ホルブルック子爵
翌日からはニコデムスの妨害もなく、五日間にわたる戴冠式の日程は無事に終了した。
後半はただの外交期間だったんだけどね。
各国の王族や首脳陣がこんなに集まる機会は当分なさそうだから、どの国もこの機会を有効活用しようと予定を組んでいたのよ。
私も外交のためのお茶会や食事会に出来るだけ出席して、精霊について話をした。
ニコデムス教徒が毒を持っていた件については、一部の貴族の中で食事会を中止するべきだったのではないかという意見が出たけれど、諸外国の首脳陣はむしろよく未然に防いでくれた、精霊の存在のありがたさを再認識出来たと好意的な声が多かった。
どこも他人事じゃないからね。
ルフタネンやベジャイアには帝国以上にニコデムス教徒が潜伏しているだろうし、リルバーンやデュシャンには亡命者が流れ込んでいる。
世界中のどこでいつ同じような事件が起こるかわからないので、帝国を責めるより、精霊と協力し今回の件を未然に塞いだ警備体制を参考にする方が重要なのさ。
そうして全ての日程が完了し、諸外国の人達がそれぞれの国に帰り、祭りの余韻を残しつつも普段の生活が戻ると、特に中央部ではこの事件の余波が静かに、でも確実に人々の間に広がっていった。
そりゃこわいよね。
犯人達は皇宮で働いていたんだし、実家と縁を切った者ばかりとはいっても貴族の子息達だ。
顔見知りだったり、昔の同級生だったり、皇宮ですれ違っていた人達が食事会で毒を盛ろうとしたんだよ。
もしかしてまだ自分の近くにニコデムスがいるのかもしれないって、疑心暗鬼になるよ。
皇宮で働いているかもしれない。
いや、自分の屋敷で雇っている者の中にいるかもしれない。
彼らも自分に毒を盛ろうとするかもしれない。
じんわりとしみこむ恐怖だ。
どこに行けば安全なのかわからない恐怖。
彼らが集っていた酒場はもぬけの殻で、店主も建物の持ち主も行方不明だった。
フランセルを誘った外国人が誰なのかはいまだにわからず、ルガード伯爵家の家令も姿をくらました。
ニコデムスにとっては失っても痛くも痒くもない者達だけで、しっかりと帝国人に恐怖を植え付けられたなら、彼らにとって計画は成功だったのかもしれない。
あんなお粗末な計画で、あっさり捕まったとしても、新しい皇帝の治世に確実に影を落とす事件になってしまった。
でもさすがに皇帝もブレインも、そのままにはしておかなかった。
精霊達は犯人が毒を持っているだけでも察知することが出来て、犯人共は犯罪を起こす間もなく全員捕らえられたんだってことを発表すると同時に、今回一番活躍したアランお兄様を、まだデビュタント前だというのに子爵にしちゃったの。
精霊の森のすぐ東側に領地ももらったので、その地名を取って、ホルブルック子爵アラン・グラントリー・フォン・ベリサリオ爆誕よ。
「ディアの屋敷からすぐなのかと思ってたわ。精霊の森を横切るわけにはいかないからぐるりと回るのね」
「そうなんだ。精霊の森に近すぎて開発が進んでいない地域なんで、皇都のすぐ近くなのに自然がそのまま残っているらしい」
精霊車のゆったりとした窓際の座席で、仲睦まじく隣に座って話しているのは未来のホルブルック子爵夫妻よ。
今日はアランお兄様がパティと新しい領地を見学しに行くのというので、私もついて行くことにしたのだ。
邪魔だろうって?
