長い戴冠式の一日 2
床に下ろす時には気を使ってくれたので、ドレスと髪を整えてから皇太子の方を見たら、同じように髪を整えて襟を正していた。
情けない姿を見られて気まずい雰囲気になっているのは私達だけで、精霊王達はいつもどおり、親戚のような雰囲気で座っている。
『とうとう戴冠式ね』
『初めて会った時にはこんなに小さかったのにな』
琥珀と蘇芳がしみじみと話しているけど、蘇芳が手で示した身長は低すぎよ。
初めて会ったのは私が四歳の時だから、皇太子はもう九歳だったのよ。
待って。九歳か。
マジか。子供じゃないの。それなのにあんな堂々としていたのか。
今思うとすごいな。
「「「…………」」」
私と皇太子は並んで立っていて、精霊王達は思い思いの場所に腰を降ろして、雑談が終わって間が空いて、ふと気付いたら沈黙したままみんなが私を見ていた。
あ、進行役がいないのか。
私か? 私の仕事なのか?
「えーー、本日はお日柄もよく」
こういう時は何をどう言えばいいの?
何も用意してこなかった。
「この良き日に、めでたく皇太子殿下が戴冠式を迎えられる運びとなりました。これもひとえに皆様の……」
『ディア……ディア』
囁き声で翡翠に名前を呼ばれ、口を閉じて視線を向けた。
『いつもどおりでいいわよ。あなた達しかいないんだから』
『そうそう。何を言ってるのかわからなくなっているぞ』
蘇芳なんてにやにやしてる。
「普段通り……。では皇太子殿下の挨拶と今後の抱負なんかを話してもらいましょう」
「もうぶん投げるのか」
だってよく考えたら、私は皇太子と精霊王を対面させたら仕事終わりでしょ。
あとは王冠の運び係よ。
「殿下のための集会ですから」
「集会って言うな」
みんなに報告する時には、皇帝だけが知るべき儀式なので詳しくは話せないのよって言おう。
適当にやりましたとは言えない……なんて思っていたら、皇太子がさっとその場に跪いた。
やばい。
この跪きの勢力範囲から外れよう。
私にまで跪いたことになってはいけない。
「初めて精霊王様方にお会いした時から、十年近くの月日が経ちました。あの頃は多くの国民が、精霊王様は物語の中だけの存在だと考え、精霊王様に会えるルフタネンは精霊の国と呼ばれておりました。それが今では、こうして精霊王にお目通りする機会も増え、帝国は精霊に関しては最先端の国となっております。それも全て、ここにいる妖精姫と精霊王様方のおかげです。いくら感謝の言葉を並べても……」
『はいはい。もういいからやめてちょうだい』
言葉を遮り立ち上がった琥珀が、皇太子の前にしゃがんで目線を合わせ、肩にそっと手を置いた。
『もう跪かないでいいって言ったでしょ? ここには私達しかいないんだから、まったりお茶でもして帰るだけでよかったのに』
「そういうわけにはいきません。せっかくの機会ですし、きちんとした形でお礼を言いたいと思っていました」
『お礼なら、私の方が言いたいのよ。あなたの言う通り、あの頃精霊は、勝手についてきて魔法の補助をする便利な存在くらいしか思われていなかったでしょ。魔力をきちんと分けている人も少なかった』
「はい」
『それが今は、どこの街に行っても精霊獣と一緒にいる人を見かけられるのよ。子供達が精霊獣と普通に遊んでいるの。私達の方がお礼を言いたいわ』
私は気付いたらもう精霊が傍にいたし、ベリサリオ城では精霊を連れている人の方が多かったから、そんなものだと思っていたのよね。
お爺様が精霊の力に注目して、軍でもそれ以外でも魔力がある人は精霊と契約するように推奨していたって、あとから知ったのよ。
そんなのベリサリオと、精霊大好きオジサンのパウエル公爵の関係者だけだったんだって。
ウィキくんに、今更感心しているってどういうことだよって怒られそうだけどさ、すごくない? うちのお爺様とパウエル公爵は。
時代を先取りしていたというか、物事の本質を見極めていたというか。
「しかし、人間と精霊がより良い関係を築いていける世界を目指すことを誓って、祝福を受けないといけません」
『より良い関係って、どういう関係だと思う?』
