長い戴冠式の一日 1
戴冠式の日の妖精姫の朝は早い。
まだ夜が明けないうちに起こされ、湯浴みから始まってお手入れのフルコース。
風呂でうとうとしておぼれそうになったわよ。
朝から晩までスケジュールが詰まっていて、食事は着替えながら軽食を摘むだけ。
今日一日の過密スケジュールを考えると、あまり食べない方が胃に優しい気がするからいいんだけどね。チョコでエネルギーを補給出来るように持ち歩くことにしたわ。
本日最初の予定は、精霊の森の奥に皇太子と一緒に行って、精霊王と面会することよ。
歴代の皇帝がこなしてきた戴冠式にはなかった儀式が増えるということで、運営スタッフもブレインもだいぶ心配しているみたいだ。
「どうなるかと思いましたけど、不思議な感じがしていいかもしれませんね」
「丈は大丈夫ですか? リボンはきつくありませんか?」
妖精姫らしい儀式用の礼服なんて誰もわからないでしょ?
つまり何を着てもかまわないってことよ。
魔法が使えるファンタジーの世界にいるんだから、ゲームキャラが着るようなローブっぽいものを一度は着てみたいと思っていたのよ。
内側に着ている淡いブルーのドレスは、今は膨らませないでそのままで、上から魔道士キャラが着るような、襟が高くて青と紫と白でまとめた上着を羽織った。
皇太子とモニカが赤と金色を使ったペアルックにするはずだから、色が被らないようにしないとね。
「ヒールがいいかケアルがいいか迷うところね」
意味なく杖をベルトに挟んで、気分は大魔道士よ。
かたっ苦しい戴冠式の間、お人形のようにじっとして微笑んでいないといけないんだから、このくらいは楽しませてよ。
準備万端出来上がり、お父様と一緒に皇太子と待ち合わせている場所に向かった。
空は晴れ渡っていて、森の緑が鮮やかに見える。
戴冠式なんて大舞台に遭遇して、重要な役割をする機会なんて二度とないかもしれないから、気合を入れて精霊車を降りたのに、皇太子はいつも通りの普段皇宮で着ている服装で待っていた。
「なんで?!」
「開口一番なんなんだ」
「今日は重要な日じゃないですか。なんで普段着なんですか」
それよりも皇太子を待たせたことを謝るべきではと途中で気付いたけど、約束の時間よりちゃんと早く到着しているんだもん。それ以上早く来ている皇太子が悪いわよ。
「これが普段着って、どれだけ贅沢しているんだ」
「そうじゃなくて、もっとこう皇帝! って服装があるんじゃないんですか?」
私が文句を言う様子を、他の人達は微笑ましそうに見ている。
なにしろこの場には、お父様とブレイン代表のクリスお兄様、皇太子の側近、そしてパオロと近衛騎士が三人だけしかいない。
皇太子の警護をする近衛の人達はいつも決まっているから、すっかり顔見知りなのよ。
あれ?
