準備万端
私の話に動揺したのか、私を怒らせたことに動揺したのかはわからないけど、翌日の朝食は入り口まで運んできて執事に渡しただけで、誰も部屋の中までは入ってこなかった。
持ってきたのは、何かとカザーレが連れて来ていたふたりだ。
事情を知っているふたり以外と私達が接触しないようにしているのかもしれない。
カザーレ側は今後の対応に頭を悩ませているだろうけど、反対にカーラの方はどんどん生き生きと元気になっている。
筋肉痛すらも楽しんで、お肌も髪もつやつやだ。
「椅子に座るのがこんなにつらいなんて。あ、いたたた」
「姉上、いったいどんな運動をしたんですか」
「運動をするのがひさしぶりだったのよ。今の家は小さいからあまり歩かなくなったし、階段の上り下りもなくて、だいぶ不健康な生活をしていたのね」
今日は精霊獣を顕現していいことにしたの。
もう寝室は必要ないから家具をしまって、精霊獣が走り回れる広い空間を作ったので、そこで順番に遊んでいる。
カーラの精霊獣は九尾の狐で、小型化しているとデフォルメされたキャラクターのように丸っこくて、ふさふさした尻尾の重さのせいでバランスが悪いのか、走るとコロコロ転がってしまう。
浮いて移動する方が彼らには合っているようだ。
大型化すると神聖ささえ感じられるような、美しい姿になるとは思えない可愛さよ。
ハミルトンの精霊獣は、ノーランド地方に生息している魔獣の血を引いている猟犬にそっくりで、どこかで見たことあるなあって思ってウィキくんで調べてみたら、前世のピットブルという犬にそっくりだった。
もっとごつくして黒くした感じなんだけど、こちらも小型化している時はコロコロしていて、細くて短い尻尾をぶんぶん振って走っている様子なんてぶさ可愛くて、いくら見ていても飽きないわよ。
「お嬢、カザーレが来ました」
面会に来たカザーレは、目を細めてうんざりした顔つきで私の周りに陣取っている精霊獣を見下ろした。
カーラの精霊獣が走り回っているのを見て、眉を寄せたのを見逃していないわよ。
「夕べはイヴァンが失礼しました」
「謝る相手は私じゃないし、これから結婚する相手が侮辱されているのに、あの男を放置したあなたの態度の方が問題よ」
「……お客人の前でしたので。あとで注意しました」
「つまりカーラの気持ちより、あの男のメンツを優先させたのね」
毎回私に言い負かされているせいで、カザーレは私のことがだいぶ嫌になっているようだ。
シュタルクに着くまでの辛抱だと、どうにか我慢しているんだろうな。
「ああ、そういえばあなたがカーラに贈った腕輪ね、私達に渡そうとした腕輪にどのくらい似ているのか確認しようとしたら、石が割れちゃったの」
「え?!」
「あれも魔石だったのね。なぜそんなに魔石を使っているのかしら。普通は宝石のアクセサリーを贈るわよね」
「それは……商売で魔石を取り扱っているので……」
「ああ、なるほどね」
つまり仕事で安く手に入れられる物をプレゼントにしやがったんだな、という台詞は飲み込んだわよ。
あまり追い詰めちゃ駄目なのよね?
逃げ道は作った方がいいんでしょ?
もう遅いような気もするけど。
彼はいつもその場の思い付きで言い訳をしているから、突っ込みどころ満載なのよ。
これでカーラに惚れているという話を信じたら、私達はだいぶ間抜けだと思わない?
「カーラ、今日は船酔いしていないんだね」
カザーレは私の相手をするのはやめて微笑みながらカーラに近付こうとして、狐達に行く手を塞がれた。
「そうなの。昨日はなんだったのかしら。今日は朝から調子がいいのよ」
膝の上に風属性の精霊獣を乗せて微笑むカーラは、私と一緒に選んだドレスを着て、薄く化粧もして、とても綺麗。
今日は大事な決戦の日だもの。
多くの人に会うことになるんだから、綺麗にしないとね。
私ももちろん白にターコイズブルーの模様の入った動きやすいドレス姿よ。
移動距離が長くなるんだから、歩きやすい靴も選んだわ。
「それはよかった」
いやよくないだろ。
あんたのクスリのせいで昨日は体調が悪かったって設定なんだから。
そのへん、ちゃんと気付いてるよね?