わかっているわよ。
でも領地には精霊の森に不審者が入らないように警備したり、森の外側部分の整備を仕事にしていた人達も住んでいるの。
彼らは森が開拓される時に反対して、バントック派を怒らせて迫害されていた時期があって、皇宮首脳陣としても彼らが一番納得する領主は誰だろうと悩んでいたらしい。
そういう土地ならば、ここで顔を出しておくのが兄孝行よ。
「領地もあり世襲も出来る子爵位に抜擢か。帝国版英雄の誕生か?」
そして私の隣にはラフな服装をしたカミルが座っている。
最近、週のうち二日間くらいは帝国にいるのよ。
今回の毒殺未遂事件は、私を攫うために起こされたんじゃないかってルフタネンで大問題になっていて、国王や貴族達、なにより北島の人達が、妖精姫を無事にルフタネンに嫁がせるのがカミルが最優先しなくてはいけない仕事だって言い出しているんだそうだ。
公爵が直接しなくてはいけない仕事がある時以外は、私にくっついて護衛していろって言われてるらしい。
「せっかくだから、じゃあディアにくっついていようかなって」
爽やかな笑顔で言ったカミルに呆れたのは私だけ。
うちの家族は娘専用の信頼出来る護衛が増えて大喜びよ。
なにしろずっと一緒にいても変な噂は立たないからね。婚約者だもんね。
クリスお兄様とお父様の顔は引き攣っていたけど、ニコデムス対策にはカミルの手も借りるらしいわ。
「そこまでの話じゃない。精霊獣と協力した警護の仕方をアピールするのに、僕がこういう成果を上げたという説明が出来るのは便利なんだろう」
アランお兄様の精霊獣って普段でも私の拳くらいの大きさなのよ。
それがもっと小さくなれるなんて知らなかったわ。
精霊に隠密行動させて犯人を追わせて、自分は少し距離を置いて尾行して、彼らの集合場所や脱出ルートを割り出して、全員捕まえたっていうんだから我が兄ながらあっぱれよ。
兵士の間で今、犬系や猫系じゃなくて、アランお兄様みたいに小さな精霊獣が欲しいって人が増えているんだって。
ちゃんと対話して相棒として接してくれるんなら、どんな姿の精霊獣にしようが、警備に活用しようがいいわよ。
でも道具扱いは駄目。
あとこれが重要なんだろうけど、思っていたのと違うとか指示を聞かないからこいつはいらないなんて、精霊を捨てたり迫害するのは許さないからね。
精霊の横の繋がりを舐めるなよ。魔法を教え合えるってことは意思疎通出来るんだからな。
そういうことがあったら迷わず精霊王か皇族、それかベリサリオの精霊獣に言いつけろって精霊達に広めているって皇帝からもお触れを出してもらったわよ。
こういう時は皇帝けっこう便利よ。
「それでも貴族達の不安は拭えないだろう。西島では精霊のいない者は雇わない貴族がいるぞ」
「ああ、それは帝国も同じだ。精霊のいない者を差別しないように精霊王にも注意されているので、それを理由に解雇はするなと陛下が注意しているんだが」
「弱腰だと言われかねないな」
「それは平気だ。精霊を育てるのは教義に反しないとかディアは聖女だとか最近になって言い出したり、少女を誘拐しようとしたり、平気で人を殺そうとするニコデムス教は、ただの犯罪者集団だ。そのニコデムスをいつまでも国教にして保護しているシュタルクは、これ以上存在すると迷惑だから消えてもらうって陛下が明言したんだ」
「してないからっ!」
なんだその説明は。
皇帝がそんな話をしたら、即戦争が起こるわ。
「でも言ってることは大差ないよ。柔らかい言い回しにしただけだ」
「ベジャイアがディアの手下になったから、侵攻しやすいな」
「手下じゃないです!」
「アランとカミルの会話って簡潔でわかりやすいけど誤解を招くわね」
そんなニコニコと穏やかに言っていないで注意してよパティさん。
なんで私が突っ込み役になっているのよ。
「でも貴族達がなにも文句を言わなくなったのはディアのせいだよ」
「また何かやらかしたのか?」
「今回の犯人達が聖女に会わせてくれたら、何でも話すって言いだしたものだから」
「ディア? まさか会いに行ったのか?!」
迫って来ないでほしい。
窓側に座っているからこれ以上後ろに下がれないのよ。
「カミル、近い」
「そんなこと言っている場合じゃないだろう」
「結果的に会ってよかったんだよ。聖女ならわかってくれると妙な誤解を抱いていた彼らの、希望と憧れと妄想を打ち砕いたんだから」
「…………なにをやらかした?」
「なにもやらかしてないわよ」
これが兄と婚約者の会話ってひどくない?
