精霊の宿り木 3
「……ビューレン公爵、何をしているんですか?」
人が真面目に考えていたというのに、近衛騎士団隊長の制服をびしっと着こなした大男が、目の前を右往左往しているんですけど。
まだまだ小さくて今にも消えそうな緑色の光が、懸命に傍に行こうとしているのに、まるで蜂に追いかけられているみたいに公爵は逃げまどっている。
「この精霊が、なぜかついてきてしまって」
「魔力を放出して契約してください」
「いやしかし、私はもう精霊を育てるには歳をとりすぎているだろう」
「……まだまだ元気そうに見えるんですけど、他界する予定でもあるんです……いたっ」
『ディア、言い方』
今、指の関節で頭を叩いたでしょ。ちょっと痛かったわよ。
なんで翡翠がここにいるのよ。
王宮の修理はどうしたの。
『こっちのほうが楽しそうだもの』
「ひど。ともかく、ビューレン公爵、早く魔力をあげないとその子が消えちゃいますよ」
「消える? それは困る」
「風の精霊も多少は回復魔法が使えます。その子がいればきっと寿命が延びるし、若い子だって死ぬときは死ぬんですよ。なんでそんな心配をしているんですか」
「ある程度の年齢以上だと、精霊を手に入れられないと聞いていたのだ」
「確かに手に入れにくくなりますけど、無理だなんて話は聞いたことがありません」
「なんだと……だったら、やつは……」
『いいからさっさと契約しなさいよ。この子が消えちゃうでしょ! ボケッとしない!』
うわ、翡翠ってば公爵の背中をひっぱたいたよ。
他国の精霊王にまさか叩かれると思っていなかった公爵は大慌てだ。
国王がやるのを見ていたから、私が説明しなくても掌に魔力を集め出した。
「ビューレン公爵は魔力が多いんですね」
「はは。我が家は代々魔力が多い家系でな。今まではあまり活用していなかったが、ようやく役に立った」
「その精霊をある程度育てたら、次は剣精を育てるのもいいんじゃないですか?」
「だが……」
「主が亡くなった時、精霊は共に消えるか精霊王の元に戻るか、自分の意思で決めるんです。あなたが強く望めば、消えずに精霊王の元に帰るかもしれませんし、いずれあなたの子孫を守ってくれるかもしれません。そんな風に関係が続いていくって素敵だと思いませんか?」
「そ……うですな。私の子供も孫も魔力は多いので、すぐにでも精霊を育てるように伝えましょう。本当に……もっと早く正しい情報を……」
徐々に声が小さくなったので、公爵が何を言いたかったのかはわからないけど、ようやく契約出来た風の精霊は公爵の頭上を元気に飛び回っている。
いつの間にか宰相も精霊を手に入れていたので、これで今日のノルマは完了ね。
「かわいいが、同時にこわいな。あまりに小さな命で、少しでも目を離したら消えてしまいそうだ」
「魔力をあげれば消えませんよ。けっこうしぶといですし、絶対に傍を離れないので心配いりません」
「そうか」
「どんな姿の精霊獣がいいか、強く想像するとその姿になるみたいですよ」
「おお、そうなのか」
「私は特に想像した記憶がないんですけど」
精霊獣になるなんて知らなかったから、イフリーとリヴァがどうして今の姿になったのか謎なのよね。
私の記憶の中から、好みそうな姿を選んだのかな。
日本人のオタクはだいたいフェンリルと竜は好きだよな。
「こんなに多くの者が精霊を得て、王宮も綺麗になった。今後、この精霊の宿り木はベジャイアの平和の象徴として守っていく。感謝している」
空が赤く染まる頃、帝国に戻る私達を見送るベジャイアの人達の表情は、すっかり明るくなっていた。
これでベジャイアとの問題は、ほぼ解決したと言っていいでしょう。