「よかったら、少し甲板を散歩しないか? それか私の部屋で話をしよう」
「よくないわ」
ぶほってハミルトンがお茶を噴き出した。
「最近のあなたはいいところが全くなかったところに、夕べのあの男の態度でしょ? 故郷を離れてベジャイアに行っても、あんな態度を取られるかもしれないなんて、しかもあなたはまったく私を庇ってくれそうにないなんて、あなたの申し出を受けたことを後悔してるの」
「そんなことはない。彼にはきちんと苦情を入れたよ。もうあんなことは言わせない」
「言葉で何を言われても信用しないわ。ベジャイアで周囲の人に対してどんな態度を取るのか、私をどんなふうに紹介するのか、それで信用出来るかどうかは決めることにする。それまではディアの傍を離れたくないの。あなたとふたりだけになるのもごめんよ」
もうここまで来たら、カザーレに惚れている演技なんていらないからね。
無事に私をニコデムスに渡すまで本気で怒らせてはいけないのはカザーレの方で、私達はカザーレがどう思おうと気にする必要はないのよ。
「カーラ、たのむ。もう一度チャンスをくれないか。話し合おう」
「話し合いは無駄だって言ったでしょ。商人は口が上手いから、誤魔化されるのは嫌なの。ベジャイアに着くまで私のことはほっといて」
ふんと横を向いて立ち上がり、カーラは奥の部屋に引っ込んでしまった。
バタンという扉が閉まる音が響いた後、なんとも言えない静寂が部屋を包み込んだ。
いくら敵だからといって、この状況で嫌味を言って虐めるのはせこい。
でも慰めると、余計にカザーレはいたたまれない気持ちになるんじゃない?
こういう時はどういう態度をするのが正解かわからなくて、ハミルトンはどうするんだろうとちらっと見たら、彼も困っているようで、先程噴き出してこぼしてしまったお茶をルーサーが拭く様子を、とても真剣な顔つきで見つめていた。
ルーサーは無表情よ。
自分は執事ですから、一切関知しませんからって感じ。
「私は……これで……」
もごもごと何か呟いてカザーレは出て行った。
役に立たない仲間か自分の演技の下手さを恨んでよ。
私はいびってないわよ。
おそらく彼も、もう私達が彼を信用していないとわかっているだろう。
どこまで気付いているのか心配しているんじゃないかな。
でも私達の方は計画通りに進んでいるので、それから二時間後、私は予定通りひとりでドアを開けて部屋の外に出た。
船から陸の様子は見えないけど、そろそろベリサリオ沖を走行中のはずだ。
「あ」
まさか私が出てくるとは思わなかったんだろう。
扉の左右にひとりずつ立っていた男達が、勢いよく寄りかかっていた壁から身を起こして姿勢を正した。
「あなた達は何をしてるの?」
「な、何か御用の時にすぐに動けるように待機していました」
嘘をつけ。
誰も部屋から出さないように監視していたんだろうが。
「そう。ごくろうさま」
興味なさそうに前を向き、そのまま部屋を出て歩き出す。
「あの、御用があれば伺いますよ」
「どちらに行かれる気ですか?」
もう少しましな人材はいなかったのかな。
脅すのは慣れていても、礼儀正しく説得するのに向いている男達じゃないんじゃない?
「海を見たいだけよ。どこにも行かないわ」
「あ、そうなんですね」
アンニュイな……私が思うアンニュイな雰囲気で遠くに目を遣りながら、髪を手で押さえてふらりと手摺に近付く。
「……雲が」
なかった。
晴れ渡った青い空が広がっていた。
「は? 何か言いました?」
「おかしいわね。雲がなくて、風も穏やかなのに……」
唇に軽く指先を押し付け、微かに眉を寄せて考え込むように黙り込む。
噂で私の性格を聞いているかもしれないけど、初対面のふたりは困ったように顔を見合わせて、私の次の言葉を待った。
「もしかしたら気のせいかしら。でも、私の予感は当たるのに……」
「え? どうしたんですか? 何かまずいことでも?」
「そうなの。たぶん信じてもらえないでしょうけど」
よくわからないけどたぶんアンニュイな雰囲気継続で、頬に手を当ててため息をついた。
「たぶんもう少ししたら霧が出てくるわ」
「霧? いや、え?」
「この時間にですか?」
「そうよね。おかしなことを言っていると思うでしょ? でも私の予感はいつも当たるの」
ふたりを上目遣いに見上げて、ぱちぱちと瞬きをする。
こういうのに男性は弱いって、どこかで読んだ気がするのよ。