「モニカ様は?」
「まだ正式な婚約者ではないし、こんな早朝では女性は準備が大変だろう」
「は? 私も女性ですけど?」
「おまえは参加しないわけにはいかないだろう」
そういえばお母様も、まだ準備している途中だからと屋敷で見送ってくれただけだ。
ここにいるのは私以外全員男ばかりよ。
「その服こそなんなんだ? ドレスでもないし」
「素敵でしょう」
「……そうだな。なあ、クリス」
「ディアは何を着ても可愛いです」
「本当におまえはぶれないな」
クリスお兄様とにっこりと笑い合って、パオロの後ろに控えているアランお兄様にも笑顔で小さく手を振った。
私と皇太子が精霊王と会っている間ここで待っているだけだから、年配のブレインの人達や女性が不参加なのは仕方ないか。
「では行こうか」
「はい」
「王冠は持ってきているんだろうな」
「ここに入れっぱなしだから大丈夫ですよ」
バングルを笑顔で見せたら、皇太子は口をへの字に曲げて何か言いたげな顔になった。
国宝クラスの王冠だってわかっているから、ちゃんと大事に扱っているわよ。
袋に入れて持つわけにいかないし、クッションのはいった箱に入れたら重くて持っていられないんだから不満そうな顔をしないで。
精霊の森の中央には真冬でも花が咲いている草原があって、そこが琥珀の住居へ繋がっているらしい。
いつも精霊王が屋敷に迎えに来てくれちゃうから、私も行くのは初めてだ。
森の奥は精霊車が通れるような広い道はないし、精霊王の許可を得た人以外は入れないので、皇太子と私とふたりだけで十分くらい徒歩で行くことになっている。
でもそのほうが、皇帝になるための儀式っぽいよね。
「ようやくここまで来たな」
歩き始めてしばらくして、皇太子が話し始めたから隣を見たけど、身長差のせいで胸しか見えない。
ぐっと上を向いて顔を見上げたら、ひとりごとだったのか皇太子は前を向いていていたので、私も転ばないように進行方向に顔を向けた。
「ひとつの区切りでもあるし、おまえにちゃんと礼を言っておこうと思っていたんだが」
今度はひとりごとじゃないわね。
「おまえが嫁に行く時でいいような気がしてきた」
やめて。
余計なことを言って、フラグをたてようとしないで。
「私は私の生きたいように生きてきたので、殿下に礼を言われる覚えがありません」
「そうかもしれないが……いや、そうだな。おまえはおまえらしくしていた方が見ていて楽しい」
「そういうことをよく言われるんですけど、私の何が楽しいんでしょうか」
「今日だってまた、新しい服装をしてきたじゃないか」
「これね、優れモノなんですよ。パニエで膨らませられるし、ウエストで丈を調節出来るんです。見てください。このリボンを」
「見せるな。上着をまくるな。自分が妖精姫だということを忘れるな」
「そんな飛びのいて逃げなくたって」
朝からもう疲れた顔をしているけど大丈夫?
思いっきりため息をつかれているんですが。
「黙って微笑んでいれば絶世の美少女なんだがな」
「喋ったって顔は変わりません。あと十年したら傾国の美姫になっているかもしれないですよ」
「おまえの場合、腕力で傾国しそうだよな」
「ですから、腕力は他の御令嬢と変わらないんです」
「魔法で強化出来るだろう」
「そんなことをするくらいなら、魔法ぶっぱした方が手っ取り早いじゃないですか」
つか、他の令嬢だって魔法が使えるんだから条件は同じでしょう。
私ばかりをゴリラ扱いするのはやめてもらえないかな。
因みに、この世界にゴリラはいないとウィキくんには書いてあった。
「やめろ。相手をひとり倒すために魔法を使うのは禁止だ。あたり一面が焦土と化したらどうする」
「おかしい。私のイメージがおかしすぎる」
いつ私がそんな無茶苦茶なことをしたの。
この男の頭の中で、私はどんな人間になっているんだ。
いや、そもそも人間の括りに入れられているのか?
『その会話はいつまで続くの? 楽しいから聞いていてもいいけど』
前方上空に光の球が出現して、見る見るうちに大きくなって、見えないソファーに寛いでいるいつものポーズで琥珀が現れた。
「迎えに来てくれたの?」
『十分も歩く必要ないでしょ?』
背後を振り返ってみたら、もう見送りの人達は見えなくなっていた。
これなら迎えに来てもらったってばれないね。
「でもみんなには歩いたことにしておいて。そのほうが儀式っぽいというか、いや、何があったかは秘密にした方が謎めいていていいかもしれないわね」
こういうのも演出が大事よね。
皇帝しか知らないことがあるって、特別感がでるでしょ。
『そのあたりはまかせるわ。それとも本当に歩く?』
「皇太子殿下は歩くかもしれませんけど」
「時間は有効に使おう」
普段運動不足なんじゃないの?