私はよくやった。だいぶ頑張った。
「まだこれからが大変ですよ。ようやく一歩を踏み出したところなんですから」
「その一歩を踏み出せたことが重要なんだ。妖精姫にはまだ詫びがきちんと済んでいないというのに……。ありがとう。この恩に報いるためにも、必ず国を復興させる」
国王の後ろにずらりと並んでいる人達が、深々と頭を下げている。
精霊がその頭上を飛び回っている光景は、帝国では当たり前の光景だ。
きっとそう遠くない未来、ベジャイアでも普通の光景になるんだろう。つか、なってくれなかったら困る。
「帰る前にこれをお返ししますね」
ブレスレット型のマジックバッグから、ベジャイア一行が私の屋敷に来た時に抱えてきた荷物を取り出して、ずらりと国王の前に並べた。
「これは、そちらに渡すために持ってきた物だ。受け取ってもらいたい」
「品物もお金も必要ないとお話しましたよね」
「しかし」
土産の中身が何かは知らないけど、こんなに国内が厳しい状況なら、お金は必要でしょう。
使い道がなくて困っている私に、お金や品物を渡すなんてもったいないことをしなくていいわよ。
「私が望むのは誠意と行動です。もうベジャイアは大きな一歩を踏み出したじゃありませんか。そして誠意を見せてくださるのであれば、ペンデルスに残っているニコデムス教徒がシュタルクと手を組まないように、国境の守りをしっかりと固めてください」
「それはもちろん」
「早急に手配いたします」
ちらりと国王が宰相に視線を向け、宰相がしっかりと請け負ってくれた。
「よろしくお願いします。カミルは何度も命を狙われているんです。私も聖女として祭り上げる気でいるようで、誘拐されそうになったことがあるんですよ」
せっかく私が悲しそうな顔で言っているんだから、こういう時、気の毒そうな顔か心配そうな顔をするべきだと思うのよ。
でももう、私とカミルがどんな奴か知っている国王と宰相は、ニコデムスもシュタルクも馬鹿なのか? と言いたそうな顔をしている。
自分達が何かするより、私が勝手にペンデルスに行って、ぶっ潰した方が早いんじゃないかと思っていないでしょうね。
「私を手に入れるために、家族や友人にまで危害を加えられたらと思うと怖くて」
「ああ、それはいけませんな」
「そうだな。ペンデルスのことは我が国のためにも決着をつけなくてはいけない。戴冠式の折に帝国を訪れる時には、必ず良い報告を持っていこう」
「ありがとうございます」
よし。これで目的は達成したわ。
じゃあ帰ろうかと踵を返そうとした時に、私の横で話を聞いていたカミルが、一歩歩み出た。
「妖精姫が許すというのなら、ルフタネンも今回のことは水に流しましょう」
「そ……れはありがたい」
一瞬、国王が言い淀んでいたのは何?
カミルがどんな顔をしているのかと横から見上げたら、カミルもこわい顔をしているけど、彼の後ろにいるクニとマカニの顔も怖かった。
殺気とか怒気とかじゃなくて、冷ややかーな、周囲の温度が五度は下がりそうな眼差しをしているのよ。
でも、私達よりルフタネンのほうが怒りが大きくて当たり前か。
「ベジャイアが復興して、我が国のよき貿易相手になる日を楽しみにしています。でも忘れないでください。私はディアほど甘くはありません。もう二度目も許したんです……次はありませんよ」
しん……っと、場が静まり返って急に空気が張り詰めた。
精霊達まで動きを止めるのはやめなさい。
まだ言葉はわからないでしょ。空気を読みすぎよ。
「カミル」
気持ちはわかる。とってもわかる。
それ、新生ディアドラの言いたかった台詞よ。決め台詞よ。
なんで毎回、言いそびれるんだーーー!
