閑話 最悪なモーガンの一日
本日二話更新しています。
こちらを読む前に「長い戴冠式の一日 6」をお読みください。
モーガン・ゴレッジがニコデムス教徒になったのは、両親が教徒だったからだ。
男爵家の次男に生まれ、屋敷の中にはいつでもどこでもニコデムス教の教えが当たり前に存在していたため、何も疑問を覚えずに教徒になっていた。
それが十年ほど前のある日、突然事情が変わった。
皇宮で毒殺事件が起こり、貴族が何人も亡くなった事件の犯人がニコデムス教徒だというのだ。
すぐにニコデムス教禁止令が出たこともあり、市民の間では教徒狩りが起こり、貴族であってもニコデムス教徒は国外追放。領地が取り上げられることになった。
そんな大変な時期だというのにエーフェニア陛下が引退し、皇太子がブレインと呼ばれる高位貴族の手を借りて国政を行うという御触れが出た。
そのとき十六歳だったモーガンは、これは何かの陰謀だとすぐに察知した。
精霊王に騙されている人達の中でニコデムス教徒だけが、このままでは人間が滅んでしまうと気付いていて、そのせいで濡れ衣を着せられたのだと仲間の教徒も話していた。
だがなによりもモーガンをニコデムス教へと傾倒させたのは、両親の行動だった。
あっさりと改宗し、精霊を育てると言い出したのだ。
皇都で妖精姫を見かけ、人間の子供とは思えない美しさと凛とした姿に心を打たれ、間違っているのはニコデムスのほうだと気付いたというのだ。
信じられなかった。
毎日祈りを捧げていたのはなんだったんだ。
モーガンは国を捨て、シュタルクで生活する覚悟でいたというのに、両親は貴族の地位が大事なんだと思うと情けなくて、自分だけは信念を貫くんだと家を出て皇都で生活することに決めた。
幸いなことに知り合いの教徒の中にはモーガンと同じ考えの者も多く、残った者達の結束はより強固になった。
平民として貴族の家の雇人になり皇都で五年ほど過ごし、教徒達の隠れ家の酒場で情報を集め、皇宮に仕事を見つけた。
他にも仲間が二十人近く皇宮に紛れ込んでいる。
全て、ニコデムス教を禁止した皇太子を倒すためだ。
「モーガン」
決行の日は戴冠式の日だ。
そのために準備をしてきたというのに。
「あの女が捕まった」
最悪の報告を聞くことになった。
仲間に呼ばれて向かった倉庫には、教徒が何人か集まっていた。
中でもパットとレイフは共に皇都に上京してきた友人でもある。
「だからあの女はやめろと言っただろ。何をやらかしたんだ」
「式典の会場に押しかけ、聖女様に突撃した」
「何をどうすればそうなるんだ」
食事会までは控室に潜んでいる手はずだったはずだ。
「魔道具がどういうものか気付いたのかもしれない」
「そんな頭があの女にあるもんか」
パットは仲間の連絡係だ。
彼が知っている以上の情報は、まだ出回っていないのだろう。
数人ごとに固まって話し込んでいる仲間達の顔には、焦りが滲んでいた。
「彼女は貴族に返り咲こうとしていたんだろう? 聖女様なら助けてくれると思ったのかもしれない」
「妖精姫が聖女だというのも怪しい話だ」
「モーガン、そんなことを大きな声で言うな。考えてもみろ。本当に帝国のためだけに動いているなら、なぜあの方は皇妃にならないんだ」
妖精姫が聖女だと考える者達は、必ずその疑問を口にする。
そして、妖精姫が帝国を出て行きたくて他国の者と婚約した、あるいはニコデムスの聖女を皇妃にするわけにいかず、皇太子は妖精姫以外と婚約したという答えを導き出し、妖精姫は聖女だというのだ。
「でも精霊王は聖女を手放すわけにはいかず、精霊王を後ろ盾に持つルフタネンの公爵と婚約させたんだ。アルデルト様という運命の相手がいらっしゃるのに」
「都合よく解釈しすぎだろう。聖女は当てにしない方がいい。レイフもそう思うだろう?」
「そうだね。でも、彼女の行動力をニコデムスのために使ってくれたら、情勢は一変するんじゃないかな」
子爵家でおっとりと育てられたレイフは、今でも品がよく、貴婦人方の評判がいい。
穏やかな笑みで言われると、気が削がれてしまう。
「どうやら食事会の方は決行されるようだ」
他の者達の話を聞いてきたパットの言葉に、モーガンは驚いて立ち上がった。
「危険すぎるだろう。女がばらしているに決まっている」
「いや、城内はなんの動きもなく静かなんだ。戴冠式は変更なく予定通りに進んでいる。あの女だって、ニコデムスと協力したなんて話はしないだろう」
「そりゃあニコデムスの手伝いをしたなんてことになれば処刑されるからな」
平民が皇宮に忍び込み、高位貴族のみが許された区画にはいり、妖精姫の行く手に立ち塞がった時点で処刑になるとは彼らは考えなかった。地下牢に何年も入れられる程度だと考えていたのだ。