椅子にずっと座った生活は駄目だって、私は身をもって立証しているんだから運動はしたほうがいいよ。
『どんな所か聞かれてもいいように、いちおう森の中心には行きましょう』
「ありがとうございます」
「森の中心だけ木がなくて草原なんでしょう? おへそみたいね」
「……行きましょうか」
スルーしないでよ。
琥珀も笑ってないで、何か言ってくれてもいいじゃない。
皇太子の私の扱いが雑過ぎる件。
クリスお兄様に言いつけてやるからね。
「うわあ」
おへそって言ってごめんなさい。
琥珀が一瞬で連れていってくれたのは、私達が歩いていた道が森を抜けて草原にぶつかる場所だった。
草原というより、正確には花畑だ。
青い花が一面に咲き乱れていて、ところどころ白い花が混じっているのが絨毯の模様のよう。
細い道は草原の中央まで続いていて、そこに小さな建物が建っていた。
「あそこが入り口?」
『そうよ』
アプリコット色の建物は六角形になっていて、道の突き当りに立っている。
階段を五段上がったところにある扉には、梟の形をしたノッカーがついていた。
「あるとやりたくなるのよね」
取っ手を掴んでコンコンと音をさせてから扉を開けるとそこは、何も置かれていないテラコッタの床の部屋になっていた。
「あの扉の先が琥珀の住居なの?」
「今回は相手が精霊王だからいいが、普段はもう少し慎重に行動しろよ」
慎重に行動って?
兵士が犯罪者を追い詰める時のように、扉を一気に開けて武器を構えるとか?
それとも少しだけ開けて、隙間から覗き込むとか?
どっちも怪しくない?
「精霊王達が待っているのに何を言っているんですか」
「だったら、そこでしゃがんで床を叩いてないで、さっさと扉を開けろ」
「本物なのかなって気になりません?」
「今重要なのはそこじゃない」
だって気にならない?
建物は手入れされて綺麗だけど、年季が入っているのよ。新築じゃないの。
てことは、森が人間に荒らされる前からこの場所に建っていたのかもしれないじゃない?
貴族の屋敷が建てられてたのは森の外側ばかりだから、中心部分は手つかずで、草原も建物も存在に気付かれなかったんだよ。
精霊王達はずっと、人間と精霊が共存できる世界を望んでいた。
いずれ今回みたいに、人間の代表がこの場所に訪れる時が来ても平気なように、ずっと前に用意してくれていたんだとしたら……。
今回こうして、皇太子を連れて来られてよかった。
「おはようございまーす!」
元気よく扉を開けたら、そこにも草原が広がっていた。
雲ひとつない空と、土がむき出しの道の両側に広がる緑の草原。左右は地平線が見えちゃってるよ。
前方はるか遠くに森が見えるけど、歩くと何時間かかるだろう。
『まっすぐ歩いて。あなたの魔法と同じで空間を開いて繋げているから、途中で以前来たことがある水路のあるテラスに出るわ』
「びっくりした。あの森まで行くのかと思った」
「イフリーに乗る気だっただろう」
「当然ですよ。歩いたら大変ですよ」
『いいコンビではあるんだな』
待ちくたびれたのか、瑠璃がきてくれてしまった。
座った状態で浮いている琥珀の隣に、腕を組んで立っている瑠璃が浮かんでいる。
琥珀は見えない椅子に座っているのか、ポーズをとっているだけなのか、今度聞いてみよう。
『めんどうだから、このまま連れていってしまおう』
『そのめんどうさが重要だってディアが言っていたのよ。手順を踏むのが儀式なんですって』
『人間は妙なことにこだわるな』
一瞬で私達の背後に移動して、瑠璃はひょいっと、私だけでなく皇太子の腰にまで手を回して抱え上げた。
もう十八になったでかい男が、片腕で抱えられるのは気の毒よ。
文句を言えなくて情けない顔になっている。
しかも次の瞬間には、翡翠と蘇芳が待っていたテラスに置かれたソファーセットの横に移動しちゃったから、抱えられている姿をみんなに見られちゃってる。
その人、今日からアゼリア帝国の皇帝なのよ。
荷物扱いはやめてあげようよ。
私?
同じく手荷物扱いだけど、いつもこんなもんさ。