閑話 危険な船旅
「おまえは何を考えているんだ!」
部屋に入るなり、カザーレはイヴァンの襟を掴んで締め上げた。
「妖精姫は友人を大切にしていると何度も話しただろう。なぜわざわざ怒らせるようなことを言ったんだ」
「くる……はな、せ」
「まさか、料理にクスリを入れてないだろうな!」
カザーレの視線を受けて、従者としてあの場にいたふたりは何度も首を横に振る。
イヴァンも首が締まらないように襟を両手で掴みながら首を横に振った。
「くそ。ペンデルスにニコデムス教徒がいないってどういうことだ?」
吐き捨てるように言いながら、カザーレはイヴァンから手を離しどさっと椅子に腰を降ろした。
急に手を離されたイヴァンはよろめいて机にもたれかかり、首をさすりながらカザーレを睨んだ。
「あの女が本当のことを言っているとは限らないだろう。いくら見た目がよくても、あんな品のない女だったとは。ルフタネン人なんかと婚約するはずだ。そもそもなんで精霊達が魔法を使えているんだ? 魔道具をつけさせるという手筈だっただろう」
「魔石が割れたんだ」
「え?」
「妖精姫が触っただけで魔石が割れたんだよ! 二個も!」
ガンっとテーブルを叩きながらカザーレが言うのを聞いても信じられず、イヴァンは他のふたりに確認するために顔を向けた。
「本当です。指で摘まんだだけで魔石が砕けたんです」
「そ、そんな力が……」
「安い魔石は割れてしまうと言っていました。でも確か妖精姫対策に大神官が高価な魔道具を貸してくれたんですよね」
「そ、そのはずだ。まさかあんな少女が魔石を砕くなんて……おい!」
イヴァンは机に手をついてカザーレを睨みつけた。
「そんな馬鹿力女をシュタルクに連れて行って平気なのか?!」
「いや……腕力では……」
訂正しようとした男をもうひとりが止めた。
平民の彼らに間違いを指摘された時、イヴァンが余計に怒ることを知っているからだ。
「連れて来いと言われているんだから仕方ないだろう」
「聖女で王太子殿下の運命の相手が、あんな女だと? 暴れられたらどうするんだ!」
「大きい声を出すな。海上でもここはまだ帝国だ。水の精霊王は妖精姫を可愛がっていると有名だろう」
「信じられん。あんな生意気な女を気に入るなんて。精霊王や皇帝の前では可愛い女の振りでもしているのか?」
「俺に聞くな」
妖精姫が生意気だったのではなく、イヴァンの態度が悪かったんだろうとカザーレは心の中で呟いた。
あれだけの容姿と頭の良さ。度胸もあって愛嬌もある。
味方だとしたら非常に頼もしい女性だ。
ただし敵にしたら……。
化け物並みの魔力のおかげで精霊王に好かれたのか、精霊王に好かれたせいで化け物並みの魔力になったのかは知らないが、妖精姫はすでに人間じゃない。
シュタルクを救ってもらう予定なのに、本気で怒らせたら彼女に滅ぼされてしまう。
「妖精姫の精霊獣は凶暴だと聞く。あの女の性格を考えたらそれも当然だ。船内で暴れられたら船が沈むぞ」
「そっとしておくしかないだろう。俺達はシュタルクに連れて来いと命じられているだけだ。そこから先は、あんた達の責任だ」
「……大神官が港まで迎えに来るとおっしゃっていたと聞いて、なぜそこまでしてやる必要があるのかと思っていたが、あの女が危険だったからか」
大神官が来ても、妖精姫に対して何か出来るとは思えないとカザーレ達は思ったが、何も言わずに曖昧に頷いた。
「今のシュタルクを救うには、あのくらいの力がないと駄目なんだろう」
自分に言い聞かせるように言ったが、本当にそうなのか? 疑問が浮かびそうになるのを懸命に抑える。
もう彼女に頼る以外に、シュタルクを救う道はないのだ。
「カーラと言ったか、あの女の方は大丈夫なんだろうな。クスリは?」
「本人は船酔いだと思っているようだが、クスリが体に合わないんだろう。吐いてしまった」
「魔道具は無駄にするし、クスリは駄目だし!」
怒鳴ろうとして不意に黙り、イヴァンは声を潜めた。
「まさか、妖精姫に気付かれているんじゃ」
「…………だったらなぜ船に乗ったんだ?」
その先がわかっているのにわかりたくなくて黙っていると、
「ニコデムスを滅ぼすために?」
ディアの精霊の話に興味を示していた男がぼそりと呟いてしまった。
「ま、まさか……」
もしそうだったとしたら、自分達はシュタルクを滅ぼす元凶を招き入れることになる。
だが今更もうどうしようもない。
「彼女達にはあの部屋の中でずっと居心地よく穏やかに過ごしてもらおう。イヴァン会いに行くなよ。おまえは妖精姫に嫌われたぞ」
「会いになんて行くもんか。あの目を見たか。あれは少女の目じゃない。それより妖精姫とカーラを引き離すことは出来ないのか? カーラを人質にすれば……」
「船ごと沈められる」
「…………くそ。もう俺は知らん。何も知らん」
妖精姫に会わせろと勝手に乗り込んで来たくせに、喧嘩を売って、今までの苦労を無駄にするところだったというのに、イヴァンは悪いのはカザーレだと言いたげな態度で不機嫌そうに部屋を出て行った。
「カザーレ、どうするんだ?」
残ったふたりは妖精姫の優しい面も見ているせいか、イヴァンほどには恐怖を感じていないようだ。
「おまえ達もあまり彼女には近付くなよ」
ペンデルスにニコデムス教徒がもういないという話が本当なのだとしたら……。
カーラに出来るだけ好かれて庇ってもらい、自分だけでも逃げ延びるしかない。
「ペンデルスの話は他言無用だ」
ふたりに念を押したが、彼らは金になるからついてきた平民だ。
ニコデムスになんの思い入れもないために、カザーレが何を気にしているのかわからないようだった。
それよりも妖精姫が威張り散らすイヴァンを相手にしなかった事と、平民にも態度を変えず精霊の育て方を教えてくれた事で好意を持っているようで、むしろそちらに危険を感じていた。