カーラの受難 2
「カーラ、何があったのか話してもらえるかい?」
全員が椅子に腰を下ろすのを待って、クリスお兄様が話し始めた。
「相手の男がストーニー伯爵家の次男だということはわかっている。確かドルーという名前だったかな」
「クリスお兄様、もしかして全部調べがついているんじゃないですか?」
「そんなことはないよ。なにより、カーラの話を聞くというのは重要なことじゃないかな?」
「それはもちろんそうですけど」
「大丈夫よ、ディア。実際はとても馬鹿馬鹿しい話なの」
カーラは眉尻をへにょっと下げて苦笑いを浮かべて、隣に座っているジョアンナと頷きあってから話し始めた。
「短期間で礼儀作法やダンスの練習をするために、私には今、自由になる時間が少ないのは知っているでしょう? 講師の方に屋敷まで来てもらっているので、頻繁に遊び歩くなんて出来ないし、そんなことをしていたらすぐに祖父母に連絡がいくのよ」
「うんうん。だからさっきクリスお兄様の話を聞いて、馬鹿馬鹿しい噂だと思ったわ」
「でも先月の二十日だけ、ひさしぶりに街に出かけたの。フェアリー商会の新作のスイーツが出る日だったから、ジョアンナと買いに行ったのよ」
「待って。その日が噂の発端の日なの?!」
口元に運ぼうとしていたティーカップを乱暴に置いて、エルダは立ち上がりそうな勢いで身を乗り出した。
「え? ええ」
「うっわ、ひどい。実は一昨日、友人の家でお茶会を開いてもらってね。オーツ伯爵って覚えているでしょ? あなたの誕生日にアホなことを言い出したやつよ」
親しい人間がいる時だけだとは思うけど、エルダの言葉遣いがひどい。
まさかお茶会で、こんな話し方をしていないでしょうね。
「あいつの御令嬢を巻き込んでお茶会を開いて、カーラとドルーが一緒にいたところを見たと証言していた御令嬢方を招待してもらったの。ブリたんまで協力してくれたのよ」
「よく集まったな」
「それがね、御令嬢方も噂になっているのを知って慌てていたんですって。元ヨハネス領が噂のせいで大変なことになったばかりじゃない? しかもカーラはモニカやディアの友人よ。精霊王と一緒にベジャイアまで乗り込んで行くような妖精姫を怒らせたら、家ごと潰されてしまうって怖がっていて」
「何その風評被害。ベジャイアの人達は感謝しているのよ」
「ベジャイア貴族をずらりと並べて土下座させたらしいよ」
「クリスお兄様?」
にっこり笑顔で首を傾げつつ立ち上がったら、クリスお兄様はごめんごめんと笑いながら謝ったけど、そういうの本気にする人いるからね。
噂の出所が身内とか勘弁してよ?
「だから推理大会をして、誰がどうしてそんな噂を広めたか解明しようって誘ったら喜んで集まってくれたわ」
「おもしろい。さすがだな」
「おおー、クリスに褒められちゃった」
クリスお兄様の中で、エルダの株がどんどん上がっている。
おとなしくてつまらない子だなんて言われていたのが嘘みたい。
私ですら驚く行動力を発揮して我が道を突き進んでいくうちに、少々がさつになった気がするけど、ノーランドの人達には気に入られているようだから、何が幸いするかわからないわね。
「そうしたら、全員が目撃した日が一緒だったのがわかったの。先月の二十日。新作の劇の初日とフェアリー商会の新作発表の日と、人気のデザイナーの新しい店の開店日が重なって、日頃は出歩かない御令嬢達が大勢街に出ていたのよ」
「目撃されたのがその日だけなのは当り前なのよ。私はドルーと一回しか会っていないんですもの」
「え? 一回?」
「先程クリスお兄様は、侍女も連れずに頻繁に男と逢引きしていると噂になっていると言っていませんでした? 今の話がどうしてそんな話になるんですか?」
「僕が聞きたいよ。でもそれを噂に仕立て上げるとは、たいしたものだ」
感心している場合じゃないわ。
火のないところに煙は立たないって言うけど、無理矢理火を起こそうとした犯人が、両手に薪を持ってカーラに突撃したってことでしょ。
悪意がありすぎるじゃない。
「ドルーがあなたを助けたのが出会いなのよね?」
私が尋ねると、カーラは顎に手を当てて首を傾げた。
「助けたことになるのかしら。私には全属性の精霊獣がいるのよ。ジョアンナだって二属性の精霊獣を連れているの。危険が近付いたら顕現して守ってくれるわよ」