私がとんでもないやつみたいじゃない。
「帝国に住んでいて、給料もかなりもらっていて、それで休みの日には酒場で酒を飲んでおいしい料理を食べて楽しく仲間と生活していたわけじゃない? 精霊と共存している人達がいるおかげで豊かな生活を出来たくせに、精霊王は人間を騙していると信じているなんて脳みそ沸いているのかってお話したの」
私は柔らかい言い回しとかオブラートに包んだ言い方とかしなかったわよ。
あの食事会には私の家族や知り合いもたくさんいたんだから許せないじゃない。
「ニコデムスを国教にしているシュタルクでは作物が育たなくて、仕方なく精霊を育て始めているじゃない。人間が特別な存在で精霊王や精霊なんて必要ないって言うんなら、帝国でぬくぬくと生活していないでシュタルクに行って、食料がなくて死にそうになっている人達を助けたらどう?」
って言ったら、さすがにここまで言われると相手もむかつくみたいで、
「シュタルクで作物が育たないのは精霊王のせいだ!」
って喚くから、つい熱くなっちゃったのよね。
「じゃあなんで精霊を育てた途端に畑に作物が育ったのよ。問題は空気中の魔力量だって帝国にいるなら聞いたことあるでしょ。精霊王は人間には干渉しないの。だからシュタルクが精霊を育て始めても妨害しないの。あんた達は仲間とつるんで自分達だけが世の中の真実を知っているって言いたいだけの殺人者よ」
聖女って言われるとぞっとするし、運命の相手はシュタルク王太子のアルデルトだと言われるのもマジで嫌だ。
「えー、あの薄気味悪い人? 初対面で再会出来るのを楽しみにしていたって言われた時には殴りたくなったわよ。いい? 私は人に押し付けられた運命なんて真っ平なの。自分の運命は自分で決めるの。そこにシュタルクの王太子はお呼びでないの」
優しくて守ってあげたい聖女が、腰に手を当てて扇をひらひらさせて、ツンと顎をあげて彼らを見下したように睨みつけたんだから、彼らからしたら何が起こっているんだ? って感じだったかもしれない。
「私が聖女だと言うなら、私がこの手でニコデムス教の息の根を止めてやるって、ディアが言い切った時の犯人の顔を見せてあげたかった。怒りとか落胆とかじゃないんだよ。衝撃が強すぎて真っ白になっていた」
私が利用されて妖精姫に祭り上げられているといまだに思っていたなら、おまえら仲間以外からの情報もちゃんと集めろよと言いたいわよ。
信じられるのは仲間だけだって思って、洗脳されているのはおまえ達だっつーの。
だから使い捨てにされたのよ。
「仲間が酒場を捨ててすでに逃げてしまっていることを聞いて、ディアの本性に真っ白になって、今では素直に質問に答えているそうだよ」
「カミル、そんなに笑うような話ではないと思うの」
最初はにやにやしながら聞いていただけだったんだけど、アルデルトを薄気味悪い人だと言ったあたりでぶふって吹き出して、そこから肩を震わせて笑って、最後には大笑いしていたのよ。
「その場にいた警備兵や苦労して情報を聞き出していた者達は、やつらの自分勝手な言い分に不満が溜まっていたんだよ。そこにディアが颯爽と現れて彼らの幻想を打ち砕いてくれたもんだから、すかっとしたんだろうな。それを仲間に話して、仲間から他のやつに伝わって」
妖精姫が今回は本気で怒っているらしい。ニコデムスを潰すと言っている。
皇帝はシュタルクの存在を放置出来ないと言っていた。
今回、辺境伯家の兵士が皇宮の警備にあたっていたのも、対シュタルク戦に備えての協力体制の準備かもしれない。
「皇帝とブレインと妖精姫がシュタルクとニコデムスをぶっ潰すために動き出した」
いつの間にかそんな話題が帝国中に広まったのよ。
だったらそれほど不安に思わなくてもいいんじゃないか。
じゃあまかせておこうって流れになったのよ。
シュタルクもニコデムスもこれで終わりだなって空気は、皇帝への信頼なのか、私が何かしでかすということへの信頼なのか。
辺境伯達への信頼かな?
「私ってたぶん、幸運振り切っているんだと思うわ。こんな結果になるなんて思わなくてその場のノリで……」
勢いで話しちゃ駄目だと反省したばかりだったのを忘れていた。
いかん。勢いがつくと止まるのって大変なのよね。
「その場にいたやつらだけじゃなくて、帝国の貴族達も、俺も、ニコデムスのやり方とディアを聖女扱いするのにうんざりしていたんだよ。だからディアがはっきり宣言したと聞いていい気分だ」
婚約者を聖女に祭り上げられて、他の男を運命の相手だなんて言われたら、そりゃあいい気はしないわよね。
カミルが実は一番、ストレスを抱え込んでいたのかもしれないわ。
「でも重要なことがあるわ」
「なんだ?」
「私の本性が、とうとうみんなにばれてきた」
「……むしろ今までバレていなかった方が不思議だと思うんだが」
もう見た目の印象は当てにならないって、さすがにばれたわ。
妖精姫だけは敵に回すな。
ルフタネンとベジャイアの王族が、皇帝と同じように妖精姫に接しているって噂になっちゃったしね。
あれ? ばらしたの彼らじゃない?