平和な田舎の領地で生活していた地方貴族の子息は、平民との距離が近いために、罪の重さの基準がずれていたのかもしれない。
「こんな機会はそうはない。外国からの客も死ねば帝国の評判は地に落ちる」
「ああ、戴冠式の日に十年前の惨劇が再び繰り返されれば、皇帝も自分の愚かさを痛感するだろうさ」
周囲から聞こえてくる声は、このまま計画を決行しようとする意気込みに満ちたものばかりだ。
今更、中止にしようとは言い出せない雰囲気だった。
「モーガン、やるしかないよ。もうシュタルクの国内の状況がかなりまずいんだろう? 僕の家族はシュタルクに亡命したんだ。ここで帝国の力を弱めないと」
「……レイフ」
長男だけを連れて亡命した家族の心配をする友人に少し苛立ち、それ以上に自分達にはもうこの道しか残されていないんだという思いが強まった。
このまま何もしなければ、ずっとニコデムス教徒だということを隠して、毎日怯えて生きていかなくてはいけなくなる。
帝国にはどんどん精霊が増え、今でも仲間の数が徐々に減っているのだ。
「そういえば、あの女を連れてきたのは誰なんだ?」
「酒場に来たシュタルク人だと聞いた。戴冠式を潰すために協力し合っているんだそうだ」
「そうか」
逃亡の手助けもしてくれるという話は以前もパットから聞いていたが、姿を見たことも、名前を聞いたこともないことに今まで気付いていなかった。
ニコデムス教徒だというだけで、相手が誰でも仲間だと思ってしまうのは注意しなくてはいけないなと思いつつ、モーガンは自分の持ち場に向かった。
食事会の会場はとんでもなく広いホールだった。
テーブルを片付ければ舞踏会を開ける広さだ。
高価な食べ物と酒が並び、着飾った人達がすでに席について談笑している。
服もアクセサリーも煌びやかなので、照明を反射して部屋全体が輝いているようだ。
「あの、毒味の係の方は」
モーガンの問いに、年配の給仕の男が怪訝な顔で足を止めた。
「は?」
「いつもは別の場所で働いているもので、手順がわからずすみません」
白いシャツに黒の上下の制服姿の男達と紺色の侍女の制服を着た女達が、忙しげにモーガンの横を通り過ぎ、彼らが足を止めていることに迷惑そうな視線を向けてくる。
壁際に寄って邪魔にならないようにしていると、男が納得した顔で頷いた。
「ああ、人手が足りなくて駆り出されたんだね。それで知らないのか。もう我が国では毒味なんてしていないよ」
「え?」
「精霊がいるから必要ないんだ」
「そ……そうなんですか」
驚く演技は必要なかった。
顔が引き攣っているんじゃないかと思うほどに驚いたからだ。
必要がないというのはどういうことなんだろう。
ポケットに入っているこの毒は、全く役に立たないということだろうか。
「皆様、本日は大人数のため精霊獣を顕現させないようにお願いします。我が国では毒味制度は廃止されております。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、精霊は食べ物に毒が入っているかどうか、安全であるかどうかを察知し、毒が入っている場合は速やかに浄化魔法を使用します」
皇帝が入場するのを待つ間、場を持たせるために話をしたり音楽を流していた司会の係が、食事に関しての説明を始めた。
「精霊のいらっしゃらない方のテーブルには、慣れている帝国民の精霊がお邪魔してチェックを行いますので、温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに、我が国最高の料理をお楽しみください。もちろんご心配な方は毒見をなさってくださって一向にかまいません。安心して料理を楽しめるよう、それぞれの納得のいく方法で……」
精霊が毒を感知する。そんな話は初めて聞いた。
焦って周りを見回したら、同じように驚いた仲間達が挙動不審になっている。
最初の乾杯や料理には毒は入れないことになっているから、誰もまだ動いていないうちに知られてよかった。まだ精霊は客の頭上でくるくると動き回っているだけだ。
だが毒を発見したら?
入れた者まで感知するんだろうか。
「精霊同士は交流で魔法を教え合うそうです。毒の察知や浄化の魔法を是非とも精霊が覚えられるよう、精霊は自由にさせてくださって結構です。まだ精霊のいらっしゃらない人も、これを機会に精霊に慣れていただけると、手に入れやすくなるようですよ」
司会の男の声がここまではっきりと聞こえるのも、彼の肩の上にいる精霊の魔法なのかもしれない。
そのとき不意に、部屋の隅で光が炸裂した。
何かと思って注目すると、パットの周囲に精霊が集まり、彼に光を浴びせかけていた。
「まさか」
毒を発見して浄化魔法をかけているのか?
あんなにたくさんで?