翡翠まで皇太子の横にしゃがみこんじゃったよ。
「今はまだ豊作になる等、見返りを求めて精霊を育てる者がほとんどですが、魔力のある者は精霊を育てるものだと、誰もが当たり前のことと考えるような世界にしていきたいと思います」
『そうね。他国も精霊との関係を改善しつつあるから、作物の輸出が減るし、このままだと需要を供給が上回ってしまうわね』
「はい。ですから、中央は農業以外の産業に力を注ごうと思っています」
琥珀はモニカや皇太子と会う機会が多いから、今日の戴冠式をとても楽しみにしていた。
今日は歴史に残る一日だ。
後世には、どんなふうに伝わるんだろう。
『私は、魔力を持たない人が差別されないようにしてほしいわ』
「翡翠?」
おお、精霊王の口から、そんな意見が出るとは意外だった。
『貴族の中にだって魔力の少ない人はいるでしょう? 頭がいい。剣が強い。魔力が多い。全部同じような扱いで、得意分野のひとつでしかないと思ってほしいの。精霊を全属性育てる必要なんてないし、精霊獣に育てなくてもいいのよ。対話して魔力を分けてくれれば、それで精霊は喜ぶの』
四人の中では、実は翡翠が一番の常識派だ。
他の精霊王に注意している姿をよく見るし、バランスをとっている人だ。
「肝に銘じます。私も精霊獣は三属性だけですし」
『あ、それは……』
「は?」
『今日、祝福を受ければ魔力が多くなるから、風の精霊も育ててよ』
とうとう皇太子も全属性精霊持ちか。
火の剣精はまだ精霊獣になっていないけど、ちゃんと魔力を増やす努力をしてきたんだろうな。
新しい皇帝は優秀な上に努力の人か。
働きすぎなのが問題ね。
『おまえが思っているよりも我らは人間が好きで、おまえを気に入っているんだ』
『おうよ。おまえ、小さい頃から頑張っていたからな。ディアは別枠だと思って気にするな。今後も俺達は、今と変わらない関係を続ける気でいるぞ』
瑠璃と蘇芳の声も皇太子を見るまなざしも優しい。
「あり……がとうございます」
俯いていて顔は見えないけど、声がこもっていたようだからもしかして涙ぐんでいるかもしれないと思って、皇太子に背を向けて空を見上げた。
見ちゃ悪いような気がするじゃない?
今日はいい天気よ。空が青いよ。
『さあ、あっちに座ってお話ししましょう。まだ時間に余裕はあるんでしょう?』
「はい。歩いて来る予定でしたので」
おっと、王冠を出さなくちゃいけないんだったわ。
みんなが席に着くのを待って、私だけテーブルの横に立ったままで、まずは小さな座布団のような物をバングルから取り出す。テーブルに直に王冠を置いたらいけないんだってさ。
そしてよっこらせっと取り出しましたのは、魔石と宝石がまばゆく輝く王冠よ。
けっこう重いんだよ、これが。
こんなの長時間被っていたら、首がおかしくなるよ。
『この王冠って、いつも被っているのか?』
日の光を浴びて、宝石や魔石がきらきらと煌めいちゃってそれはそれは絢爛豪華なのに、瑠璃ってばノーリアクションですよ。
「いえ。祝い事や公式行事、他国からの賓客を招く時など、正式な正装の時だけ被ります。略式正装の時には、もう少し小さな王冠があります」
『ではこれに祝福をしても意味がない』
「え?!」
また変更が出ちゃうじゃない。
前に話した時にそういうことも言ってよ。
「瑠璃、祝福はしてくれるのよね」
『正確に言うと祝福ではなく守護だ。この地を守り精霊との共存を誓ってくれた者を、少しだけ守るくらいならば人間に干渉したうちには入らないからな』
「そういえば病気になりにくくなるって言われたよね」
おかげで私は、生まれてから今日まで風邪すら引いたことがない。
毎日元気いっぱいよ。
『身に着けているのなら王冠でもいいのよ。でも守護をするなら本人にしてしまう方がいいでしょう? いずれ皇帝の座を譲る時には、新しい皇帝にもここに来てもらって、その子を祝福をするかどうかはその時に決めるわ。王冠に祝福して、それを無条件で次の代に継承するのは駄目よ』
なるほど。
次の皇帝がどんな奴かわからないから、琥珀の意見はもっともだわ。
それに格好よくない?
