閑話 ヨハネス侯爵領 後編
まだ話をしている最中に連絡が来て、私とハミルトンは急いで屋敷に帰ることになった。
大まかな話は終わっていたので、あとは側近達に任せればいいらしい。
いくら生徒主体で寮を運営することになっていても、フォローするために大人が何人も寮内にいるので、対策を考えるのは生徒よりも寮を管理している大人達だ。
今回のことで、彼らも責任を取ることになる。
転送陣を使って帰った屋敷は、空気がピリピリしていた。
待っていた執事に部屋に案内されて廊下を進む間、すれ違った侍女や従者は、私達と顔を合わせないように俯き、出来るだけ壁際を緊張しながら歩いていた。
こんなの初めてだ。
いつもはもっと気さくに話しかけてきていたし、すれ違う時には笑顔で会釈してくれた。
「こちらのお部屋です」
廊下の雰囲気で驚いている場合じゃなかった。
部屋の中ではお父様が不機嫌そうにソファーに腰を降ろしていて、かなり離れた場所でフランセルさんが拳を握り締め、険悪な雰囲気を漂わせて立っていた。
「戻ったか。こっちに座るといい」
示されたのはお父様のすぐ近くの席だ。
そこに座ると三対一の状況にならない?
「おまえたちは、皇太子殿下やモニカ様から話を聞いているんだな」
「はい」
「殿下やジュードに指示された通り、寮で生徒に話をしてきました」
「そうか。では説明はいらないな。すまない。まさかフランセルが、私を裏切るようなことをするとは思わなかったのだ」
え? 裏切る?
「裏切ってなんていません。ヨハネス侯爵家が心配で、お茶会の時に少しだけノーランドの愚痴をこぼしてしまっただけですわ」
「ノーランドがヨハネスを乗っ取ろうとしていると、八人も参加者がいるお茶会で話したんだろう?」
「……それは……でも本当のこと」
「おまえのおかげでヨハネス侯爵家は地方に飛ばされて、伯爵家に格下げだ!」
「…………そんな、なぜ?」
怒りの表情から一転して、フランセルさんは驚愕の表情でよろめき、近くにあった椅子の背凭れに手をついた。
私がひねくれているのかもしれないけど、舞台を見ている気分だわ。
「なぜ? おまえの話を信じてお茶会の参加者が家族に話し、それを聞いた子供が学園でノーランドの生徒に暴言を吐いたんだ。戴冠式の前のこの時期に、民族問題にしようとしたんだぞ」
それだけで侯爵家を格下げなんてしないわよ。
今までのお父様のおこないが悪かったのに、全部フランセルさんのせいにするつもり?
お父様はいつもそうだ。
自分がフランセルさんに愚痴ったのがいけないのに、そのことには一切触れない。
悪いのはいつも自分以外の人間なのよね。
皇太子殿下とのお茶会の時もそう。
悪かったのは正直にお父様に話さなかった私。
自分が当日、私を参加させないと決めたのに、しかもディアに対する対応が悪かったくせに、そのことはなかったことにしようとする。
昔は、お父様は素敵な人だと思っていた。
優秀でカッコよくて、誰にでも尊敬されている侯爵様だって。
でも違った。
親だってただの人間で、間違いもするし出来ないこともある。
「ノーランドはヨハネスを守ろうとしていたんだ。そのことにも気付けないほど学がなかったとは」
「…………」
優しそうで可愛いフランセルさんは、今はいない。
唇を噛んで、きっとお父様を睨む姿を見れば、彼女が守られないと何も出来ない人ではなく、実は気の強い人だというのが一目でわかる。
「これからイーデン子爵夫人を名乗るのもやめろ。イーデン子爵の友人達から苦情が来ている。離婚して家を出たんだ。男爵家の名に戻せばいいだろう」
「いやです! 私を売った父の名前なんて名乗りたくありません」
「だったら、ただのフランセルでいいじゃないか」
「そんな……」
それでは平民と変わらない。
彼女のプライドを無頓着に踏みにじっているって、わかっていてやっているのかな。
「それが嫌なら、今住んでいる館の場所を名にするか…………屋敷に咲いているあの花はなんだ?」
「中庭のテラス横に咲く花でしょうか。それとも玄関横の……」
「テラスだ」
「サイデリアでございます」
後ろに控えていた執事にお父様が聞くと、すぐに答えが返ってきた。
ヨハネス侯爵家は、彼のおかげでここまでやって来られたかもしれないと思うくらいに、お爺様の代から頼りにしている優秀な人だ。
「ではサイデリアでいいだろう」
「まあ、花の名前なんて、ちょっと恥ずかしいですわ」
これで機嫌が直るの? なんて単純。
どうせすぐにヨハネスを名乗るようになるんだと言われたかったんじゃないのかな。
「おまえ達は皇都のタウンハウスで生活することになった。聞いているか?」
「はい」
「しばらくはうちのタウンハウスで過ごし、精霊の森近くの屋敷が出来たらそちらに引っ越すそうだ。今まで必要な家庭教師がつけられていなかったそうだな。礼儀作法やダンス、他はなんだ?」
他人事みたいに言わないで。
つけてくれなかったのはお父様でしょう?