「もちろんだ。もう同じ過ちは繰り返さない」
「そうしてくだされば、ディアが私の元に嫁いでくる頃には、ルフタネンとベジャイアは重要な貿易関係になっているでしょう」
「ベジャイアにも帝国にはない作物や素材がたくさんありそうですもの。その時にはどんどん売り込みに来てくださいね」
来たとき同様、透明な球体に包まれて上空に浮かぶ私達を、庭や建物の窓から大勢の人達が見送ってくれていた。
上空から見た夕焼けに照らされる風景は、この国もどこにも負けないくらいに綺麗だ。
だからこそ出来るだけ早く、多くの人が笑って暮らせる国になったらいいなと思う。
◇ ◇ ◇
「ベジャイアを傘下に収めたそうだな」
帰国してすぐカミルはルフタネンに帰り、私とアランお兄様は王宮に報告に向かった。
いつもの会議室には、皇太子の他にブレインのメンバーが揃っている。
「傘下だなんて、誤解を生む発言はやめていただきたいですわ」
普通ならここで、口元に扇を当てるのが御令嬢らしい仕草なんだろうけど、もうこのメンバーは私の本性を知っているからめんどくさい。それにさすがに疲れているので、目の前に置かれたお菓子を吟味することにした。
魔力を使ったからね、糖分を摂取しないと。
「アランお兄様、これは初めて見るお菓子です」
「本当だ。ちょうど甘いものが欲しかったんだよ」
「ですよねー」
「あいかわらず自由だな」
もう報告はちゃんと済ませてあるから、誰も文句を言う人はいない。
目的は達成し、これ以上ないくらいに成果を上げたんだから、お菓子くらいは食べさせてほしい。
「他国を軍事力で占領するより、恩を売り貸しを作り、より豊かな生活を与えた方が帝国の言うことを聞くようになりますからね。今後も物資などで復興を助けて、帝国に見放されるわけにはいかないと一般国民まで思うようにしたいところです」
クリスお兄様が言うと、帝国がすごい腹黒い考えをしているみたいだよ。
別にベジャイアを植民地にしようとか、無理難題を吹っ掛けようとかはしないよ?
ルフタネンと三国で同盟を結んで、協力体制を取って、そして勝手なことをしでかさないように見張るだけだよ。
「これでシュタルクと何かあった時も、こちらの指示に従うだろうな」
「妖精姫を怒らせる怖さは骨身に沁みているでしょう」
今発言したのは誰かな?
ローランドと……私がこわいとか何とか言っていたのはギルよね。
「これからベジャイアは、喉元に刃を押し付けられた状態で外交をしなくてはいけないのですね。気の毒なことです」
「パウエル公爵、他人事ではないぞ。私の首にも刃が見えないか?」
「あら、皇太子殿下の首筋に刃を向けるなんて命知らずはどこの誰でしょうか?」
にっこり微笑んだら、にっこり笑い返してくるんだから、皇太子も性格が悪い。
精霊との共存を続け、うちの家族やモニカを悲しませなければ、私はずっと皇太子の味方よ。
「残る問題はシュタルクだけか。まずは戴冠式を済ませ、我が国の基盤を固めてから、本格的にニコデムス対策に乗り出そう」
「はい。最近シュタルク側の動きがないことが気になります」
皇太子とパウエル公爵の会話を聞くうちに、その場にいる人達の顔から笑みが消えていく。
シュタルクから交易を復活させてほしいとの要望は今も来ているけど、以前は、漁船で海峡を越えて帝国に侵入しようとする人間がかなり多かったの。
難民や物資を求めてきた人もいるし、どう見ても工作員だろうという人達もいた。
そういう人達がぱたりと来なくなったのよ。
「ディアがベジャイアに行ったことに気付いている可能性があるな」
「ベジャイアにはシュタルクの人間が多数侵入しているでしょうし、いまだにカミルを暗殺しようとする動きはあるようです」
クリスお兄様がカミルの話を出したので、皆が私に注目した。
カミルが狙われる理由は私だもんね。
カミルは精霊王に守られているからいい。
でも、あいつらはどんな手を使ってくるかわからない。
友人や屋敷の人が傷つけられたら……カミルは責任を感じるだろう。
私だって、自分のせいで周囲の人達が危険な目にあうのは嫌だ。
「ディア、もう少し我慢しろよ。ニコデムスやシュタルクを潰すにしても、その前に片付けておかなくてはいけないことがある」
「承知しています」
そのためにベジャイアに恩を売りまくってきたんだから。
待ってろよ、ニコデムス。
おまえ達だけは、何があっても許さない。
でもその前に戴冠式で妖精姫として、バルコニーに私も並ぶという大きな役目があるのよ。
公式に国民の前に妖精姫として姿を現すのは初めてだ。
妖精姫のイメージを裏切らないように、でも目立ち過ぎないようにってどうやればいいんだろう。