「あああ、私としたことが、つい話に出てくる王道の出会いだと思って鵜呑みにしていたわ」
「エルダ、ちょっと黙ってて。そのお菓子食べていいから。カーラ、続けてくれる? あ、お菓子もどうぞ。ジョアンナさんも」
クリスお兄様にほっこりした顔で微笑まれてしまったけど、深刻な話をするときほど、甘いお菓子を食べてほっとするのはいいと思うのよ。
「あの日は人が多くて、精霊の姿のままにして街を歩いていたの。でも歩いたのはほんのちょっとの距離よ。精霊車で出かけたんだから。そうしたら人混みの向こうで揉めている声がして、すぐに五人くらいの男が走り去って、ドルーだけが私のほうに歩いてきたのよ。知らない人だったから無視して歩き出そうとしたら慌てて駆け寄ってきて、危ないところでしたねって声をかけてきたの」
「何が危ないの?」
「彼らが私を襲う話をしていたから追い払ったって」
「……ないわー」
カーラの会話を聞いている私とクリスお兄様の表情は、たぶんそっくりだと思う。
もうね、馬鹿馬鹿しくて笑う気力も残っていないわよ。
本当に危険が迫っていたら、精霊獣が反応しないわけないでしょう。
だいたい男ひとりに追い払われる五人の男のどこが危険なのよ。
「その男、精霊獣はいるの?」
「精霊もいないわ」
それで精霊獣の知識がなかったのね。
全属性の精霊獣を連れている女の子と二属性の精霊を連れた女の子のコンビのほうが、どう考えてもドルーより強いってわかってなかったんだな。
「駆け去った五人の男達も精霊を連れていなかったはずよ」
「彼女に手を出すと精霊獣に殺されるよって言って、男達を追い払ったのかな」
「それは私じゃなくて、男達を助けたことにならない?」
それな。
全属性の精霊獣を連れているっていうことは、魔法が使える護衛を四人連れているようなものよ。
カーラは魔力が多い方だから範囲で攻撃だって出来ちゃうし、精霊獣は物理攻撃も出来るんだから、相手はカーラに近付くことも出来ないわよ。
カーラの精霊獣はね、九尾の狐の姿をしているのよ。
子供の頃にどんな精霊獣がいいか迷っていたカーラに、こんなのはどうって絵を描いてみせたら気に入ったの。かなり強そうに見えるんだから。
それに比べて、マメシバにしてしまったレックス、ごめん。
でも可愛いでしょ、マメシバ。
「だからね、いちおうお礼は言ったけど、まったく危なくないですよ、精霊獣がいるので。あなたのほうが五人も相手にしたら危ないので、無理しないでくださいねって話したのよ」
「あの、いいですか?」
「はい、ジョアンナさん。発言どうぞ」
突然エルダが真顔で言った。
推理大会という名目の集いだったのなら、お茶会の時にもエルダは、こうやって御令嬢に発言してもらっていたのかも。
書記もいたりして?
盛り上がりそうだわ。
「彼はカーラ様に馴れ馴れしくして、こんな可愛い子は女性だけで歩いていちゃ駄目だよって肩を抱こうとしたりして、精霊獣が警戒して顕現してしまって騒ぎになってしまったんです」
確かに馬鹿馬鹿しいわ。
むしろ迷惑をかけられたってことでしょう。
「でもドルーって確かに見た目はいいらしいのよ。騙されてしまう御令嬢が何人もいるくらいに。カーラはまったく相手にしなかったのね」
「エルダはドルーに会ったことはないのよね」
「ないわ。でも御令嬢方が見た目は素敵だって言ってたから」
「私の周りにいる男の子達より素敵だと思う? たとえば、ほら」
「……ああ」
ふたりしてクリスお兄様に視線を向けて、納得して頷きあっている。
高位貴族は特に奥さんを決める時に容姿も選べちゃうせいか、整った顔の人が多いのよね。
映画やテレビドラマと同じよ。
クラスの生徒が全員それなりに見た目のいい子ばかりだったり、友人が集まった時に全員が美男美女だったり。
そうなるともう麻痺してくるんだよね。
多少見た目がいいくらいでは驚かない。
「それに彼は、少しお父様に似ているの。だから顔を見るのも嫌で、その後もしつこくお手紙をいただいたけど、全部破り捨てちゃったわ」
「ドルーとしては、簡単にだませると思っていたんだろうな」
「でも予想外にカーラが相手にしてくれないせいで、無理に噂を広めなくてはいけなくなっちゃったのね」
