閑話 カーラとカザーレ 前編
曇った窓を手で擦り雪に覆われた街を眺めて、カーラはため息をついて壁に寄りかかった。
雪が積もっていても、今は精霊車があるので以前よりは出かけやすくなっているが、この季節に外を歩く者はまずいない。
比較的冬でも過ごしやすい領地で過ごしてきたカーラにとって、学園に行かず、冬の間ずっと雪の積もった皇都で生活するのは初めてのことだ。
高位貴族の友人しかいないカーラは出かける予定もなく、毎日屋敷に閉じ籠って過ごしていた。
「姉上」
廊下から弟のハミルトンの声が聞こえてきた。
「ここよ」
「あ、ここにいたんだ。姉上、僕は出かけてくるよ」
厚手のコートを腕にかけ、ハミルトンが部屋に入ってきた。
最近成長期のようでカーラの身長を追い抜いてしまった弟は、幼少の頃から皇都で生活していたため、雪に覆われた街での生活に慣れている。
うるさい母親への反抗心があったのか、反対されても平民とも親しくしていたため、貴族の子供のほとんどが学園に通っている時期でも遊ぶ相手には困らないようだ。
「いってらっしゃい」
ふたりがいる部屋は家族用の居間に当たる部屋だ。
子供がふたりで使うには広く椅子の数が多すぎて、暖炉のおかげで暖まっているはずなのにどこか寒々とした雰囲気がする。
「明日のお茶会には参加するの?」
「やめとくわ。叔母様方にいろいろ言われるのはうんざりだもの」
「女の人の集まりのことは僕はよくわからないけど、本当に心配してくれている人もたくさんいるよ」
「……そうね。わかっているわ。でも今はそっとしておいてほしいの」
「ああ、僕もそれは同じかな」
善意からくる言葉でも、気持ちに余裕がない時は負担になることもある。
無理を続けて相手に嫌な感情を持ってしまうよりは、少しの間距離を置くほうがいいとカーラは考えていた。
「失礼します。お嬢様、カザーレ様の使いの者が来ています」
部屋に入ってきたのはパットという四十代前半の男で、両親がこの屋敷から去った後も残ってくれた人のひとりだ。
「ハミルトン様もいらっしゃったのですか。お邪魔してしまいましたか」
「大丈夫よ。使いの人はなんて?」
「予定が空いているのなら出掛けないかというお誘いのようです。一時間ほどしたら迎えに来るからと」
「どこに行くのか聞いて、そこで待ち合わせましょうと伝えて」
「そう言ったんですが……」
誘いがくるたびにカーラは自分の精霊車で現地に行くと言っているのに、それでも毎回カザーレは迎えに来たいと言う。
パットは使いに来る男をあまりよく思っていないようで、口には出さないが心配そうだ。
「じゃあ行くのはやめると伝えて」
「はい」
「姉上」
立ち去ろうとしてハミルトンの声音に足を止めたパットに、カーラは行っていいからと身振りで示した。
「年が明けるまで出かける予定が全くないんですもの。誘ってもらえるのはありがたいわ」
カーラは一礼して立ち去る彼を見送り、眉を寄せて不満を隠さない弟に笑みを漏らしながら話しかけた。
「ひとりで出かける気じゃないよね」
「ちゃんとジョアンナを連れて行くわよ。そんな心配しないで。自分の精霊車で行くんだから大丈夫よ」
「相手はかなり年上なんだろう。そろそろ噂になるかもしれない。ノーランドに知られてもいいの?」
「ハミルトン」
弟に歩み寄り、カーラは軽く腕を掴んだ。
「お願い。まだ言わないで。必要な時は私から話すから」
「……言わないよ」
「ありがとう。これでもちゃんと考えているのよ」
「言わないけど心配にはなるよ。僕達はもう、ふたりきりの家族なんだから」
「わかってる。心配してくれてありがとう」
「お礼なんて言ってほしくない」
ハミルトンはむっとした顔で早口に言い、カーラを残して部屋を出て行った。
前回ディアと話した後、ハミルトンと何時間も話し合ったおかげで、ふたりの距離はずっと近くなりわだかまりはほとんどなくなったのだが、カーラが姉らしく接しようとすると、自分が頼りにされていないと思うのか、ハミルトンは今のように素っ気ない態度になってしまう。
「難しい年頃なのかしら」
友達と無邪気に遊んでいてもいい年齢だ。
学園も二年目になって、旧友との関係も築けて楽しい毎日を過ごせるはずだったのだ。
それも全て両親のせいだと思うと、なんともやりきれない思いになるカーラだった。
カザーレと待ち合わせたのは郊外にある有名なレストランだ。
アーロンの滝から流れ込んだ水が流れ着く大きな湖の湖畔にあり、氷った湖で遊ぶ人々の姿が窓から見える。
「ここまでは距離もあるし、一緒に来れば道中もいろいろと話が出来るのに。どうしても僕が迎えに行くのは駄目なんだね」
初めて店で買物をしてから十日後に連絡があり、フライがベジャイア貴族に大人気だったと聞いた。
精霊を育て始めた貴族が急激に増え、使いこなせれば大変便利で、精霊と触れ合うきっかけにもなるフライを欲しいと思っていた層が増えていたのだ。
戴冠式の際、警備の者や若い貴族が颯爽とフライを乗りこなす姿が印象的で、ベジャイアに帰国した貴族達が購入して帰ったり話題にしたのも人気の理由のようだ。
