名演技を披露するわよ 3
カザーレが到着したと聞いて、私達は急いで隣の部屋に移動した。
部屋に足を踏み入れる時、やっぱり気になって隣の部屋に面している壁を見たら、そこに壁がなかった。
「う……うわー」
みんながコンコンコンコン壁を叩いていた理由がわかった。
隣の部屋についさっきまでいたんだから、しっかり壁があるのはわかっているのに、こちらの部屋側からはまったく見えないのよ。
透明な板とかガラスとか、綺麗にしすぎると気付かないで激突する人がいるでしょ。あれが壁一面なの。
私は刑事モノのドラマで、取調室の様子を隣の部屋から見る場面を想像してたのよ。
隣の様子が見えるのは壁の一部でよかったのに。
「あ、壁はあるのね」
不安になって、思わず壁を撫でてしまった。
触ればちゃんと壁の感覚があるわ。
「カーラ様、こちらにお座りください。隣の部屋から見やすいですので」
「はい」
「傍におりますので大丈夫ですよ。あの男が何かしようとしたら、すぐにぶっ飛ばして差し上げます」
「ありがとう、ジェマ」
カーラを守るため、今回はジェマが侍女に扮して控えてくれている。
元軍人ですからね。
魔法一発でカザーレなんてやっつけられるわよ。
「ディア、座って」
今回の計画の主犯……もとい、中心になっているのは私ということで、隣の部屋に向いてずらりと並べられた椅子やソファーの中央の席が、私のために用意されていて、三人掛けのソファーの中心に私が腰を降ろすとすぐ、隣にクリスお兄様が座り反対側にエルダが座った。
アランお兄様はすぐに動けるようにしたいのか、出入り口の近くに立ったままだ。
「あれがカザーレか。ずいぶん年上なんだな」
頭上からジュードの声がした。
落ち着かないのか彼も立ったままで、私の背後で背凭れに手をついている。
年齢は二十代半ばかな。
そこはかとなく品を感じさせる、女性にモテそうな男だなというのがカザーレの第一印象だ。
ただしそれは、相手の女性が平民だった場合の話だ。
貴族社会にはカザーレのような男はごまんといる。
家を継げずに商売を始め、庶民に溶け込もうとして平民の服を着るようになった次男坊や三男坊。
教育を受けているおかげで商売はそこそこ出来ても、才能のある商人にはかなわず、だからといって悪事に手を染めるには育ちがよすぎる。
家の援助を受けて経験を積んで、どうにか独り立ちしていく者達の多くがああいうタイプだ。
だからカーラを口説くのに半年近くも時間をかけてしまったんだろう。
根っからの悪党なら、逃がさないように初対面の時にクスリを飲ませているでしょ。
「カーラ、もう体は大丈夫なのか?」
「ええ。わざわざ来てもらってごめんなさい」
「何を言ってるんだ。そのくらい当たり前だろう」
部屋に入るなり足早に近付いて来るカザーレを、カーラは椅子から立ち上がって出迎えた。
淡い水色のドレスにショールを羽織り、薄く化粧をしたカーラは清楚でいて年齢より大人びて見える。
カザーレは彼女の手を取り、ソファーに並んで腰を降ろした。
「昨日はすまなかった。きみのことが心配で、それにどうしても話したいことがあって、しつこくしてしまった」
「私の方こそごめんなさい。精霊の様子がおかしくて動揺していたの。とても失礼な態度を取ってしまって……もう会わないと言われると思って……」
「そんなことあるわけないだろう」
なんというか、劇場の最前列に座っている気分。
演じているのが知り合いだから、心配でそわそわしちゃって落ち着かない。
ソファーに並んで座ってふたりで手を取り合っているから、距離がかなり近くて、カーラはまっすぐ相手を見たくないのか俯きがちになっている。
一方カザーレの方はカーラを口説かないといけないから、真剣な顔つきでじっと見つめているのがここからだと真正面に見えるのよ。
さっきから背中がぞわぞわするわ。
「あの時はどうしても話さなくてはいけないことがあって、時間がなくて、それで無理を言ってしまったんだ」
「話したいこと?」
「……急にベジャイアに帰らなくてはいけなくなったんだよ」
「そう……なのね。今度はどのくらいの日程なの? 次はいつ帝国に?」
「それが、おそらく最低でも一年は帝国には来られないんだ」
「え?」
眉尻を下げて目を大きく見開いて、悲しそうな、それでいて少々焦りの見えるカーラの表情は演技じゃないな。
ここでカザーレに逃げられたら、今までの苦労が水の泡だもん。
「ベジャイアは今、国の再建が軌道に乗って再開発があちらこちらで行われているんだ。今が商売のチャンスなんだよ。共同経営者として本国に帰り商売を広げる手伝いをしないといけないんだ。それに家族からも国に帰るように何年も前から言われていて、そろそろ無視出来なくなっているんだ」
「そ……うなのね。じゃあ、こちらの店は他の方が?」
「顔ぶれが半分くらいは入れ替わる。経験を積むために新しいメンバーがやってくるんだ。カーラ、前にも少し話したことがあるんだが、ベジャイアに来る気はないか?」
「……え?」
キタキタキタ!
行け! カーラ!
