派手過ぎる地下牢侵入 1
瑠璃が私達を連れて行ってくれたのは、地下牢に通じる階段前の少し広くなっている場所だった。
壁も床もざらりとした断面の灰色の石は、細かいひびがいくつもはいっている。
目の前の壁だけが木製で、左隅に小さな扉がついていた。
「鍵は開いているな」
カミルがほんの少しだけ扉を開けると、精霊形になったカミルの土の精霊が隙間からするりと出て行き、地面すれすれを飛んで廊下の様子をチェックして戻ってきた。
慣れた様子だけど、普段からそういう訓練をしているの?
「どうだ?」
『誰もいないよ』
精霊の答えを聞いてカミルが扉を開けて廊下に出て、すぐに私に手を差し伸べてくれた。
扉の位置が中途半端な高さにあって床から離れているせいで、跨がないと廊下に出られないのよ。
囚人が脱走した時に、スムーズに逃げられないようにしているのかしら。
躓いたら恥ずかしいので、おとなしくカミルの手を取り、よいしょと跨いで廊下に出た。
廊下の片側には木製の古い棚がいくつか置かれ、看守が使うのか木のテーブルと椅子が置かれていた。
柱に魔道具の照明がかけられているのに薄暗く、カビと腐敗臭の混ざった匂いがして、床が所々濡れているのが気持ち悪い。
壁を何気なく見たら虫がカサカサと移動していて、大きな声を出しそうになるのをぐっと堪えた。
『あそこにドアが見えるだろ? ニコデムスに逆らって捕まった貴族はあそこにいるよ』
廊下の先を指さしたのはマカニだ。
少年のような見た目の風の精霊王ね。
誰が私とカミルを連れて行くかと精霊王同士で話し合って、親しい顔ぶれの方が私達も安心出来るだろうと、瑠璃と蘇芳、クニとマカニがついて来てくれた。
女性陣はここの不潔な感じが嫌なので、今回は遠くから見守っているんだって。
ベジャイアとシュタルクの精霊王も来たいと言っていたそうなんだけど、まだ信頼関係が築けていないから駄目だと断ったそうよ。
私としても、そうしてくれてよかったと思う。
「ディア、行こう」
「うん」
ここから先は自分達で進むしかない。
精霊王が危ない場面で助けてくれるのは、私とカミルだけだ。それ以上は人間への干渉になってしまう。
救出を無事に成功させるためには、自分達で頑張らないと。
『放っておけばいいのにな』
『ディアは優しいんだ』
背後から声が聞こえたのでちらっと後ろを振り返ったけど、もう精霊王達は姿を消していた。
すぐに前に視線を戻し、カミルに続いて廊下を走る。
扉の横で足を止め、特殊部隊の隊員になった気分で壁に背をつけてから、汚れていて虫がいることを思い出した。
ううう……いい。我慢する。あとで浄化してもらおう。
それより臭い。
扉の近くに来たら、匂いがひどくなったわ。
鍵がかかっているのでどうするのかと見ていたら、カミルの火の精霊獣がドアノブごと熱して溶かしてしまった。
そのままだと熱いので、指示しなくても水の精霊獣が冷やしているあたり、これも普段から訓練しているのかな。
カミルと精霊獣の対話って、こういう訓練でやっているんじゃないわよね。
公爵がこんな技を使う機会なんてないでしょ。
いや、今まさに使っているんだけど。
『あいつらだけずるい。やりたい』
ジンがむすっとした声で呟いた。
「しっ」
あれは遊んでいるんじゃないから、羨ましがらないの。
私が唇に指をあててジンを黙らせている間に、カミルが少しだけ扉を開くと、風と土の精霊がするりと中に入っていった。
『ねえ、ねえ』
ジンだけじゃなくてリヴァまで自分にも何かやらせろと言いたげに、精霊形になったり顕現したりを繰り返して訴えて来る。
シロなんて鼻の頭がくっつきそうなほど顔を近付けて、自分はここにいるぞと主張してきた。
「たのむからおとなしくしていて。あとで働いてもらうから」
クロは大人しくカミルの頭に張り付いているでしょ。
『大丈夫だけどひどい』
『見張りはいない』
「……おかしいな」
見張りがいないなんてことがあり得るの?
もしかして、もう脱獄なんて出来ないほど中の人が弱っているとか?
それとも、このまま放置して餓死させる気なの?