エルダの言葉に私とカーラとジョアンナは、目を丸くして口を半開きで一瞬固まってしまった。
クリスお兄様は平然としていたから、そこまで全部わかっていたのね。
「誰から噂を聞いたかも調べたわよ。でも簡単すぎてすぐに答えが出てしまったわ。夜会の席で、ドルーが得意げにカーラと付き合っているって言いふらしていたそうよ」
「どうしてそんな」
最初からカーラの評判を落とすために近付いたってことか。
せっかく頑張っているカーラの邪魔をするなんて許せないわよ。
「クリスお兄様、ドルーがなぜこんな噂を広めたのかわかっているんですよね」
「そうだね。カーラの証言もあるし、その場に同行していた子もいる。エルダが集めてくれた証言も役に立つ。犯人とドルーはすぐに処罰出来るから話しておこうか。聞けば納得の犯人だよ。噂と言えば?」
「まさか……フランセル」
カーラは驚いた表情で答えて、
「正解」
クリスお兄様の返事を聞いて、両手で顔を覆って背凭れに沈み込んだ。
今では、真実の愛なんて噂はでたらめで、フランセルはイーデン子爵家とヨハネス侯爵家に災いをもたらした悪女だと言われている。
しかもヨハネス伯爵はフランセルと別れて、新しい愛人と平和に暮らしているんだ。
その復讐か。
「あまり賢くない女が犯人で助かった。彼女の家にたびたびドルーが通っているので間違いない」
「フランセルに惚れたドルーが、言いなりになってあほなことをしでかしたってこと?」
「エルダ、私が言うのもなんだけど、言葉遣い」
「ホント、ディアには言われたくないわ。それにアホすぎて話にならないと思わない?」
「そうかな。エルダが動いてくれなかったら、噂はもっと広まっていたかもしれないわよ?」
「ないない。妖精姫を怒らせる勇気のある人間は、帝国にはいないわよ。それに、クリスが全部知っていたってことは、皇太子殿下も知っているしブレインも知っているのよ。もうフランセルもドルーも詰んでるの」
エルダの言い方はちょっとあれだけど、内容は正しい。
こんなことをして無事でいられるわけがないのに、何をしているのさ。
それともフランセルは、ヨハネス領内でやったことが皇都で通用すると思っているの?
皇族や私まで巻き込んでも、また自分を悲劇のヒロインに出来ると思っているのかな。
「フランセルは実家ごと爵位も領地も取り上げられ、ドルーは皇宮の仕事をクビになリ、廃嫡される」
決定事項?
じゃあなんでクリスお兄様はカーラの話を聞いたの?
今の話は、カーラの処遇を決めるためだったの?
「こわ」
エルダが呟いた声に頷きそうになった。
クリスお兄様がこわいんじゃなくて、皇宮の動きの早さがこわい。
私やモニカに近い人間は、社交界で発言権が強まる代わりに、狙われる可能性も大きいってことよね。
そのせいでモニカや私にまで被害が及んではいけないから、噂話ひとつでもブレインが素早く動いているんだ。
「よかった。ノーランドのお世話になっているのに、迷惑をかけたらどうしようって思っていたの。モニカとも連絡を取ろうと思ったんだけど、忙しいのか話が出来なくて……」
「いや、それはこの件とは別の問題のせいだ。カーラ、全く非がないきみは気の毒だとは思うんだけど、それでもきみはヨハネス家の娘だ。きみのほうからモニカには連絡しないでくれ。ディアに対してもそうだ。今後は直接会いに来るのはやめてもらう」
「……え?」
クリスお兄様の冷たい言葉に驚いたカーラの表情を見て、大丈夫だよ、今までと変わらないよと言いたいけど、もう言えない。
「私が話してもいい?」
「かまわないよ」
クリスお兄様が説明するだろうと思っていたんだけど、ブリス伯爵家が関わっている話だから自分が話したいと思ったのかな。
エルダが率先して話し始めた。
「ヨハネスが観光業にばかり力を入れて、領地をちゃんと治めていなかったって話があるじゃない? 軍の責任者がまともだったから沿岸警備は機能していたということで、今回はそれに関しては罪に問われていなくて、処罰がだいぶ甘くなっているでしょ。でも、うちとエドキンズ伯爵家にとっては、ニコデムスがディアを聖女にしようとしている時に警備を疎かにしているなんて許せることじゃないのよ。それで徹底的に調べたの。そしたら……外国人の乗った漁船が漂流していたことを報告しなかった馬鹿がいたのよ」