「刺繍も出来ないと駄目みたいです」
「そうか。侍女長に任せていたというのに、役に立たない女だな。彼女はクビにしろ。これからはモニカ様の家庭教師だった人達をカーラにつけてもらえるそうだ。ハミルトンもジュードと同じ授業が受けられる」
「はい」
「それと、降格が決定したので、成人と共におまえが当主になるという話はなくなった」
「はい」
成人してすぐに当主なんて責任が重すぎるから、ハミルトンとしてもそのほうがありがたかったんだろう。
彼が力強く頷いたことで、お父様はだいぶ機嫌を回復したようだ。
「皇都で暮らすのはいいが、成人したら領地にも来て仕事を学んでもらう」
「はいっ」
「新しい領地で手探りの状態だが、一緒に領地をよくしていこう」
「はい。頑張ります」
「カーラは成人までに婚約が決まらない場合、新しい領地の貴族と結婚してもらう。その地に馴染むために本来なら今すぐにでも婚約を決めたいところだが、中央にも繋がりを持ちたい。年の近い友人が何人もいただろう。その中から誰か選んで決めればいい」
「……はい」
そんな簡単に言わないで。
今年の新入生には高位貴族のご令嬢が何人もいて、年下の方が可愛いと同級生はそちらに注目している。
友人の中に、私を選んでくれそうな人なんていないわ。
「話は以上だ。学園に戻って休むといい。荷物は侍女に運ばせるから、時間がある時に持っていきたい物をまとめておくように」
ハミルトンと一緒に立ち上がり、一礼して歩き出す。
途中から存在を無視されていたフランセルさんは、
「いっしょに暮らさないの?」
驚いた様子だけど、口元が笑っていた。
「じゃあ……」
「この屋敷は荷物をまとめなくてはいけないからな。きみは今の屋敷に住んでくれ。新しい領地について来るかどうか、ゆっくり考える時間も必要だろう?」
子供と別れて暮らすことになっても、お母様と離婚した時も、フランセルさんへの態度も、お父様はいつも変わらない。
悲しんだ様子も寂しそうな様子も見たことがない。
子供に見せないようにしているのかもしれないけど、お母様が、あの人は人間に興味がないと言っていたのを思い出した。
興味のある仕事と広く浅く付き合う友人がいればいいんだって。
フランセルさんはやっぱりこわいというか、ちょっと不気味な感じもするんだけど、つらい思いもしているから気の毒に感じてしまう。
「姉上の婚約相手を、お父様は選ぶ気がないのかな」
「ノーランドがどうにかしてくれると思っているんでしょ」
私は領地の貴族と結婚して、田舎に閉じ込められるのは嫌。
部屋に籠っているのは息が詰まる。
皇都でお友達と一緒にいたい。
広い世界で生きていきたい。
夏には十三歳になる。
あと二年で婚約者を決めなくちゃ。
次回は「突撃、隣のルフタネン」
本編に戻ります。