モーガンは思わずポケットの中の毒の入った瓶を掴んだ。
「どうやら彼は手に怪我をしていたそうです。精霊は人間の役に立つのが大好きなので、主人が怪我をしたらすぐに回復しようと魔法を使うんです。きみ、お客様が眩しい。廊下に移動しなさい」
「はい。申し訳ありません」
帝国の人間は光が炸裂することに慣れている。
いつもと微妙に光の色が違うようだが、それで騒ぐ者はいなかった。
外国の客の中には驚いている者もいたようだが、司会の説明に笑顔になっていた。
「自己判断で魔法を使うのか」
モーガンもこの場にいては危険かもしれない。
さりげなく廊下に出る途中で、目配せし合い、パットのいるであろう廊下に向かう警備兵を見かけた。
警備兵だけじゃない。
向こうにいる男の着ているのは近衛隊の制服で、今モーガンの目の前を走り抜けていった兵士の制服はベリサリオ軍のものだ。
いつもより警備が厳重なのは覚悟していたが、精霊を連れた兵士を全国から集めて警備に当てるとは聞いていなかった。
ノーランドやコルケットの兵士もいるとしたら、皇宮に今どれだけの精霊が集まっているのだろう。
「モーガン」
「レイフ、無事か」
「あれでは無理だ。急いで倉庫に集合だ。計画は中止だそうだ」
「集合しないで逃げた方が……」
気が動転しているのか、レイフはモーガンの話を聞かずに走っていってしまった。
おっとりと育てられた貴族の子息には、犯行自体に無理があったのだろう。
「気のせい……か?」
レイフの髪が、妙な方向に揺れている気がしたのだが、走り去ってしまったのでよくは見えなかった。
この場にのんびりとはしていられないのでモーガンも歩き出したが、彼はレイフの後を追わず、ここから一番近い控室のひとつに向かった。その部屋の窓から逃走するほうが捕まる危険は少ないはずだ。
倉庫に集合なんてしたら、ひとりでも尾行されたら全員が捕まってしまう。
「ん?」
ぴちょんと背後で水滴が落ちる音が聞こえた気がした。
だが振り返っても床は濡れていないし、誰もいない。
気のせいかと歩き出すと、またぴちょん、ぴちょんと水滴が落ちる音がする。
「な、なんだ?」
周囲を見回したが異常はない。
ただ遠くの廊下を走る足音が聞こえるだけだ。
給仕の係が何人も抜けたのだから、厨房は大混乱になっているだろう。
「やばい」
先程の光が回復魔法ではなく浄化魔法だと気付いている者もいるはずだ。
そうしたら、何人も給仕が消えた意味だってすぐにわかる。
平然と歩いた方が怪しまれないと思っても、焦りで足は早くなり、ついには走り出していた。
「うわ」
「あぶな」
横の廊下から出てきた男とぶつかりそうになり慌てて立ち止まった。
だいぶ焦っているのか、相手はモーガンを無視して立ち去ろうとしたので、がしっとその腕を掴んだ。
「パット」
「え? ああ、モーガン。やばいやばい」
「落ち着け。出口ならこっちだ」
「無理だ。変な音がついてくる。カランカランと壁や床に何かがぶつかる音がするんだ」
今度は何かがぶつかる音だという。
カランという音なら軽い物なんだろう。
「もう無理だ。呪われたんだ。魔物がついてくるんだ。精霊かもしれない」
「精霊!」
カランという音や水音をさせるくせに姿の見えない精霊なんて聞いたことがないが、モーガンは精霊については何も知らない。
だが精霊なら急がなくては。
「逃げよう。こっちだ」
「あ……ああ」
「逃げる? どこに?」
モーガンの進もうとした道を塞ぐように、長身の青年が立ち塞がった。
近衛騎士団の制服を纏った赤茶色の髪の青年だ。
「毒を持っているのか?」
ぴちょん。
彼の問いに答えるように水音が廊下に響き渡り、次の瞬間、モーガンとパットを光が包んだ。
「わかったから浄化はするなよ。なんの毒か調べたいんだ」
まだ幼さの残る顔をした青年だ。
成人しているかしていないか、微妙なところだろう。
それなのにモーガンには、彼を倒して逃げるという考えが思い浮かばなかった。
落ち着き払い、楽しそうな表情さえ浮かべている青年に、とても勝てる気がしなかったのだ。
「音がする。カラカラって、音が」
「落ち着けパット。そんな音は……」
その時青年の背後に、化け物が姿を現した。
天井に頭が付きそうな大男で、全身赤色をした巨人が、モーガンを見てにんまりと目を細めて微笑んだ。
「ひ……」
ばたりとパットが倒れる音が聞こえたが、確認する余裕などない。
モーガンはその場に腰を抜かした。
「終わった」
これで全部無駄になった。
音もなく近付いて来る赤い巨人を前に、なすすべもなくモーガンも意識を手放した。
「ひどいな。なんでみんな僕の精霊獣を怖がるんだろう。優秀なのにな」
青年……アランは目の前で気絶した男達を、むっとした顔で見下ろした。
赤い巨人は拳大ほどの炎に姿を変え、アランの声に応えるように上下に揺れた。