「年が離れているし、きみは侯爵家の御令嬢で帝国の高位貴族に友人のたくさんいる女性だ。それに比べて……」
「私はもう平民よ」
「でも、きみなら高位貴族に嫁げるだろう? 俺はベジャイアの片田舎の貧乏貴族の三男坊だ。釣り合わないとさんざん迷っていたんだけど、何も言わずに帰国したらずっと後悔する。それできみにどうしても、一緒にベジャイアに来てほしくて」
カザーレはカーラの手を握ったまま立ち上がり、彼女の前に跪いた。
「カーラ、きみが好きなんだ。ずっと傍にいてほしいんだ。結婚してほしい」
「まあ」
即答で了解するのかと思っていたのに、カーラはここで答えていいかわからなくなったのか、ちらっと私達がいる部屋の方に視線を向けた。
じっとカーラを見上げていたカザーレもその動きに気付き、訝しげにこちらに視線を向ける。
気付かないはずだとわかっていても、目が合っているような気がして落ち着かないわ。
「私……そんな風に思ってもらえているなんて、全然気づかなくて……」
まずいと思ったのか、今度はちらっと反対側にカーラが視線を向けると、そこに控えていたジェマが一歩前に歩み出た。
「カーラ様、今少し考える時間をいただいてはいかがでしょう」
「ジェマ」
「ハミルトン様と御相談した方がよろしいのでは?」
「待ってくれ。カーラの意思が最優先だろう。きみはどうしたいんだ? 今までさんざん周りに振り回されてきたんだ。きみはきみの生きたいように生きていいはずだ」
言っていることは一見素晴らしい。拍手を送りたいぐらいよ。
ただし、私のようにひねくれた性格の女には通じないわ。
あとで、その自分勝手な言い分を全部潰してやるから待っていなさい。
「私は……」
「昨日もこの話がしたかったんだ。もう国に帰るまであまり時間がないんだよ」
カーラは俯いたままカザーレの手をぎゅっと握りしめた。
「一緒にベジャイアに行きたい」
「カーラ様」
「私の存在は、周りの人にとって迷惑になっているわ。放置は出来ないけど、下手に手助けも出来ない。このままここにいたら私は……」
「姉上!」
話を聞きながらタイミングを狙っていたんだから当然だけど、ドラマのようなタイミングでハミルトンが部屋に飛び込んできた。
「昨日の男が来ているって……そいつか!」
「ハミルトン!」
ずかずかと近付くハミルトンからカザーレを庇ってカーラが立ち上がり、そのカーラを庇ってジェマが立ちはだかった。
「落ち着いてください。まずはお話を」
「……くそっ。話なんてしている場合じゃないんだ。ベリサリオから使いが来ているんだ。姉上に会いたいそうだよ」
「ベリサリオ」
カザーレが小さい声で呟き、だらりと体の脇に垂らしていた手を握り締めた。
「わかったわ」
「昨日の件なら、俺も会う」
「当然だ。フェアリーカフェに迷惑をかけたのはあんたなんだからな」
ハミルトンって、演技うまくない?
本当に怒っているように見えるわよ。
……あ、本気で怒っているのね。そりゃそうよね。
「エセル、入ってくれ」
ようやくここでエセルが登場よ。
ベリサリオの侍女の制服をきっちり着こなし、髪は後ろで一つにまとめて黒縁の眼鏡をかけている。
すたすたと部屋に入り、ハミルトンの隣に立ったエセルは、ぴたっと両の踵をつけて背筋を伸ばして立ち、顎をあげて尊大な雰囲気でカザーレを見つめた。
「カーラ様、御無沙汰しております。お加減が悪いとお聞きしましたが……顔色は特に問題ないようですわね」
さすがに騎士をやっているだけあって姿勢がいい。
抑揚のない平坦な話し方のせいか、仕事は出来るけど冷たいベテランの侍女に見えるわ。
こんなところに名女優がいたわよ。
「ええ。私は問題ないの。でも精霊達の元気がなくて、ディアに相談したいと思っていたのよ」
すでに壊してあるけど魔道具をつけているから、カーラの精霊達は輝きがいつもより弱く見えるように琥珀がしてくれた。
私がいる時だけは普段の状況に戻るそうよ。
「それはちょうどよござんした」
え?
今、なんて?
「昨日のフェアリーカフェでの一件をディアドラ様はたいそう心配しておいでです。ぜひ、カーラ様に会ってお話をお聞きしたいとおっしゃっています。私と一緒に、ベリサリオのタウンハウスまでお越しいただきたいのですが……」
エセルはちらっとカザーレに視線を向け、眉をくいっとあげた。
「お客様がいらしたようですね」
「あの……」
カザーレがカーラとジェマの横からエセルに近付いた。
「昨日、カーラと一緒にフェアリーカフェにいたのは私です。事情を説明するのでしたら、私も一緒に行くべきだと思います」
「そうですか、あなたが」
眼鏡をくいっとあげながらカザーレを足元まで眺め、カーラに視線を向け、ハミルトンに視線を向け、最後にちらっとジェマに視線を向けてからエセルは頷いた。
「いいでしょう。それぞれの立場の証言を聞くことは必要です。あなたも、ハミルトン様も一緒に来てください。表に精霊車を停めてありますので、そのままの服で結構ですよ。帰りも精霊車でお送りします。あまりディアドラ様をお待たせしないように速やかに移動してください」
「……はい」
エセルってば有能だわ。断らせる気はないぞという気迫が素晴らしい。
カザーレが神妙な顔で頷いているもん。
ベリサリオこわって思っているかな。
それか、いけ好かない大貴族だって思ったかもね。
でもまだこれからが本番よ。
「さて、第二幕の舞台はベリサリオのタウンハウスよ」
隣の部屋にいた全員が玄関に向かったのを確認して、私達は立ち上がった。