったか」
「そうだが、証拠はなかったはず」
『この国は二年ほど前まで精霊を忘れ、魔道具を使って生きていた。それでも国として問題がなかった。そのためペンデルスの者やニコデムスの信者の見本。目標だったのだ』
それが突然、精霊の存在を思い出し、精霊獣を育て、精霊王とまでこうして接点を持った。
その結果、国に魔力が満ち、安定して作物が育ち、国力がさらに上がっている。
これはニコデムス信者にしてみれば裏切り行為に見えるのかも。
『中央だけが精霊を得られず、他との差がはっきりと示されたのもまずかったようだ。今までニコデムス教を信じていた者達が離れ、精霊と共存するべきだと考える者が増えている。そのためにシュタルクでは、ペンデルスの移民の多かった一部の地域で内乱が起きている』
「ではベリサリオの子供達が狙われる可能性が」
みんなの視線がいっせいに私達に向けられたが、蘇芳は緩く首を横に振った。
『ベリサリオ領は精霊獣の数も多く、防御が厚い。領民も精霊と暮らす者が増えているので、痣のある者は暮らしにくい。ディアドラは目立っているが、我らの守護がある』
「他の地域に移動しているという事ですか」
『そうだ。ノーランド。おまえ達もこれから俺との接触が増えれば、狙われるやもしれんぞ』
その言葉を聞いたノーランド辺境伯は、にやっと悪そうな笑みを浮かべた。
「魔獣と戦いながら領地を守ってきた我々ですぞ。人間相手だってこれでも経験豊富です。簡単にはやられたりしません」
彼の後ろにいるコーディ様もグレタ様もジュード様も、思いは同じようだ。
精霊王のいる場所が辺境伯の治める場所でよかった。戦闘力あるからね。
「父上、精霊獣を早く増やさなければいけませんね」
「うむ。ベリサリオに負けないくらい我々も頑張らねばな」
話が一段落ついたので、ノーランド辺境伯一家は蘇芳の招待で別の場所に移動することになった。
瑠璃が湖上の席に招待してくれるから蘇芳もそうなのかと思ったけど、どうやら崖の中腹にスペースがあるらしい。そこが蘇芳の住んでいる場所への入り口になっているのかな。
辺境伯一家が招待されるのはわかっていたので、残された者達は思い思いに近くを探索しながら、魔力を放出して精霊を捜し始めた。
「この問題は陛下にもお伝えしなくてはならんな」
お父様はすぐに精霊省の人達と打ち合わせだ。
「お兄様、シュタルクで内乱が起こっているとなると、貿易に影響が出ませんか」
「出ているよ。物資の輸出が増えている。ディアに精霊について説明してもらったらどうだって話も出ているらしいよ」
「その話、誰に聞いたんです?」
「その質問、二度目だね」
私達から少し離れて護衛してくれているジェマの隣にいる男に視線を向けた。
中肉中背、地味な顔だけど目つきが鋭い。髪の色はうちの領地でよく見かける銀に近い金髪。私の視線に気付いて驚いた顔で首を傾げてみせたので、ニコッと笑って視線を湖に向けた。
アランお兄様の執事は、だいたいがあのタイプだ。
「お兄様、近衛騎士団じゃなくて諜報関係の仕事が向いているんじゃないですか?」
「だから近衛騎士団なんだよ。中央の情報を集めやすいでしょ」
「へ?」
「兄上の仕事を手伝うんだから」
え? 近衛騎士団で皇族や国を守りたいんじゃなくて、情報を集めるために潜り込んでおこうって事なの? ベリサリオのためだったの?
これが多民族国家の弊害か。
お父様もお兄様達も、基本、うちの領地を豊かにすることを第一に考えている。皇族とも仲良くするし、内乱なんてとんでもないって思っているみたいだけど、それって領地が荒らされたくないからかも。
そういえばジュード様もエルドレッド皇子の側近になってないじゃん。自分の領地にずっといるわ。
きっと王都周辺にいる貴族や公爵、侯爵家は違うんだろうな。
今更ながら、家族の考えにびっくりだわ。どうりで皇子との結婚をどう? とは聞かれても説得されないわけだわ。最近お母様まで、私とずっとフェアリー商会の仕事がしたいから、結婚なんていつでもいいんじゃない? なんて言い出し始めたからな。
陛下やアンドリュー皇子が神経質にもなるわな。
「いや、私は自分が恋愛結婚でしたから、子供達も学園でいろんな出会いをしてもらいたいと思っていますよ」
つい考えに沈んでいたら、お父様の不機嫌さを隠した声が聞こえてきた。
どうやらいつのまにか、私やアランお兄様を紹介してくれって人達に囲まれていたらしい。蘇芳との親しげな様子を見て、私達には直接話しかけづらかったかな?