「行きましょう」
「……注意してくれよ」
「うん」
扉を大きく開けてカミルが中に飛び込み、剣を構えて四方を確認する。
精霊達もすぐに続いて、けっこう広い地下牢内を飛び回って看守がいないか確認している。
私はそっと扉を閉じて、口と鼻を手で覆い、こみ上げる物をどうにか我慢した。
扉の中に入ったところは幾分広い空間が広がっていて、右手は鎖とか鞭とか、まあいろいろと忌まわしい道具が置かれていて、左手には手術室にあるようなベッドが置かれていた。
ここがどういう場所なのか目の前に突き付けられた気分よ。
正面は部屋の奥まで続く通路になっていて、左右に牢屋が並んでいる。
部屋自体はそれほど広くなくて、牢屋の数もそう多くはないと思う。
もしかすると他にもこういう部屋がいくつかあるのかも。
「みんな、まずはすぐに地下牢全体を浄化して」
『わーい』
『まかせろ』
まだクリアリングしているカミルの精霊達の横で、私の精霊達は飛び回りながら浄化魔法をかけまくった。
効率的で大変よろしい。
働くのが嬉しいっていいね。
精霊達にとっては遊びなのかもしれないけど。
『僕も?』
「シロは私の背中を浄化」
『ディア汚いの?』
「あ?」
こいつ、乙女に向かって汚いって何さ。
瑠璃につき返そうかな。
ほんの何秒かで臭くて汚かった地下牢がピッカピカよ。
床や壁も本当はこんなに明るい色だったのね。
牢屋の格子もピッカピカ。
魔道具の照明も綺麗になったから、随分部屋が明るくなったわ。
「だ、誰だ」
「ゴホッ。 この光……は?」
「うー」
どの声も弱い。
苦しそうな唸り声しか出せない人もいるようだ。
「ここにいる人全員回復して」
『どのくらい?』
尋ねてきたジンは魔法が使える期待か、地下牢が暗いからか、瞳が真ん丸になっている。
「思いっきり。最大級に。全力で」
『まかせろ!』
甘ったるい香りは血の匂いだ。
排泄物の匂いや、食べ物が腐ったようなにおいも混じっていたから、かなりひどい環境にずっと置かれていたはず。
カミルは牢屋の中を覗いて奥までチェックしているけど、私はその状況を目にする勇気はなかった。
だから、先に浄化と回復の魔法をかけてしまった。
これは失礼じゃないよね。
捕まっている人達だって、娘みたいな若い女の子にひどい状況は見られたくないよね。
「おお、痛みが消えた」
「足……が。骨が見えていたのに……」
ガランガランと鎖の音がしたので一番手前の牢屋を覗いたら、ボロボロの服を纏ったやせ細った男性が、よろめきながら部屋の奥から歩いてくるのが見えた。
牢屋の中なのに、足を鎖に繋がれているの?
「無理に歩かないでください。今、檻を開けて鎖を外しますから」
「ありがたい。私は、近衛騎士団長のエヴァレットです。あなた達は?」
「ベリサリオから来たディアドラです。妖精姫なんて呼ばれています。向こうにいるのはルフタネンのイースディル公爵。ハドリー将軍に頼まれて助けに来ました」
「おお」
がしっと檻を掴んだ騎士団長の瞳に、希望と生気が灯った。
たしか侯爵だったはず。
「妖精姫? 本当に?」
「助かるのか? 家族に……生きて会えるのか?」
普通の声で話していたんだけど、女性の高い声ってよく通るのよね。
他の牢屋にいる人達も、立ち上がって格子の近くに寄ってきた。
「カミル、カギを壊していい?」
「ああ。ディアは右側を、俺は左側を壊そう」
さっきカミルがやったのを見ているから、説明しなくても何をすればいいのかイフリーはわかっていたけど、やりすぎて扉全部がドロドロに溶けて崩れた牢屋もあったわ。
それをリヴァが冷やしていくという流れ作業で奥の方まで進みながら、牢屋の中の人の様子を確認していたら、不意にカミルに腕を掴んで止められた。
「この先は俺がやる。……残念だけど遅かった」
「……そう」
間に合わなかった人がいるんだ。
覚悟はしていたけど、現実になるとやっぱりきつい。
でもぼんやりしている時間はない。
捕まっていた人達の足かせを外さなくては。
「これはどうやって外そう」
「お手数をお掛けします」
ずっと食事が出来なかったので立っている体力がないんだろうな。
頬がこけて目が落ちくぼんで、たぶん年齢より老けて見える男性は床に座りながら頭を下げた。
「ひとまず鎖だけ斬りますね。足にはまっている部分は安全な場所に移動してから外しましょう」
「お願いします」
他にも蹲っている人が何人かいるから、彼らはフライに乗せて連れて行く必要があるわね。
携帯食料は持ってきているし、移動しながら食べてもらおうかな。
『ディア、誰か来る』
イフリーに鎖を溶かしてくれるように頼んでいた私は、シロの声にハッとして牢屋から飛び出した。
「複数いるな」
横に並んだカミルの手には、もう剣が握られている。
「入って来たら、顔以外氷漬けにして」
「ひでえな」
たぶんプロの特殊部隊なら、部屋の中央で堂々と相手をまったりしないだろう。
扉の横に張り付いて飛び掛かるとか、牢屋に潜んでやっつけるとかするはずよ。
でも私達の場合は、私やカミルに相手の注意を引き付けておいて、精霊獣が攻撃する方が確実だ。
だから堂々と仁王立ちで通路に立った。
新連載を始めました。
「悪役令嬢は女神のフォローがお仕事です」
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