フライを紹介したということと、ディアから教えてもらった提案型の商品展示の反響の良さで、カザーレは定期的にカーラに会って話を聞くようになった。
相談料としてかなり高額な金額をもらうことになったので、カーラも店に顔を出して客の様子を実際に観察したり、次に流行りそうなものを探すようになった。
そうして会う回数が重なれば、徐々に親しくなり話し方も砕けてくる。
特に最近は、カザーレが積極的になったようにカーラは感じていた。
「貴族の令嬢はよほど親しくならなければ、男性の馬車には乗らないわ。私はもう平民だけど、ノーランド辺境伯の姪でもあるのよ」
「信頼されていないってことか」
「どうかしら」
毎回食事をご馳走になっている間でさえ、時折会話が途切れることがあるのに、往復まで一緒にいて話をするほど話題があるとカザーレは思っているのだろうか。
それに簡単に距離を縮めて、軽く扱える子だとも思われたくなかった。
「でもこれは、あなた方のためにもなるのよ」
「……どういうことかな」
「私は未来の皇妃の従妹でディアの……妖精姫の幼馴染なの」
「そうなんだってね」
カザーレはフォークを置き、テーブルの上で手を組んで話を聞く体勢になった。
どんな時も穏やかな表情を崩さず、カーラには優しい。
「だから、ふたりを目当てに私に近寄ってくる人がたくさんいるわ」
「……なるほど」
「それでノーランドは屋敷の周りに警備を配置しているのよ」
「え? 今も?」
「ええ。昼夜問わず目立たないように警備されているので、精霊車や馬車が屋敷に来た場合、全てチェックされるわよ」
「それは本当に警備なのか? きみ達を監視しているんじゃないか?」
「それもあるかも。少し前に父の元愛人のせいで、嘘の噂を流されたことがあるの。私に変な噂が流れたら、未来の皇妃の評判にまで影響が出るかもしれないでしょう?」
モニカの従妹でありディアの幼馴染だというのは、大きな強みであると同時に言動に大きな制限が加わることでもある。
クリスのように妹の足を引っ張るような行動は許さないと明言する人もいれば、さりげなく釘を刺してくる人もいる。
誰もカーラという個人には興味がなく、モニカやディアを優先させる。
ヨハネス家が爵位を失ってからは特にそうだ。
「そんなことがあったのか……」
「貴族社会で生きていくのも大変なのよ」
「皇妃の従妹というのは知っていたけど、妖精姫の幼馴染だったんだね」
「ジルドに聞かなかったの?」
「あいつは知っていたのか」
目を見開いて驚くカザーレの様子を、カーラは注意深く見つめた。
商人は演技もうまい。損得勘定なしに十三歳の子供の相手はしないだろう。
自分より八歳も上の彼が、なぜこうも自分に関わろうとするのか見極めなくてはならない。
「妖精姫は本当に皇妃にはならないんだな」
「そんなことをまだ気にする帝国民はいないんじゃない? ディアはずっと昔から皇族とは結婚しないとはっきり言っていたし、陛下も同意していたわ」
「どうしてだい? 彼女が皇妃の方が」
「カザーレ、そのような話題をあまりしない方がいいんじゃないかしら」
「ああ……いや、そうだね。彼女にはもう婚約者がいるんだった。ルフタネンの彼はどんな人なんだ?」
「どんなと言われても話したことがあまりないのでわからないわ。帝国にいる時はディアの横にずっとついているので、近寄りづらい雰囲気だから。きっとディアがとても好きなのね。……でもあんなにべったり傍にいられたら、ディアは何も出来なくなっちゃうんじゃないかしら」
「へえ……」
窓の外に目を遣り、カザーレはなにやら考え込んでいるようだ。
まだ皿の料理が残っているのに、全く食べようとしていない。
「妖精姫が気になる?」
「え? それは当然だよ。彼女のおかげでベジャイアは復興が進んで精霊が増えているんだ」
「ディアは本当にすごい子なの。なんでも出来るし優しいし」
「一度会ってみたいもんだよ。話は変わるけど、僕は明後日に帝国を発って国に帰るんだ。帰ってくるのは年が明けてからになる」
「まあ、そうなの。じゃあまた当分会えないのね」
「何も予定がないなら一緒にベジャイアに行かないか?」
「まさか。私はまだ十三歳の子供よ。保護者の許可が出るわけがないわ」
「……そうだったね。きみは大人びているから歳を忘れてしまうよ」
カザーレと会う時間が楽しいかと言われると、正直そうでもない。
年齢が離れているために共通の話題が少ないうえに、カザーレの連れてくる御者や仕事仲間だという者達は、どこかこわい雰囲気がするからだ。
何日も航海をしなければいけない商人はそんなものなのかもしれない。そう思おうとしても、彼らのきつい目付きが気になる。
「さびしくなるわ」
それでも全く予定のないこの季節に、こうして連れ出してくれるのはありがたかった。
ひとりで広い部屋にぽつんと座っているとみじめな気分になってくる。
成人するまでは知識や礼儀作法を身に付ける時間だ。成人してからが勝負だと思っても、十三歳の少女に孤独な時間は耐え難いものがあった。