「しかし私は精霊省大臣ですし、子供達は精霊王と親しいですからね。身分も重要ですが、学園卒業時に全属性精霊獣持ちの相手でないと、縁談は難しいでしょうね」
おい。今、私の幸せな結婚のハードルが、棒高跳びくらいに跳ね上がったぞ。
「アランお兄様。私一生独身のような気がしてきました」
「一学年に三人くらいはいるよ。うちの騎士団にだって三人いるし」
うちの騎士団、何人いると思っているのさ。
「お兄様も条件は同じですよ」
「僕は次男だし年齢さえ釣り合えばいいけど、ディアはたぶん、資産がある伯爵以上領地持ちの嫡男じゃなきゃダメじゃない?」
「ソンナコトナインジャナイカナ」
諦めちゃ駄目だ。諦めちゃ……泣きたい。
夕方に馬車の近くに戻り、今日はそこで一泊する。
精霊獣が分担で結界を張ってくれているし、念のために魔道具の結界も張ってあるから安心だ。
公園のベンチのような椅子が用意され、クッションも置かれ、貴族達はそこに座って優雅に野宿を楽しんでいる。
私は地面に座ってもいいんだけど、やめてくれと言われたので、お父様とお兄様に挟まれてお嬢様らしくクッションに座ってますわよ。
人々の集う中央では大きなかがり火がたかれ、火の精霊獣達が楽しそうにその周りを飛んでいる。
用意してあった魔獣の肉を網で焼いて、香辛料をつけて食べるのは、場の雰囲気もあるんだろうけどなかなかに美味かった。
これでツアー出来るんじゃないかな。
ドラゴンが出たら蘇芳が守ってくれるなら、子供だって参加出来るじゃん。
十歳になったら精霊王の元まで旅をする試練! って、ノーランドらしいと思う。
「ん? この音なに?」
みんな楽しく騒いでいても、偶然一瞬、言葉が途切れて静かになる時ってあるじゃない。そんな時、遠くから微かにトントントントンて音が聞こえて、つい見てしまった。
魔道具の結界ってね、虫よけにもなっているのよ。
そこに大人の拳大の蚊が、羽根をぶんぶん言わせながら何度も何度もぶつかっていた。一匹じゃないのよ。夜の歩道の電灯に群がる虫みたいにいるのよ。
「お……お兄様……あれ」
「うん? あ、一角モスキート!」
「え?」
「あああ、捕まえないと!」
お兄様が叫んだ途端、酒を飲んでいたはずの冒険者が自分に結界を張って飛び出していった。
血を吸う管が角みたいだから一角なんだよって教えてもらったけど、どうでもいいわ!
でかいから足の縞々までよく見えて、キモイったらない。
「何事なんです?」
「あの魔獣の体液が薬の原料になるんだよ」
お父様がにこやかに教えてくれたけど、私の目は先程とは違う方向の結界に釘付けになっていた。
「あ……あれ……」
今度は私の頭より大きな蛾が、鱗粉をまき散らしながら結界にぶつかっている。
「まあ、おしろい蛾よ」
「生け捕りにしようぜ。高く売れる」
生け捕り……おしろい……。
「ノーランドではね、薬草の栽培や魔獣の養殖もしているんだよ。倒してばかりではいずれ絶滅してしまうからね」
「それは素敵ですね」
ノーランド辺境伯に、にこやかに返事出来た私を褒めてほしい。
あんなでかい昆虫みたいな魔獣がいるなんて。
「なんならおしろい蛾から化粧品が作られるところを見学するかい?」
やめて。無理。
ノーランド恐るべし。
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次回はコルケット辺境伯の領地に行きます。