精霊王に認められた皇帝しか守護は受けられなくて、代々それを継承していくために、精霊王に会う儀式をするの。
オタク魂にくるものがあるわよ。
「ねえねえ、精霊王の守護を受けた皇帝だってわかったほうがよくない?」
『そう?』
「……ディア、また何か思いついたのか」
なんで皇太子に嫌な顔をされるのかよくわからないなあ。
「守護を受けた皇帝は紋様があらわれるとかどう? カッコいい!!」
はい、みんな引かないで。
目に見えて印がある方が、敵に回ろうってやつが減るでしょう。
守護を受けていますよって口で言うより、目に見えてわかった方が効果があるのよ。
『目に見えた方が効果があるか。なるほど一理あるな』
「でしょう。蘇芳はいつも話が早くて助かるわ。だとしたら手の甲とか見えるところにある方がいいよね。背中や鎖骨の下も定番なんだけどなあ。文様は皇族の紋章にする? それともアゼリアの精霊王の紋章がある?」
「決定事項になったのか?」
皇太子が驚いた様子で言うので、私は笑顔で振り返った。
「大丈夫よ。きっと痛くないから」
「きっとってなんだ。確実じゃないことを適当に言うな」
「手の甲に紋様が出るのよ。皇帝の証よ」
「違う。精霊王の守護を受けた証だろう。ディア、ただ見てみたいだけじゃないだろうな」
うっ。皇太子め、鋭いな。
「確かにちょっと趣味に走ってしまったかもしれないけども、でも皇帝ともなると普通の人とは違う方がいいでしょう? 精霊王に守護された印を持つ者って説得力があるわよ」
「おまえは守護を受けているのに印はないが?」
『あら、そんなことをしたらディアは印だらけになってしまうわ。この間、アーロンの滝に他国の精霊王も集まったでしょ。あの場の全員がディアに祝福しているんだもの』
「…………は?」
この間っていうあたり、精霊王と私達とでは時間の感覚が違うね。
って、問題はそこじゃないわ。
いったい何人の精霊王に祝福されているんだろう。
これって大丈夫? 副作用があったりしない?
「それは人間と呼んでいいのですか?」
『ちょっと長生きなくらいだ。三百年くらい』
「はーーーーーー!?」
思わず叫んだ。
瑠璃はあっさりと言ってくれちゃっているけど、そんな重要なことを今初めて聞いたんだよ。
おかしいでしょ。
「ああ、それでディアは他の子より小さいのか」
……小さくないし。
皇太子がデカすぎるだけだし。
でもそうだったのか。それで私は他の子より成長がゆっくりなのか。
『そんなことないわよ。跡継ぎが出来ないと困るでしょう? 年齢は二十前後からゆっくりになるんじゃない?』
「あー、いや、そんなには小さくなかった」
琥珀の返事に慌ててももう遅い。
期待しちゃったじゃないか。どうしてくれんの?
「皇太子殿下」
「ベリサリオはほっそりしているから、普通だ普通」
「小さいって身長の話じゃなかったんですか?」
『え? 胸の話?』
「翡翠、何か言った?」
『う……ううん。気のせい』
成長についてはいいとして、よくないけどいいとして、三百年て何よ。
確かに前世で早死にしたから、今回は長生きしたいと思ったよ?
でもいくらなんでも長生きすぎるでしょう。
「私だけ三百年? 待って。何世代よ。知り合いが……」
『カミルもよ』
「え?」
『あの子もルフタネンの精霊王に後ろ盾になってもらうために、いろんな国を訪れたでしょ? その時に祝福されているはずよ』
「琥珀先生、そういう話はもっと早くですねえ」
カミルは知っているの?
とんでもない状況に巻き込んでしまった。
『俺も祝福した』
『私もー』
ちょっと蘇芳と翡翠は一回ずつ殴っていいと思う。
瑠璃は、なんで遠くを見ているのかな?
「どういうことか詳しく説明してもらいたいわ」
『今はその話をするべき時ではない。それよりもおまえは、アンディの紋様を考えたらどうだ?』
「考える?」
真剣な表情で重々しく言われたから、つい答えてしまった。
『このようなことは今回が初めてなのだから、新しい紋様を考えればいいだろう。今後はそれが代々受け継がれる』
「私が考えていいの?」
『得意だろう?』
おおお、素敵!
前世のヒロイックファンタジー風ゲームの装備や街にあったようなデザインを、パクってアレンジしよう。
この世界では、著作権は関係ないもんねー。
「真面目に考えてくれよ」
「当たり前でしょう」
私はいつも真面目ですよ。