最近はもう儚げな雰囲気なんて消え失せていそうだし、威圧感が出てきて守ってあげたい系野生児ではなくて、怒らせてはいけない系野生児になっているってエルダに言われちゃったんだもん。
「ベリサリオ付近ではごくたまにあるのよ。とても深い霧で危険だし、魔獣も出る時があるの」
「妖精姫の予感なら当たるんじゃないか?」
「そうだよ。これは注意するように報告しないと!」
「信じてくださるの?」
「もちろんですよ」
「霧の中の走行は危険かもしれませんけど、船の近くに黒い影が見えたら魔獣かもしれないから、決して船を停めないでくださいね」
「伝えます!」
「よろしくね」
ふたりに微笑んで見せてから部屋に戻る。
よし、疑われていないな。
よくやった私。
「あー、もう話しちゃったか」
カミルの声が衝立の向こうから聞こえたので、急いで中を覗いたら、まるで自分の部屋のように大きな態度で、カミルとアランお兄様がソファーで寛いでいた。
「アランお兄様!? 来てしまって平気なんですか?」
「陛下が心配だから様子を見て来いっておっしゃったんだよ」
あの陛下、ベリサリオに甘すぎるわよ。
「まったく心配いらないみたいだな」
「霧の話をしに行ったんだって?」
ふたりの前の席に腰を降ろしたらすぐに、今度はカミルが話しかけてきた。
カーラとハミルトンはふたりに席を譲る感じで、奥のひとり掛けの席に座っている。
遠慮しなくていいのに。
「そうよ。もう予定の時間でしょ?」
「それが予想していたよりこの船は遅くて、海峡に到達するには早くてもあと三時間はかかるそうだ」
「ベジャイアの船ってば駄目ね。ベリサリオの船ならもう海峡についているわよ」
「精霊獣に手伝ってもらって走行している船と一緒にするなよ」
まあいいわ。
何時に霧が出るとは話していないから。
適当に精霊王が霧にしてくれるでしょう。
「じゃあ僕は戻るよ」
「え? もう? わざわざ来たんですもの、ゆっくりしていけばいいのに」
「そうは言っていられないんだよ。皇都で心配している人達を安心させないと。あ、そうだ。陛下がね、おまえ達が怪我をするくらいなら、シュタルクが滅んでもいいぞって言ってたよ」
「よくないわよ。でも気持ちだけはありがたくもらっておくわ」
「それじゃ」
笑いながらアランお兄様は転移魔法で帰って行った。
来る時はカミルが手伝ったはずなので、彼は皇宮まで行ったり船に戻ったり、慌ただしく働いていることになる。
カミルもベリサリオに甘いなあ。
「もう向こうの部屋にこの船を制圧する部隊が控えている」
カミルが親指で指したのは、男性用の寝室に使用していた部屋だ。
「もう? お菓子は出した? 椅子は足りてる?」
「客じゃないから、放っておいてかまわない」
えー、あと三時間以上待機なのに?
気になるわよ。
この船への転移はシロとクロのコンビの力を借りるのが確実なので、カミルが指揮するルフタネンの兵士に任せることになった。
他にもルフタネンの兵士には大切な役割がある。
彼らだけはひと目でルフタネン人だってわかるでしょ?
精霊獣を連れたルフタネン人なら、軟禁する人の屋敷に突然現れて助けに来たと話しても、ニコデムスの罠だとは思われない。
だからシュタルク人とチームを組んでもらって、船が港についたらすぐに王都を目指してもらう手筈になっているの。
「いいか。作戦通りに、すぐに俺を呼ぶんだぞ。ひとりでやろうとするなよ」
カミルは心配性だなあ。
「まかせなさい。カーラ、ハミルトン、そしてみんな、あなた達は自分の身を守ることを何よりも優先してね。そのためには相手に攻撃することもためらわないで。精霊獣を大型にしてもよし。人質にされないように、出来るだけばらけないで動いて。でも捕まっても平気だから慌てないで。私の仲間を人質にしたやつは、後悔させてやるから」
立ち上がって拳を握り締めた手をつき出した。
「カミルもやって。みんなも」
カーラやハミルトン。執事兄弟にジェマとミミも加わって、全員で円陣を組んで拳を合わせる。
不安そうな顔をしている人も怖気づいている人もひとりもいない。
「誰ひとり怪我することなく、ニコデムスをぶっ飛ばすわよ。あ、あまり私の傍に寄らないでね。敵への攻撃がみんなに当たると怖いから」
「どんだけ派手にやる気なんだよ」
カミルがぼそっと呟いて笑いが起こる。
おとなしくしている時間はもう終わり。
そろそろ相手も本性を見せてくるだろう。
ぼっこぼこにしてやるわよ。